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#1.和歌山旅行記『八咫烏、舞い降りし甦りの聖地 〜熊野本宮大社〜』

このブログをスタートした日。
わたしは和歌山県行きの夜行バスに乗っていました。バスの中で眠りに就く前に、最初の記事を書きあげました。

それが、2021年11月12日のことーー。

まだ記憶の新しいうちに、和歌山での旅レポートを書いておこうと思います!和歌山県・・・一泊二日で観光するには広すぎる。今回旅をしたのは、紀伊山地の霊場 熊野三山です。

とにかく移動時間が長かった。そのため、計画通りスケジュールをこなせるか一抹の不安がありました・・・。けれど、終わってみればすべてが難なくスムーズに進み、また色々なところでこの地に歓迎されているかのような出来事がありました。

長くなってしまうので、何回かに分けて記事を投稿していきます。和歌山県 熊野三山の御神気と魅力をたっぷりとお届けしたいと思います!最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

星をつむぎ、水をつなぐ
世界平和への祈り
幸せくくり旅 IN 熊野
『八咫烏、舞い降りし甦りの聖地』
2021.11.13-14

和歌山駅前

夜行バスが到着したのは和歌山駅前。この日もお天気に恵まれました。休日の和歌山駅はゆっくり目のスタートなのかな。そんなに朝早くもありませんでしたが、あまり人が出歩いていません。

伊右衛門 ジャスミン茶/おみくじ

京都・奈良よりも遠くに行く時はやはり三列シートがいいよね、うん。バスの中でなんとなくお茶のペットボトルを見ていたら、おみくじがついていることに気が付きました。
皆さん、ご存知でした? 剥がしてめくると結果がわかるタイプのもので、ペリペリペリ〜っと剥がしてみると・・・・・・おおっ、大吉じゃん?!なんだか幸先がいい感じー!!

駅の近くでレンタカーを借ります。ここ和歌山市から熊野方面までは車で約三時間ほどかかります。夜行バスで何時間も揺られた後にまた長時間移動がつづく・・・。となると、この時点で心が折れかかる人もいるかもしれません(笑)
安全運転とは言え、時間的にもあんまりトロトロ走らせる訳にもいかないので、運転はすべて旅の相方 Sakiちゃんが担当してくれました。ありがとうございまーす🖤 駅周辺でサクッと朝食を済ませて、いざ熊野へ出発です!

熊野本宮大社くまのほんぐうたいしゃ

熊野本宮大社/鳥居

熊野本宮大社とは・・・?
http://www.hongutaisha.jp/

御由緒
熊野連山の三千六百峰を形成する、果無山脈。その山間を縫うが如く流れ、太平洋へと続く熊野川は、まさに熊野の大動脈です。この熊野川の中枢に、古代より熊野巫大神の鎮座されるお宮が、熊野本宮大社です。熊野本宮大社は過去「熊野坐神社(くまのにいますじんじゃ)」と号し、熊野の神と言えば本宮のことを表していたものと推測されます。
熊野坐大神の御鎮座の年代は文献に明白ではありませんが、神武東征以前には既に御鎮座になったと云われており、社殿は崇神天皇65年(紀元前33年)に創建されたと『皇年代略記』や『神社縁起』に記されています。奈良朝の頃より仏教を取り入れ、平安朝以後は仏化により「熊野権現」と称し、神々に仏名を配するようになりました。熊野本宮大社は上・中・下社の三社から成るため、熊野三所権現と呼ばれています。また、十二殿に御祭神が鎮座ますことから、熊野十二社権現とも仰がれています。
平安当時、宇多法皇に始まる歴代法皇・上皇・女院の熊野御幸は百余度に及びました。幾度かの御幸に供奉した藤原定家が『明月記』の中で「感涙禁じ難し」と記しており 、困難な道を歩き御神前に詣でたことが、いかにありがたく、いかに御神徳が高かったかを窺い知ることができます。
1184年、第21代熊野別当に就任したのは、本宮・田辺を拠点とする田辺別当家の湛増でした。源平二氏の争乱に際し、湛増率いる熊野水軍が源氏側についたことにより、勝敗が決したと云われています。
南北朝から室町時代にかけては、皇族や貴族などの上流階級に代わり、武士や庶民の間に熊野信仰が広がりました。身分の貴賤や老若男女を問わず、全ての人を受け入れる懐の深さゆえ、熊野には大勢の人々が競って参詣し「蟻の熊野詣」と呼ばれる現象を起こすまでに至りました。
なお残念なことではありますが、明治二十二年の未曽有の大水害により社殿のうち中・下社が倒壊し、現在地に上四杜のみお祀りすることとなりました。他八社は石祠として旧社地大斎原にお祀りし、現在に至っております。

熊野本宮大社 公式サイト

御祭神
家都美御子大神けつみみこのおおかみ
素戔嗚尊すさのおのみこと
熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)に共通する「熊野十二所権現」と呼ばれる十二柱の神々です。

参道

初めに訪れたのは、和歌山県田辺市に鎮座する熊野本宮大社です。熊野三山の中心、全国に4700社以上ある熊野神社の総本宮。

写真でもお分かりの通り、もう少しで日が暮れそうです。この時、すでに夕方4時前くらいだったと思います。当初の予定としては、一日目に熊野本宮大社・熊野那智大社・熊野速玉大社の三社をめぐる予定だったんですが、もうここでそれは無理だということが確定しちゃいました・・・。どうしよ(笑)

明日の心配はあとでするとして。ようやく辿り着いた熊野です。参拝に来られた喜びを感じながら、目の前のことに集中しようか!
まずは参道の中腹に祓戸大神を祀るお社にお参りをして、身を清めます。

