「卑弥呼」ファン集まれー!!(2) 徒然草 第62話第四十二段 唐橋中将といふ人の子に
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ジャーン・ジャーン・ジャーン・ジャーン
ブォーブォーッ!!
「卑弥呼」ファン集まれー集まれー!!
さーて、1800年も前の歴史!!
わたし、その時生きていたんでしょうか―。??
みなさん、民俗学の柳田國男先生は、ご存じでしょうねー。
その「先生の故郷」の話をします。
こんな古代史に興味をもつなんて、みなさん変わっていますよねー。!!
これからは、みなさんのことも「変人さん」と呼んでいいですかー。??
えへへへー。 前置きは、この位にしておいて、
さてさて、前回講義の「卑弥呼」と「山の神」と呼ばれる「鬼」。どうして繋がったのでしょうかネー。
Reason
徒然草 第62話第四十二段 唐橋中将といふ人の子に
(原文)
唐橋中将といふ人の子に、行雅僧都とて教相の人の師する僧ありけり。気の上る病ありて、年のやうやうたくるほどに、鼻の中ふたがりて、息も出でがたかりければ、さまざまにつくろひけれど、わづらはしくなりて、目・眉・額などもはれまどひて、うちおほひければ、物も見えず、二の舞の面のやうに見えけるが、ただおそろしく、鬼ノ顔になりて、目は頂の方につき、額のほど鼻になりなどして、後は坊のうちの人にも見えずこもりて、年久しくありて、なほわづらはしくなりて死ににけり。かかる病もある事にこそありけれ。
今で言う、「ハンセン病」だったのでしょうかねー。「後は坊のうちの人にも見えずこもりて」、この言葉が、「誰とも会わなかった。」「山の神」=「卑弥呼」
「魏志倭人伝」に記されている「卑弥呼」「少有見者」と「誰とも会わなかった。」へと繋がったのですよねー。
この「徒然草 第62話第四十二段 唐橋中将といふ人の子に」が存在していなければ、「卑弥呼・阿遅須伎高日子根命神説」は発現しなかったでしょうねー。
Reason
先に答えから入っていきましょうかー?ねー。
「安喜門院大弐」
「 あはれにぞ露のゆかりをたづねける 消えにしあとに残ることのは 」
一度見たのですが、一年も経つと、えー どこで聞いたのかなー?? 探し廻った。
―続古今集― 8 哀傷歌
少将内侍人にさうしをかかせ侍りけるを、内侍みまかりて後、ゆかりをたづねてつかはし侍りければよめる。
( 侍=はべる 少将内侍=内裏に内侍として出仕した女性の女房名 )
この地、民俗学の柳田國男先生の「故郷」にとって、
この歌は安喜門院が、将来安住するであろう「妙徳山神積寺」の調査を、少将内侍という人に託したのであるが、その人が死んでしまったので、自分自身で神積寺を訪問した。
「古事・ゆかり」は全て消えてしまって「言葉だけ」が残っていた。ということを歌っているのでしょうねー。
安喜門院の下向に際しては、文殊堂(文殊菩薩像)の造営や石造五重塔(伝慶芳上人墓)・埴岡土佐守寅次郎夫婦の五輪塔・悟真院の宝塔(石造宝塔残欠・暦仁2年・1239) 阿弥陀種子板碑の造営も、この時期このような思いから造営されたものと推察するのですがいかがでしょうかねー。
その時に「徒然草 第62話第四十二段 唐橋中将といふ人の子に」。出会ったののですよねー。