本と活字と紙の狭間で ~自費出版アドバイザーの独り言~(1)
はじまりのはじまり
「これはガーゼ?」にしては目の粗い布の塊が妙に気になった、入学間もない小学生。
表紙もベロっと取れかかった父の古いハードカバーの辞典が、物置の奥で埃の衣装をまとって転がっていた。
その取れそうになった背表紙の間から繊維がほどけて見えていたのだが、当時は何なのかよくわからなかった。それが上製本の背部分を固定させる布なのだと理解したのは、もう少し大きくなってからだった。
もともと読書は好きだったのだが、いわゆる活字中毒になったのは中学校生活も終わりに近づいた辺りだろうか。それを境に自他ともに認める究極の体育会系少女から究極のインドア派に転換してしまった私は〝本が好き(読書として)〟から〝活字が好き(鑑賞物として)〟を経て〝本が好き(書籍という物体)〟に移り変わってきた。
三次元物体である書籍に恋した私は文章を書くことにも目覚めたのだが、「自分の本を出版したい」ではなく「書籍(物体)を創りたい」と斜め上に想いを募らせ、出版社ではなく印刷会社に就職することにした。この辺りは職人気質というか、自分の手でモノづくりをしたいという気持ちから…だけではなく、会社が自宅から近かったからでもある。
その後、あのガーゼのような物は『寒冷紗』という名であることを知った。けれどホームセンターなどで販売している園芸や農作業で使う繊細な風貌の寒冷紗よりもかなり目が粗く、製本に使われているこれも『寒冷紗』だというのは未だに謎である。
当時の印刷会社はまだ和文タイプライターや写植、活版印刷が普通で、電算写植機に一部移り変わろうとしている時代だった。日本語ワードプロセッサー(ワープロ)の導入は夢のまた夢というくらい高価なものだった。
やがてワープロが誰にでも買える値段になり、ペラペラしたフロッピーディクスが8インチだ、5.25インチだ、3.5インチだ、2DDだの2HDだの言っているうちに、ごっついMOに取って代わった。記憶メディアの変遷と同期したMacintoshとWindowsの登場でワープロ瞬殺。ナンマンダブ。
そんな今で言うところのDTPに長年どっかり胡坐をかいて、原稿と校正の活字にうほうほ喜んでいる毎日だったのだが、なぜか営業部に転籍することになったのが10年ほど前のこと。
「営業……本(物体)が創れるじゃん!」とこれを機に、かねてから気になっていた『自費出版アドバイザー』の資格を取得することにした。
※自費出版アドバイザーという仕事を通してのいろいろな出来事や書籍作りをハーフフィクションで語っていきたいと思います。毎週更新を目標にしていますが、実務が立て込むと放置してしまうかも知れません。気長にお付き合いください。