手水舎

更に階段をのぼって行くと、八咫烏の手水舎があります。熊野と言えば八咫烏ですよね!こんなご時世だからか、くちばしにマスク・・・(笑)

八咫烏とは、日本を統一した神武天皇を大和国の橿原まで先導した(神武東征)導きの神で、太陽の化身とされています。八咫烏の『八咫』とは大きく広いという意味で、三本の足があり、それぞれ天・地・人を表すと言われています。

日本サッカー協会のマークも八咫烏ですよね。サッカー好きの方は知っているかな? そのため、多くのサッカー関係者が必勝祈願に訪れるそうです。

こちらの門の向こう側に御社殿が鎮座しています。撮影はNGとの看板がありましたので、写真を載せられるのはここまでですが、奥には本宮・結宮など四つのお社が横一列に並んでいます 。

熊野三山について
熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社を合わせて熊野三山といいます。
熊野の神々は自然信仰に根ざしていましたが、奈良~平安時代にかけて熊野は仏教・密教・修験道の聖地ともなり、神=仏であるという考え方が広まりました。
その影響を受けた三山は結びつきを深め、同じ12柱の神々(=仏たち)をおまつりするようになります。熊野三山の神秘性はますます高まり、平安時代の末には「浄土への入り口」として多くの皇族や貴族がお参りするようになりました。
浄土へお参りし、帰ってくるということは、死と再生を意味します。そのため熊野三山は「よみがえりの聖地」として、今なお多くの人々の信仰を集めています。

熊野本宮大社/公式サイト

御祭神の家都美御子大神については、太陽の使いとされる八咫烏を神使とすることから太陽神とする説や、もともと中洲に鎮座していたことから水神とする説、他にも五十猛神や伊邪那美神とする説があり、菊理媛神とも関係するとの説もありますが、その素性は不詳とされているそうです。

八咫烏ポスト

社務所前にある多羅葉のご神木の下に設置された、真っ黒な八咫烏ポストが異彩を放っている・・・!黒はすべての色を合わせた尊い色。八咫烏の色であり、本宮の大地を象徴する神聖な色でもある。
社務所では、葉書として投函できる八咫烏ポスト絵馬が販売されています。手書きの葉書や手紙を送る機会が減ってしまった昨今。思い出の場所で、大切な人へ心のこもったお手紙を送るのはいかがでしょう?
聖地熊野から、太陽の使い八咫烏が届けてくれる手紙・・・そう考えると、適当なことは書けない(笑)

御朱印

限定の書き置き御朱印をいただきました!金色の稲穂と、バックにはこのあと参拝する旧社地大斎原の大鳥居が描かれています。

大鳥居

本宮大社参拝後、参道前の国道を渡って徒歩数分の場所にある大鳥居の方にもやって来ました。もうほんとね、すっごく綺麗だから!本宮大社に来たのならば、絶対に大鳥居にも行くべし。
この季節に来たからだと思うけど・・・、熊野って青々とした緑や紅葉よりも、金色の方が似合う気がする。わたしの中では、すすき=熊野のイメージが勝手に出来上がってしまった(笑)

大斎原の上空に現れた鳳凰

大鳥居をくぐり、本宮大社の旧社地である大斎原に参拝。こちらも写真NGなので残念ながらお見せすることが出来ません。
かつて熊野本宮大社は、熊野川・音無川・岩田川の合流地点にある大斎原おおゆのはらと呼ばれる中洲に鎮座していました。
この地に、神が舞い降りたと言います。近年はパワースポットとして多くの人が訪れるそう。空を見上げたらさ・・・・・・舞い降りてんじゃん、神さま!!(笑)

熊野川

水量も少なく、静かに流れる熊野川。川岸の方まで降りて行ってみると、小石がたくさん積み上げられていました。熊野川ではそういう風習があるのかな? それとも、山中でもよく見かける石積みアート的なやつ?? 日本人って好きだよね、あれ(笑)

大斎原から熊野川の河川敷へぐるっと回るような形で、本宮大社の駐車場まで戻ります。その途中で、伊邪那美命の荒御魂が祀られている産田社にも参拝しました。ぷらぷらとただ歩いているだけで、心身が、魂が浄化されます。もう一度、あの空気を感じたいわぁ〜。

河川敷を歩いていると、早速イベントが発生。散歩をしていた近所のおじいさんに話しかけられました。「どこから来たの?」「東京からです」と世間話から始まり、この辺りに関する歴史、お店や温泉などの情報をお話してくださいました。

その時、熊野川に一羽の鳥がやって来て、おじいさんは「あの鳥はアオサギだよ」と教えてくれました。ここでは長くなるので詳しく書きませんが、この時、“アオサギ”はわたしにとって重要なシンクロメッセージだったのです。
熊野に来る少し前、ソウルメイトと話をしていた時に、『散歩しているおじいさんとアオサギに遭遇し、おじいさんがアオサギだと教えてくれた』そんな出来事があったとソウルメイトから聞いていたのです。まったく似たような状況でイベントが起きている(笑)

一日目の夕食

ホテルは新宮駅の近くで取りました。熊野那智大社や熊野速玉大社へのアクセスが良さそうだったからです。
ホテルのチェックインの際に「諸事情によりお部屋が変更になりました」と謝られたのですが・・・。なぜか、お部屋がグレードアップしました!洋室のツインルームだったんだけど、二人で広々と使えた。ラッキーじゃん🖤

夕食は「焼肉が食べたい!」と、二人の意見が合致したので、ホテル近くの焼肉食べ放題に行きました。ご当地グルメじゃなくてごめんなさいっ。明日は早朝からハードなスケジュールをこなさなければならないし、たくさん食べてエネルギーチャージしとかなければと思い、調子に乗って食べ過ぎました(笑)めっちゃ苦しかったー。

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