医者

賢人ヒポクラテスが泣いている?   ~看護師がみたダメな医者1~

 医学の父と呼ばれる古代ギリシア人、ヒポクラテスはご存知でしょうか?かの大先生が遺した『ヒポクラテスの誓い』の一節がこちら。

「私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない」

「純粋と神聖をもってわが生涯を貫き、わが術を行う」

 今から3000年近く前の言葉、しかし現代の医者にもよく読んでもらいたいと感じた今回のエピソード。療養病棟であった2つのケース。
 こういう医者が、みなさんの周りにもいるかもしれません。

1 死ぬまで点滴は終わらない

 Aさんは80代女性。末期の癌で、根本的治療をできない状態だった。そして胃や腸も病んでいたため、ご飯も食べられず栄養や水分は点滴に頼らざる得なかった。ただ一点幸いと言えば、癌による痛みがないことだった。人柄は穏やかで、声をかけると「うん、大丈夫」と屈託のない笑顔で返してくれる方だった。
 点滴によって命をつないでいたAさんだったが、徐々に体に異変が現れる。巨大化し始めたのだ。
  巨大化の原因は浮腫。投与される点滴を体が処理しきれずに、浮腫(むくみ)となってしまっていた。浮腫は最初は足から始まり、手、顔とひろがり約1ヶ月で全身にひろがった。結果、体は1.5倍くらいの大きさになってしまった。手足はパンパンに腫れ上がり、まるで像の足の様。顔もすっかりむくんで、首が見えなくなってしまっていた。
 Aさんの点滴量は一日1000ml。ご飯が食べられない患者様にとっては適正かやや少ないくらい。ただAさんは水分の量を調節する腎臓が弱っていたし、過度の栄養不足だったのではむくみを起こしやすい状態だった。さらに寝たきりだったので、水分の量もそこまで必要でなかったのではないか……と私は思います。
 他の看護師もどんどんむくんでいく姿を見て、担当医であるB医師に点滴の量を調節したらどうかと相談をしました。
B医師「だってこれくらいの点滴は体に必要でしょ」
 という答え。確かに点滴は必要かもしれない。でも量を減らすことはできるのではないか、とも伝えましたが点滴の量は変わりませんでした。
 その後Aさんはさらにむくみがひどくなり、血管ももろくなり点滴の針が漏れやすくなりました。漏れる……とは点滴の針が入っている血管がなんらかの理由で壊れてしまい、薬液が血管外に漏れることを言います。漏れてしまったら、その針は使えず再度入れなおさないといけません。そしてむくむと血管が見えづらくなり、針を入れるのも困難になるのです。Aさんは様々なところを刺されました。手の先、足の先、ふともも……。針は一回で入ることは稀で、看護師が代わる代わる刺しました。刺された針穴からは体の行き場を失った水分(浸出液)が出ました。浸出液が出ないようにガーゼで圧迫しても、昼夜問わずぽたり、ぽたりと流れていました。
  この状況をB医師に伝えると
B医師「しょうがないよね。針を3回刺してもだめだったら、その日の点滴をやめていいよ」
 との答え。その後死ぬ間際まで点滴の量は変わらず、針を何度も刺されAさんは巨大化し続けた。ちなみにB医師がAさんの全身をこまめに診察しているところは私の知る範囲ではほとんどなかった。
 そして数週間後Aさんが亡くなった時、私は心の底から「Aさん、本当に頑張ったね、お疲れ様」と声をかけました。
 体が水分の状態を調節できなるくらいまで、弱っている時は状況によっては点滴の量を減らすことは患者様にとって益があることと私は思います。また点滴の針を血管に入れることが困難の場合は皮下に点滴をする場合もあります。しかし看護師が提言しても、担当医が首を縦にふらなければ「担当医が思う最善の医療」が行われ続けるのが、ある病院の現状です。 

ヒポクラテス「私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない」


2 その治療は患者のため? 病院のため?

 B医師は朗らかなお医者さん。物腰は柔らかいのですが、時々「あれっ」と思わせることをする。数ヶ月前に食事から点滴に切り替えた患者様について、B医師に尋ねると「あれ、この人ご飯食べてなかったっけ?」とか看護師でもわかる基本的な心電図がわからなかったりする。その時点で私としては残念な医者なのですが。
 とある患者様が肺炎の状態から回復。体内の酸素が一時足りなかったので、酸素投与もしていたのですが、それも必要にならなくなっていた。そこでB医師に酸素投与中止にする旨を伝えると
B医師「いいよ、酸素つけたままで。区分がとれなくなっちゃうから」
 との答え。区分とは医療区分のこと。酸素と使ったり、中心静脈点滴をしていると「区分がとれる」。「区分がとれない」患者様が多いと入院基本料下がる(病院の収益が落ちる)ということになります。
 なので病院利益のために、必要のない酸素投与を続ける、ということになります。酸素も使い続けては有害事象が出てくるのですが……。
 ただ、これはB医師だけのことではないと私は思います。同じ病院の他の医師も治療にあたって区分を気にしているフシがあります。看護師の間でも療養病棟は収入にならない、という声をちらほら聞きます。収入を確保するためにあの手この手を使わなければ、病院が成り立たない……これはおそらく療養病棟をかかえる全国の病院全体で起きていることかもしれません。
 しかし病院の収入面を考えて患者の治療が決まる、というのもどこかしっくりこないのは私だけでしょうか。

ヒポクラテス「純粋と神聖をもってわが生涯を貫き、わが術を行う」

3 最後に ~ダメな医者・病院にあわないために~

 以前良い医者の選び方でふれていますが、自衛が大事になってきます。
自分や家族がなんらかの病気や怪我で入院しているとします。そのまま何事もなく治って退院していくのが一番ですが、不測の事態も起こることはままあります。その時には医師からの説明を自ら希望してください。そして納得のできる説明ができるかどうかが、良い医者・ダメな医者の判別のひとつです。また納得するためには自身で病気のことや体のことを調べるのも必要です。どうしても納得がいかない場合はセカンドオピニオン(違う医者にかかること)を検討してください。そして看護師と仲良くなりましょう。仲良くなることで看護師の視点(第三者の視点)でアドバイスをもらえるかもしれません。
 唯一無二である自分や家族のためです、医師や病院にまかせっきりはやめましょう。
 そしてどんなことをしても長生きしたいのか、多少短くなっても納得した人生を送りたいのか……最期をも含めた人生のビジョンを描いておくのも重要です。

 医療区分の話などは、日本の医療界全体にも関わる話なので私自身もこれから勉強していかなければならない領域です。そして一個人ではどうにもならない領域でもあります。この記事を通して皆様にも問題意識を持ってもらえれば幸いです。
 今回の白衣の天使がお届けする黒い戯言は
「現代の一部の医者を見てヒポクラテスは嘆いているかもしれない。でも実際に泣いているのは患者や家族達だ」
というところで。今日も読んで頂きありがとうございました。

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てんぺい@看護師兼宇宙一幸せな随筆家
幸せです! 奥様に大福を、愛娘ちゃんにはカワイイ洋服を購入させて頂きます🌟 さらに良い記事をお届けできるよう頑張ります♪