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「卑弥呼」ファン集まれー(17)                 「北のカナリアたち」!!

 そうそう!!先日、吉永小百合女史の話。ありましたよねー。         それはねー。「北のカナリアたち」という映画を紹介してくれた話だよー。その予告編を見たんだけどー。宮崎あおいも出ていて、大河ドラマ「天璋院」も記憶に残るよねー。霧島温泉だったかなー❓❓「I」旅館だったかな!!その当時「天璋院」の打掛の展示がしてあって、驚いたよねー。       本題に入りましょうネー。

 まだ解説に入っていないところがありますよねー。             それは魏志倭人伝の「宮室樓觀城柵嚴設 常有人持兵守衛」と「播磨風土記」の「造神宮於北野之時 意保和知苅廻爲院」すなわち「魏志倭人伝」の城の柵を頑丈に作った。「播磨風土記」の茅を宮殿のために囲んだ。と同じようなことが書かれていますよねー。   (写真 辻川山公園妖怪写真)

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 この地には、「北野元宮」(仮称)「六所宮」後は、「田畑」となって「何一」つも残ってはいませんよねー。その真横には「広畑古墳・神前古墳」と古墳が2基もありますよねー。
    しかしこの古墳は「宮室樓觀城柵嚴設 常有人持兵守衛」には、関係がない。なぜなら馬具の装飾品が出土しているのです。
 この地で神崎郡福崎町西田原588番地に「宮田」(みやでん)と呼ばれる田があり、古図には、神社用地1坪と記され、柱の礎石(H80cm径5~60cm石の礎石)が最近まで残っていた。
明治6年田原村西田原小字絵図抜粋(字東新田真下のピンク表示が「北野元宮」の意匠地)❓❓❓                           (中央の池が、柳田國男が氷遊びをした「西ノ池」左上白地が兄嫁の里「皐家」)

        明治6年田原村西田原小字絵図抜粋

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「阿遅須伎高日子根命神」「播磨風土記」「在於新次社 造神宮於北野之時 意保和知苅廻爲院」住んだ。この「社・神宮」がどうも「居處宮室樓觀 城柵嚴設」の表現と酷似しているのですよねー。

もう一点は、正始八年(247)「卑弥呼以死 大作冢 徑百餘歩」
後醍醐天皇御宇(1332年頃)「大山豪雨」により、日野邑(ひのむら)は跡形もなく流失。( 古墳と「上野」は残った。)
・ 卑弥呼は邑日野で死んだ。❓❓
・ 大塚古墳(直径50~70m)
・皐(こう・さつき)  幣杯を捧げる。意味。氏姓の家がある。
    柳田國男の兄嫁の生家の姓。
    給飲食傳辭出入居處 宮室樓觀城柵嚴設 常有人持兵守衛

「所以云邑曰野者 阿遲須伎高日古尼命神 在於新次社 造神宮於北野之時 意保和知苅廻爲院 故名邑曰野」

卑弥呼の墳墓 発見!!

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     写真    福崎町「大塚古墳」正面                                   
 先に説明をしたことが事実であるとすれば、卑弥呼は「播磨風土記」「阿遅須伎高日子尼命神」。墓は、田原村(邑日野)の「大塚古墳」を卑弥呼に墓と比喩するのも、まったくの的外れとはならないのですよねー。

 例えば、「伝播」は、稲作文化が拡がる。播磨から伝わる。という意味ですよねー。じゃーその大元は「田」「水田」の開墾、「田原」の名。    それと土地の開墾には鋤・鍬等の「鉄器文化の継続」がいる。邑日野では、「賀」すなわち「鉄」が取れなくなった。「稲作文化」「鉄器文化」の発祥は、すべて「邑日野」となっているのですよねー。                             八重事代主命、大和へ移住。「邪馬台国」行政府としての「邑日野」は消滅。が歴史となるのでしょうかねー。❓❓❓                     「播磨風土記」「邑日野」消滅。「邪馬台国」正始八年(247)卑弥呼以死 大作冢 徑百餘歩、この頃「邪馬台国」行政府も事代主命の大和移住で消滅。                                     今から約650年程前の鎌倉時代、元亨元年9年(1321)に発生した「大山豪雨」ですよねー。この大豪雨で、神河町大山で大きな山崩れがあったとか、千束山が流れ、この周辺一帯が川原となり、また田原郷でも市川の流れが変わり、落合から船津町御立まで直接に南下してしまった。またその中心をなしていた「中村」までもが流出してしまって、「邑日野」としての「集落」の痕跡も、全く消滅してしまったのですよねー。ただ、中村の氏宮「三ノ宮」と古墳「大塚古墳」、高台の「上野」は残ったのですよねー。     その「上野」が「田原」としての地名のみが残った。「邑日野」=「田原」、「田原」は、その「邑日野」一部分。❓❓             この話(伝承)だったって、北野宮田(みやでん)の伝承がなければ、「播磨風土記」新次社に繋がらなかったのですよねー。

 天台座主二五三台 山田恵諦大僧正の言葉時代が前へ前へとすすむ。     柳田國男先生の言葉、「故郷のことを書き残すことが」何かの役に立つ。       私も、素晴らしい「郷土の伝承を語り継ぐ」ため、筆を執っているのです。

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