ピカソに想いを馳せる、正直者。
みなさんごきげんよう、ちょいと憂ってる神聖幾何学マニア★姫です。
なんかね、今日ふと思ったんだけど。
ピカソみたいに、亡くなってから評価を受けるとは、いったいどういう感覚なんだろう。
ピカっさんのことはこちら。
意外とイケメソだったんだね、ピカっさん。
(気軽にピカっさん呼ばわりしてごめんね、ピカっさん。)
スピリチュアル的には、人が誰か死んだとしても、単純に肉体がなくなって意識体になるだけで、死んだからって何かが大きく変わるわけではない。
でも、この地球上では肉体を持っている、ということがひとつの大きな意味を持っていて、それを失うことは悲しいことだとされている。
まぁ "悲しい" っていう感覚は残された方の感情だから、本人的には果たしてどうなんだろうね。w
意識体になると、いいとか悪いとか、高いとか低いとか、優劣的な概念はなくなるし、基本的にラリってるレベルのライトさ (言い方w) で存在するようになるから、"何とも思わない" っていうのが感覚としては近いのかもしれない。
いや、今はそんなスピリチュアル的な話はどうでも良くて (じゃあ何で話したwww) とても三次元にいる私が、この世を憂いてしまっている。そんな今日。
というのは、本質を追究する者こそ、どんどん埋もれていく社会構造になっているのだということを、日々目の当たりにすることが増えてきたからである。
つまり、何をどうがんばろうが、がんばらなかろうが、マイノリティはいつだって、マジョリティから爪 (つま) 弾きにされる運命を背負っているのである。
お互いを尊重しようだの、多様性を認め合おうだの、そんなこと口ではいくらでも言えるのだが、それこそ、本当にソレの本質を理解した上で実際に運用出来る人がどれだけいますか?って。
表面上なら出来るかもしれないが、実際のところはまったく出来るわけがないと思う。
『みんなちがって、みんないい』
という金子みすゞさんのとっても素敵な言葉があるが、実際にそんなことしてたら、結構な割合で誰も彼もの精神が崩壊する。
し、普段内省をしない人であれば、崩壊していることに気が付かずに相当な疲弊をしてしまうことだろう。
それの深刻さも知らんと、『みんなちがって、みんないい』なんて、
私は口が裂けても絶対に言えないのだ。
どちらかというと、いつかTwitterで見かけた
『みんなちがって、みんな死ね』
『みんなちがって、みんなクソ』
の方がしっくりくるのである。www
ああ、ごめん。
こんなしょうもない毒を吐きたかったのではなくて。
なんかさ、すごく単純なことなんだけど、
子供みたいな意見だって分かっているんだけど、
とても真っ当なことを言っている人とか、
とてもがんばっている人とか、
そういう人が評価されない世の中なのが悔しい。
それよりも、
キレイな服で着飾って、
嘘八百並べて、
みんなで仲良くしましょー!
とか言ってる人の方が、どうしたって注目を集めてって、自分と同じようなニセモノを増産して、我が物顔してる。
でも結局、それを支持するのが上辺だけしか見ていないマジョリティ連中だから、マイノリティはどんどん追いやられて、行き場をなくす。
とってもとっても小さなコミュニティとかで、静かに真実を唱える。
そんな図式がひっくり返ったらどんなにかいいだろう、って思うんだけど、そうなったらなったできっとうまくいかないし、今はまだ成り立たない段階なんだろうとも思う。
ただの負け惜しみだと捉えられてしまったらそれまでだけど、どんな場所でも自分の声を上げ続けることが、先に繋がると信じたい。
これはきっと、自分が誰でも、相手が誰でも、置かれている環境がどうであっても、変わらないことなんだと思う。
ここでご都合主義的にスピリチュアルを持ち出すとしたら、
『そういう世界をあんたが自分で選択してるんでしょ?』
ちゃんちゃん。
で終わってしまうのだが。www
どうせなら私も生きているうちに評価されたいし、
私が勝手に憂ってる対象も、生きてるうちにみんな評価されるといいな。
そして今からこれからそういう世界をきちんと選び取ろうと私は決めている。
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コロナ禍でなんかパッとしない。何かを変えたい。
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