武内宿禰の不思議
振り返ればほぼひと月ぶりの投稿になってしまいました。あいかわらず仕事はリモートでこなし、会社に出るのは2週間に一回程度。ほぼすべての時間を単身赴任宅で過ごしております。昼間はいちおう仕事をしているのですが、夕方に仕事を終えた後、晩ご飯を作って食べて、それでも夜の時間がたっぷり。古代史の勉強もはかどります。
さて、前回の投稿では倭の五王について勉強しようと書きました。そして日本書紀の応神天皇紀から読み始めたのですが、すぐに立ち止まってしまいました。思いっきり引っかかったのが応神9年の記事です。以下に、宇治谷孟氏の「全現代語訳 日本書紀 上巻」より引用します。
九年夏四月、武内宿禰を筑紫に遣わして人民を監察させた。そのとき宿禰の弟の甘美内宿禰は、兄を除こうとして天皇に讒言して、「武内宿禰は常に天下をねらう野心があります。 いま筑紫にいて、ひそかに語っていうのに、『筑紫を割いて取り、三韓を自分に従わせたら、 天下を取ることができる』といっているそうです」といった。天皇は使を遣わして、武内宿禰を殺すことを命じた。武内宿禰はこれを嘆いて、「手前はもとより二心はない。忠心をもって君に仕えている。いま何の科で罪なくして死なねばならぬのか」といった。(中略) やっと朝廷にたどりつき、罪のないことを弁明した。天皇は武内宿禰と甘美内宿禰を対決させて問われた。二人は互いにゆずらず、是非がきめ難かった。天皇は神祇に祈り、探湯(神に祈誓して手を熱湯に入れ、ただれた者を邪とする)をさせられた。武内宿禰と甘美内宿禰は磯城川のほとりで探湯をした。そして、武内宿禰が勝った。そこで大刀をとって甘美内宿禰を倒し、殺してしまおうとした。天皇のお言葉で許されて、紀直らの先祖に賜わった。
武内宿禰は第12代景行天皇、第13代成務天皇、第14代仲哀天皇、そのあと神功皇后を挟んで、第15代応神天皇、第16代仁徳天皇と、5代にわたる天皇と神功皇后に仕えた忠臣で、280歳とも360歳ともいわれる長寿の持ち主です。
その長寿もさることながら、この話を読んでもっとも引っかかったのが次のことです。武内宿禰は神功皇后に仕えていた時、皇后の御子を次の天皇にするために忠臣の限りを尽くして皇后の指示に従いました。仲哀天皇殺害の嫌疑がかかる神託、海を渡って三韓征伐に従軍、皇位継承権のある香坂王・忍熊王の討伐などなど。その結果として即位した応神天皇が寄りにも寄って簡単に讒言に引っかかってしまい、大恩人である武内宿禰を殺そうとしたのです。
それで、以前から少し気になっていたこともあって武内宿禰という人物を詳しく調べてみようと思いました。手軽に手に入る資料が必ずしも豊富にあるわけではない中、想像力を働かせながら少しづつ自分が納得できる形で整理ができてきました。近いうちにブログで発信したいと思います。倭の五王の勉強は少し先になりそうです。