人生初の無職を語る
4月末に俗に言うブラック企業を退職し、初無職となりもうすぐ5カ月になります。ようやく内定をいただき、明るい兆しが見えてきたので、無職に至るまでの話や無職期間に感じたことを振り返りたいと思います。
無職は退屈でした
無職期間はどんな生活を送っていたかというと、毎日、目を皿のようにして求人を探し、週2回ほど筋トレに通って、週1回デートをして、月1回ハローワークに通う、みたいな生活を繰り返していました。
無収入なのに、なぜ筋トレに通えてデートもできていたかというと、実家暮らしで貯金があったこと、失業保険を受給していたことが理由です。実家暮らしって大きいよね。月1回、母親に渡している食費も無職の間は負けてくれて、すごく助かっていました。失業保険は90日間の受給制限がありますが、1カ月あたり新卒月給の手取り額くらいはもらえていました。
とはいえ、先行きの見えない無職というのは、とても不安だし退屈でした。
自分がまさか無職になるとは思っておらず、東京オリンピックが開催される頃はバリバリ働いて、プロになっているかななんて、明るい未来を思い描いていたけれど、現実は正反対でした。オリンピック期間は働いてすらいなかった…
それまでは仕事をすることが当たり前で日常だったので、無職でいる自分がすごく嫌いで、早く仕事したいと思っていました。かといって行きたい会社があまりないので、求人も月に3~4社くらいしか応募していませんでした。早く働きたいけど、行きたい会社・条件の合う会社が少ない、という難しさに頭を抱える日々でした。
人生で初めて無職になり、この心境の変化をいつかnoteにまとめておきたいと思っていました。人生の一つの体験として、素直な気持ちを書いておきたいと思います。
転職した理由
その前に、転職した理由と転職先の会社を約2カ月で辞めてしまった理由を綴っておきます。
私は新卒で入社したウェブの配信会社を約3年で退職し、その後小さな編集制作会社に転職しました。新卒で入社した会社は、同じ編集職の中では給与水準がかなり高く、毎日定時で帰り、健康的な毎日を過ごしていました。
でも、入社してから3年間ずっと「自分のやりたいことじゃない」という想いを心のどこかに抱えていました。会社の人はみんな良い人で、そんな私を受け入れてくれて、「好きなことやっていいよ」と言ってくれたりもしましたし、個人がやりたいことを尊重してくれる、自由度の高い会社でもありました。
何でもやりたいことをやっていいと言われても、会社の方針とズレていることをやるわけにはいかないし、どうしても会社のメディアの中でやれることは限られています。
子供の頃からやりたいと思っていた編集やライティングに携われて、ウェブにも雑誌制作にも関わることができたものの、専門色が強くて自分の好きなジャンルではないから、心のわだかまりは消えませんでした。
どんな仕事してるの?と周りの人に聞かれた時も、誇りを持って説明できませんでした。みんな口を揃えて「難しそうだね」と言うのだけど、なんだかそれも嫌で、後には必ず「本当にやりたいことじゃないんだけどね…」という説明をしないと気が済みませんでした。
入社3年目の終盤で転職活動を始めた時、親には反対されました。「こんなに条件の良い会社は他にないのだから、絶対に辞めるべきではない」「転職する意味がわからない」と言われました。
確かに同じ編集・ライター職で転職するなら、その会社以上に条件の良い会社はないとは思いましたが、私はまずはやりたいことができる会社に入ることが優先で、働き方や年収はその後についてくればいいと思いました。私は仕事をしていて「これを好きでやっているのだ」と誇れる自分でいたかったのです。
転職先の会社を2カ月で退職した経緯
そして、転職した会社は小さな編プロでした。社員数名で会社を立ち上げてからも数年しか経ってないくらいの極小会社です。小さい会社ながらも、これまで携わりたいと思っていたライフスタイルメディアの記事を書いたり、撮影のディレクションをしたり、学校系のパンフレットを作ったり、いろんな仕事がありました。
本当にやりたいことに近づけて、ここなら働いている自分に誇りを持てるとも思いました。
問題は業務量と会社の体制、社長の態度でした。私以外、全員未経験で20代前半で、仕事に慣れてもいないのに、月に何百本もの記事の納品ノルマを課されました。しかも仕事はその記事だけではないので、並行していろんなタスクを進めていかなければなりません。
社員数名しかいないのに、どう考えても締切日までに終わらない量のタスクを課され、それなのに社長は最終チェックしかしません。社員が残業をしているのに、社長は先に帰ってしまうことも多かったです。「私たちだけでは間に合わないので、手伝ってください」と助けをお願いしても、「全部お前たちの責任だ、何で俺がやるのか、舐めてんのか」と怒られました。
求人広告ではホワイトな企業を謳っており、小さい会社で心配だったから事前に社長にいくつか質問もして、大丈夫と思って入社しました。だけど入社したらまったく違ったので、社員みんなで「求人広告と違う、体制を変えてほしい」という旨も訴えました。一時期私たちの声に耳を傾けてくれたものの、すぐ元に戻り「ついていけなければ辞めて別の会社に行けばいい」の一点張りになってしまいました。
私はたったの数カ月しか働いていないから、頑張って続けようと思いましたが、その時点で毎日泣いているような状況で、働くことにストレスを感じ始めていました。社長の持ってきた仕事をただやらされている感覚で、「何でこんな思いしてまでやらなくてはいけないのか」という気持ちまで芽生えてしまいました。
社員みんなで泣いていて、社長についていけなくなり、全員で一斉に退職しました。会社の管理体制が悪いのだということを、知らしめたかったです。
