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「卑弥呼」ファン集まれ!!(15) この声、「届けッー。」❓❓❓ 「 吉永小百合」に
「そーうかー。」
「 吉永小百合」に 「いいねー」って言って貰えたら、誰もが聞いてくれると言うことかー❓❓❓
柳田國男翁生家近くの辻川山公園「カッパの散歩道」。
僕の著書「北野と妙徳寺の歴史」(新考)を、良いと言って絶賛してくれて、友達にまで買わせた人(内藤さん)が、「会えたらー」。
6月6日午前10時ごろ言っておられます。今「来られますー。?」って、ラインが入っていた。
「堪忍!!」今、そんなこと言ってる時じゃないー。
年に1回の、「お米」の「田植え」の真っ最中!!「堪忍!!」
午後、訪問。さっき帰られましたー。内藤さんが「吉永小百合の映画の広告写真」プリント・アウトの方法まで聞いて、僕に渡してくれたー。その一枚。
「忘れてたー。」彼女に助けてもらえ。と言うことなのでしょうかねー。」
この声、「届けッー。」❓❓❓
このようなことがあると「やっぱり繋がっているのかなー」❓❓
「北野と妙徳寺の歴史」(新考) 終稿にあたって 25. 1.19 私もかねがねこの地域(福崎・田原)のことに役立てればとずーと考えています。
今朝は、何故か久しぶりに日本の大女優・吉永小百合女史のことが頭の中を懸け巡っているのです。
たぶん彼女は、私と同じ日かそれとも1日違いの誕生日の3月15・16日だったと記憶しています。この春でよわい68歳(まだまだ若い衆やなー)私は、折に触れ彼女がひきあいに出てくるのです。しばらく見てないけどー。まあ彼女のことだから達者なのかなー。何言っているのよー。私はピンピン。貴方こそへこたれないでよー。と聞こえてくるのです。
話す機会などさらさらあろうはずもないのですが、今日も彼女が引き合いに出てきて「凛とした生き方」というものが彼女を通して頭をかすめるのです。
白黒テレビの出始めた頃のおぼこかった吉永小百合、同時代を生きるたぶん私の人生の師の一人なのでしょうかねー。
話は変わりますが、人は人生の中で自分の先生(師)を持ちなさいとはよく語られています。私自身もなかなか誰が人生の師なのかはなかなか見えませんでしたが、やはり長い姫路市役所生活、師はこの地、辻川の岩崎知弘公室長、次に私の背中を大きく押してくれた溝口の大塚拓三博士、この二人が私にとっては特筆されるのでしょうかねー。 そして吉永小百合女史。何故かライバルとして「変な生き方はしまい。」と、これも人生の師としなければならないのではと考えますが。いかがなものなのでしょうかねー。そして最後の最後でも「あかぬことはあかぬ」と言いたいのです。
虹と雲
峯相記で四神相応の地と詠われているこの地(田原・北野)、それは風光明媚な土地である。夏には雲が湧きたち秋には虹橋の競演がある。
初霜の雨(時雨)上がり東山の日光寺山あたりを眺めていると、御妙ケ池から落ケ池、百丁池から姫ケ池、新池から桜池へと三重虹、いやまだ上にも下にも、何本やろー綺麗やなー。また夏の日に東山を眺めていると厚雲が日光寺山南裾に当たるわあたるわ。雲津―。
「種(くさ)とか津とかは、集まるところ」の意味? 雲津川(雲の集まるところの川)龍神も矢張りいたのかなー。私達にとってはどれもが当然の日常の景色で何も感じない・・・・・・」
んん・・・・・。
「ああッー・あれから8年かー。」❓❓
そうか 「吉永小百合の女史」に話がするのであれば、やはり「映画史」の話 が出来ないとダメでしょうねー。
「任せなさいー。」「吉永小百合の女史」だって「うーーん!!」と言わせて見せます。
その気になればこの地には、映画に関しての情報だって取って置きの情報があります。
それはねー。この地「カケアガリ」に住していた「長谷川善雄翁」の話ですよねー。
長谷川善雄 略歴
明治31年(1898)7月1日生―昭和30年(1955)5月4日没 新渡戸 稲造 1862年9月1日 - 1933年10月15日
(明治33年)に『武士道』の初版が刊行。
西園寺公望公 1849-1940
ポール・クローゼル公 1868-1995
イーゼル県モルステル・パリ在住 1927 -
柳田国男 1875-1962
原田熊雄 1888-1946
1913-1917 早稲田大学
1917-1921 立命館大学法学部
1921- フランス・ソルボンヌ大学留学
1924(大正13年) 千恵と結婚 住居 神戸市須磨区に転居
1929(昭和4年) 再訪仏フランス ・「女形の研究」終稿
田原校校歌(小学校) 作詞 長谷川善雄・作曲 山田耕作
1929(昭和4年) 東京帝劇「娼婦マヤ」公演 (新築地劇団? 主演[細川ちか子]
1931 小松清のフランス語塾(神戸六甲山麓)
1931(昭和6年)6/5 「女形の研究」 長谷川善雄 著出版
1933(昭和8年) 「娼婦マヤ」 小松清・長谷川善雄共著 出版
昭和13 光り ポール・クローデル [著] ; 長谷川善雄 訳 立命館出版部
昭和13 五つの大讃歌 ポール・クローデル [著] ; 長谷川善雄 訳 立命館出版部
昭和14 前兆と寓話 ポール・クローデル [著] ; 長谷川善雄 訳 立命館出版部
昭和15 クローデル随想 ポール・クローデル [著] ; 長谷川善雄 訳 立命館出版部
昭和15 女とその影・外四篇 ポール・クローデル [著] ; 長谷川善雄 訳立命館出版部
昭和16 名女形松蔦 長谷川善雄 著 新陽社
昭和17 日本報国文学会所属
昭和17.10.25 播磨風土記現在編 長谷川善雄 著 立命館出版部
昭和18.8.20 大詩人ポール・クローデルの研究 長谷川善雄 著 立命館出版部
昭和20 神戸大空襲 カケアガリの本宅へ疎開