図書館

黒い戯言12 これからの必須科目

「今日は英語を習っていたの」

 街中を歩いているとランドセルの子供の言葉が耳に入る。そうか、今の小学生は英語を学んでいるんですね。それどころかパソコンの授業もやっているのだとか。私の子供の頃はなかったなぁ。子供の頃の記憶はあんまりなくて(特に勉強)、雲梯から降りられなかったことはなぜか記憶に残ってます。
 確かに文明の発達が瞬きする間に進む昨今、英語やパソコンの知識も必要なのでしょう。でも、こうも思うのです。もっと子供の頃から学ばなきゃいけないことあるのではないかって。読書が好きな私は英語より日本語大事に! という思いもあります。いやいやそれよりももっと大事なこと。
『自分の体』と『老いと死』。
 

『自分の体』
 教科名だとすると『人間生命』とかになるのかな。なんか壮大ですが。
 この仕事をしていると、あまりに自身の体に無頓着な患者様をみかけます。きっと自分が『どうやって今生きているのか』がわかっていないんだろうな、と。自分の体なのに。体に起きていることは医者任せ・病院任せ。体中の臓器、組織が絶え間なく働いてこその『生』なのに。機械みたいに替えがきかないことなんだけどなぁ。中にはネットやテレビでの情報を見て、満足している方もいらっしゃるかもしれない。「~~が高血圧に効く!」とか「~~が危険なサインだ!」みたいな。全く勉強にならないとは思わないし、私自身も勉強になることもある。でもそれは断片的なもの。命を知るということは、そんなツマミ食いですむようなものではないのです。
 もちろん、医療従事者のような知識を学ぶ必要も時間もないでしょう。でもせめて今のカリキュラムよりもっと人間の体の知識を学ぶ時間を増やして欲しい。そうすれば眉唾の民間療法に惑わされることも、自分の命を蔑ろにすることも、人の命を脅かすこともほんのちょっと減らせるかもしれない。……仕事で生活指導をする手間がちょっと省けるな、という本音もありますが(笑)

 『老いと死』
 教科名は『老成』『終焉』? ピンとこないですねー……。
 少しずつ尊厳死や安楽死を認めよう、という声がネットやテレビで聞こえるようになりました。それでも病院という現場にいるとまだまだ「どんな形でもいいから長生きさせてください」という家族はいます。そういう家族の気持ちもわかります。ただ、延命をした結果の『生き地獄』のことは知っているのかな……と思ってしまいます。『生き地獄』、についてはまた別の機会に詳しく記します。
 アルフォンス・デーケン先生の『よく生きよく笑いよき死を出会う』を読んで日本はまだまだ死は忌避する文化だなぁ、と感じました。沖縄地方には生と死がつながっている、という考え・風習はあるようですね。しかし都市部は核家族化も進んで、人が老いていく過程やどうやって人が死に向かっていくかをみる機会が少なくなってきているように思います。人が必ず通る道なのに、なぜそれを知る。学ぶ機会が子供の頃にないのだろう……と思うのです。生に満ち溢れた子供に死を教えるのは不謹慎! と思われる方もいるかもしれない。でも死は生のたどり着く所、死を知らずにいることこそが不謹慎だと私は思います。社会科見学でも修学旅行でもいいです、半日でもかけて療養型病院とか特別養護老人ホームの見学に行くのはどうでしょう? 寝たきり、オムツ、認知症。教科書やネットではわからないリアルがそこにあります。プライバシーの問題とかクリアしなきゃいけない問題が多いでしょうが、多感な時期に『日本の現状、老いの現状』を知ってもらうことは大きな学びになると思います。あ、引率者の先生も学びになりそうですね。

 今日は久しぶりのせいか全体的に黒い要素が強い気が。あえて言うなら『国会議員は全員療養病棟で1ヶ月研修しなければならない』とかあれば世の中変わるかもね、という本日の黒い戯言でした。

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