こうして私は無職になり、求職活動の日々が始まりました。残業代が出るわけでもなく、土日に働いても代休も取得できない。編集職はみんなそんなものだし、根性がないと言われたらそれまでなのかもしれない。でも自分の体が壊れたら終わりなので、そうなる前に回避しようと思ったし、ノルマをこなすばかりで続けてもスキルも成長しないのではないかと思ったので辞めました。
会社が事前にある程度、見栄を張らずに現状を伝えてくれていたら、入社しなかったかなと思います。また、仕事自体は比較的楽しいと思えていたので、業務量、労働環境や社長の管理体制がもう少しマシだったら、続けていただろうとも思います。
「〜たら」と言い出したらキリがないので前を向くしかないのですけどね。
人生初の無職 心境の変化を語る
ここからは、無職になって感じたことをまとめておきます。
仕事の大切さに気づく
今まで働いてきた自分としては、いきなりニートになったので、無職になった日は心にぽっかり穴が空いたような気分になりました。仕事していないと毎日が退屈なのです。あのまま大量の仕事をこなしていたら、鬱病になっていたかもしれないと思いますが、逆に何もしていないと憂鬱になります。(鬱病になるよりは"憂鬱"のほうがまだマシだと思うけどね。)
自分の本意ではない仕事をしていた時もつまらないと思っていたけれど、それ以上につまらないです。会社という組織で働くことは、会社や社会から必要とされているということであって、それだけでも充足感を得られていたのだろうと思います。どこにも所属していないニートは、誰からも必要とされていないような状態で、何のために生きているのだろうという気分にまでなってきます。
もちろん仕事以外のことを生きがいにしている人もいるだろうけど、私の場合、仕事がなくなると本当に毎日つまらなくて、仕事って大事なものだったのだなと改めて気づかされました。
週5日朝から夕方まで働くと考えたら、人生において仕事はかなり大部分を占めることになります。求職活動をしているから何もしていないわけではないけれど、この何もしない週5日がすごく無駄なもののように思えてきます。同じ時間を過ごすなら、やはりやりたい仕事をするべきだと思いました。それだけ仕事は重要なものなのだと実感しました。
人と会いづらくなる
「何の仕事してるの?」と聞かれるのが辛い
私は人と会う時、誇れる自分でいたいと思っています。いつも完璧な自分でいたいということではありません。周りの友達も夢をもって頑張っている人が多いので、そんな人たちと会うのに自分がちゃんとしていないと申し訳なくなってしまうからです。
だから、無職になって人と会いづらくなりました。そもそもコロナ禍でなかなか友達には会えないけれど、やっぱり「無職です」とは言いづらくて、ありのままの自分をさらけ出すことを苦しく思いました。
そして、働いていた頃は当たり前の会話に思っていた「今何の仕事してるの?」という質問を重く感じるようになりました。以前、私自身も久しぶりに会った人や、初めてお会いした人などによく質問していました。
でも働いていない人にとっては、あまり触れてほしくない質問だったのかもしれないなと、無職になってから気づきました。通っている美容サロンやジムで、「今日はお仕事休みなんですか?」とか「何のお仕事されているんですか?」とか聞かれるのが面倒で。みんな仕事して生活しているのだから、ありふれた質問なのだけど、その度に胸が痛みます。
ありのままを説明したこともあれば、前職の話をして今は無職ということを言いそびれてしまったこともあります。そんな自分にことごとく嫌気がさしました。
のしかかる税金のストレス
会社に所属しなくなって、国民年金、健康保険、住民税を自分で払わなければならなくなりました。納付書の金額を見るたびに高いなと思って、生きているだけでお金ってかかるんだなと実感しました。実家暮らしで貯金があったから良かったけれど、そうでなかったら精神的にもっと辛かったと思います。
自分を見つめ直す時間
労働環境に余裕があったがやりたい仕事ではなく不満を抱えていた1社目、やりたい仕事ができたものの会社の体制に問題があった2社目。2つの会社を経て、次はどんな道に進むのか、何をしたいのか、改めて考えさせられる時間だったとも思います。
編集やライティング、取材、情報を伝える仕事をしたいということは変わらないけれど、給与や労働環境が悪い会社も多く、果たして自分はそこで生きていく覚悟があるのかという惑いもあり、前職で酷い体験を味わったので、そこにトラウマもありました。
就活で面接をするうちに、やっぱりこういう会社は合わないなとか、気づかされることもありました。就職先が見つからなかったら、伝手のある会社に頼んでフリーランスで働こうかなとかも考えました。
時間がたっぷりできたことで、これまでの自分を振り返りつつ、自分の将来や生き方を考える機会になったのは、良かったのかもしれないと思います。
働いて生きている世の中の皆さん、素晴らしい!
無職になって、就職先も見つからない、なかなか受からないとなると、働いている人すべてが素晴らしい存在に思えてきます笑!みんなどこかしらで働いて、お金を稼いで、生活しているんだなと思うと、それだけで偉いな、素晴らしいなと思います。
自分が働いている時は働く日常が当たり前で、そんなことはあまり思わなかったけど、無職になったら、世の中みんなそうやって生きているんだなと思わされて、みんなに拍手を送りたいと思いました笑👏🏻
また、別に会社に所属しなくてもいいし、アルバイトで働いてもいいし、いろんな選択肢があるんだよなと思って、人のキャリアや人生により興味が湧くようにもなりました。
いろんな感情が湧いた約5カ月の無職期間、長い人生のうちの、ほんの数カ月だと思ったら、大したことなかったと思えるかもしれません。自分にとって少しでも良い未来につながっていくといいなと思います。