邪馬台国…魏志倭人伝は正確だった 【やまたいこく】の読み三百年間の誤り
『邪馬台国』を【やまたいこく】と読んだ…すべての300年以上続く論争の始まりであった。
『邪馬台国』の読みは、【やまたいこく】で正しいのだろうか?
これまで一人の研究者も指摘することなく、自説の主張に延々と労力を傾けて来た。
17世紀末江戸時代の儒医で国学者の松下林見がその書『異称日本伝』の中で『邪馬台』を【やまと】と読み、大和を指す…としたのが始まり。
すべての主張は、魏志 東夷伝 倭人の条(以下、『魏志倭人伝』と称する)作者・陳寿の【誤記】【誇張】【誤情報記録】と言った辻褄合わせに終始して来た感がある。国史である陳寿の記録を間違いや誤りと決めつけて来た。
さて、『邪馬台国』は、どう読むべきかについて、本文に入る前に簡単に述べておく。
タイトル上の地図は東夷伝の頃の朝鮮半島の国を描いたものである。この中に、『馬韓』という国名が記されている。
★『馬韓』は【まかん】とは読まない。【ばかん】なのである。
時代は少し遡るが、前漢に『司馬遷』という歴史家がいたのはご存知だと思う。
★『司馬遷』は、【しばせん】と読む。
騎馬しかり、馬耳東風しかり…枚挙に暇がない。
要は、これまで倭人伝で『邪馬台国』と書かれたものをこぞって
①【やまたいこく】と誤って読み続けて300年以上経ってしまった。
ま ➡ ば とすべきである
これを受け入れると新たに『邪馬台国』の候補地が俄然浮上するのである。
★★『邪馬台』は、『やまと』『大和』とは無関係
なのである。
これまで論争には一度も登場しなかった発見
②『魏志倭人伝』に、『日本書紀』の記述と重なる点がある
これも極めて興味ある点で、この記述を両文書で比較すると、逆算して
③女王卑弥呼の都する場所が特定できる
という新たな世界が広がるのである。
取り分け以上の3点を中心にすると、
★『魏志倭人伝』の『倭国伝』は正確無比
の記録だったのである。
この他にも、読み解く上で重要なポイントが
★3世紀では、海路は陸路より高速移動できた
という現代の常識からするといささか外れているのではと錯覚しそうであるが、古代では
★海は道なり、道は海なり
なのである。
陸路の不利な点は極めて多い。道が整備されていた訳でも無く、天気に左右されて雨で道はぬかるみ、橋の無い川は増水する。夜天では歩行困難であるし、寝る場所も確保が難しく野獣もいるなど危険の上に荷物の運搬など想像しただけでも陸路は難渋する。
『魏志倭人伝』によると、
★(移動速度) 海路は陸路の三倍程度
だった。
(これは、ご承知の『(秀吉)中国大返し』にも適用できる。7日で陸路を
進んだとした論がほとんどであるが、海路なら3日以内程度であり楽勝)
ここまで読んで頂くと凡その内容を把握して頂いたと思うが、あまりに決めつけから議論を出発させると、原点での誤りに気付かなくなるのである。
以下、次回から各章で詳細に議論を進めて行きます。
乞う、ご期待