2021年を振り返る①ー日常・仕事・旅行編
今年も1年を振り返る時期になった。
2021年はいろんなことが起こりすぎて、この1年は早かったような遅かったような、変な気分……
壁にぶち当たるような辛い経験もしたし、無職になって日々がつまらなくて焦る時期もあったし、そんな時期を超えて今は再就職して安定した生活を送っている。この1年を漢字で表すなら、「編」かなと思う。編集やライターの仕事について見直す年であったし、自分を再編集するような年でもあったから。
そんな2021年を振り返りたいと思う。昨年に倣って、①仕事と身の回りのこと、②エンタメ消費の出来事(大きく言えば推し活)の2つに分けて綴っていく。
まずは仕事と身の回りのことから。
1月・2月 有休消化で遊びまくる
新卒で入社し、3年間勤めた会社を2021年2月で退職。実質、2020年の年末年始休暇から、2021年2月末まで、まるまる2カ月ほど有給消化で休みだった。
本来ならこの2カ月で外国へ旅行にでも行けただろうと思うが、このご時世で叶わず。家でひたすら配信サービスで映画やドラマを観たり、TSUTAYAでDVDを借りたり、桜田通くんのイベントに足を運んだりと、いわゆる推し活に勤しんだ。このあたりは別記事で詳しく述べたいと思う。
年末年始は毎年、家族で旅行に行っており、2021年もGoToキャンペーンを使い、普段泊まれない東京の高級ホテルへの宿泊を予定していた。しかし、コロナ流行でGoToキャンペーンが中止。通常価格になってしまい、さすがに高すぎる!ということで、価格帯を少しだけ下げて、「第一ホテル東京」のスイートルームに泊まった。
窓からは東京タワーを中心にした夜景が綺麗に見える。サロンラウンジはフリーで使えるし、部屋にある酒類やソフトドリンクはすべて無料で飲み放題!アメニティや化粧品一式は、ロクシタンにポールスチュアートと、まさに"THE スイートルーム"という感じの待遇に、フランスのお嬢様になったかのような気分を味わえた。
3月・4月 転職、そして退職
3月から新しく小さな編集制作会社に入社した。マンションの一室をオフィスにした、いわゆる個人事務所のような会社で、社員は3人ほどしかいなかった。
入社して1日目に、数カ月前に入社したという他社員2名に「仕事してみてどうですか?」と聞いたら含み笑いをされ、何やら不穏な空気を感じた。オフィス利用の簡単な説明と大まかな業務内容を伺った後、すぐに業務に入った。書類の提出は保険証に関するものくらいで、勤務条件などの説明もほぼなかった。
1日目からコンビニや100円ショップなどで新商品の買い出しに行き、食べたり使ったりしながらレビューを書く仕事を行った。カメラマンさんに指示して撮ってもらった写真を使いながら、1日3〜6本のレビュー記事を執筆した。
他には雑誌の一部ページを編集したり、家電製品についてクライアント企業に話を伺って、広告タイアップ記事を作成したり、パンフレットを作ったりと、いろんな仕事があった。
入社3日目にして、仕事が終わらないから手伝ってほしいと他社員に言われ、23時まで会社で仕事をするハメになった。働くうちに、初日に感じた不穏な空気の意味がよくわかるようになった。
社長は利益のために大量の仕事を持ってきて、サポートはしてくれるものの、大半の仕事を社員に任せて、社員が残業していても気にせず先に退社する。
そもそも社長は、”編集の仕事は残業ありきだし、会社の体制の問題ではない”、”仕事が遅いのに残業代で稼ぐのはおかしい”、という考えだった。
4月中旬頃になり、どんどん自分に課されるタスクが増え、残業をせざるを得なくなった。入社前に提示されていた求人広告の内容と実態が違ったため、社員みんなで訴えたところ、一度改善の姿勢を見せたが、しばらくすると元に戻ってしまった。
あるとき社長に提案された。私たち社員の考えと、社長の考えの違いの問題だから、考えが違うと思うなら、別の会社に行けばいい。辞めるか辞めないか考えて、辞めたいなら辞めればいい。辞めないならそれなりの覚悟を持って続けてほしいと。
それで1人は辞めていった。私ともう1人は流石に数カ月で辞めることに気が引けて、残ることを決意した。
そして4月末、平日だけでは仕事が終わらないので、土日にも出社してほしいと言われた。私はその土日に誕生日を控えており、彼に事前にレストランを予約してもらっていた。誕生日でなければ出社しても良かったが、前々から準備してくれていた彼の気持ちを考えると、キャンセルさせるのは申し訳なく、誕生日の食事を差し置いて、仕事をしたいという気持ちもなかった。
好きな仕事のはずなのに、タスクが多すぎて"やらされている感"ばかりが先行した。社長が持ってきた大量の仕事をただやらされているだけ。質を重視したくてもスピードが求められ、自分の成長のためになるとも思えなかった。
挙げ句の果てに、締切ギリギリになるまでタスクが溜まってしまったのは、全部お前たちの責任だと怒られ、社員みんなで泣いた。
その土日を迎える前に社員1人が辞めると言い、私は辞められるとまた自分のタスクが増えてしまうと思いつつ、辞めるかどうか迷っていた。結局土日は誕生日を優先して彼と会い、一部始終を話した。彼に「全部会社が悪い。そんな会社辞めていいよ。社員全員で一斉退職して、社長に自分の過ちを思い知らせてやるしかない」と言われた。
彼が予約してくれた店に向かうまでの間、社長に思いの丈を文章で送り、退職の意向を伝えた。
こうして私は、入社して2カ月も経たないうちに辞めることとなった。今までで一番ナーバスな誕生日だった。でも辞めると決意したら、少し気持ちがスッキリした。
5月 無職生活の始まり&葉山~横浜旅行
4月の最終週から無職生活が始まった。無職になってまもなく、ゴールデンウィークに入り、葉山~横浜に旅行へ行った。ナーバスな気持ちが続いていたなか、旅行はとても良い気分転換になった。この旅行については、この記事でまとめている。
ゴールデンウィークが明けて、人生で初めてハローワークに行って失業保険を受け、細々と転職活動を始めた。業種は変わらずライター・編集で絞り、あとは勤務体制が自分と合うかどうかを面接で確認した。業界的に私がやりたい仕事で、かつ私が求めるような勤務体系の会社はあまりなく、5月は4社くらい受けた。
退職理由については隠さず正直に話すと決めていたが、反応は会社によって大きく違った。編集プロダクションには、「早起きや残業はこの世界では当たり前なのだから、そこは覚悟しないとダメ」「歯を食いしばって頑張った人が成長する世界」「同じメディアでも制作会社じゃなくて、発注する側の会社の方が合っているかもね」と言われたりもした。ベンチャー系のウェブメディア会社には「勤務体系が実態と違うって、事前に確認できなかったんですか?」と責めるようなことも言われた。
求める会社を見つけるのはなかなか難しかった。
無職期間の心境については、転職の経緯とともにこの記事で綴っている。
また、5月には前月分の給与が支払われないという非常事態が起こり、またこれも人生で初めて労基へ相談しに行った。会社へは連絡がつかなくなっており、電話もメールも無視される。会社とはしばらく攻防が続き、裁判寸前までいったが、数カ月後に無事支払われ、残業代まで回収することに成功した。この話についてはあまり詳しく書かないが、もし給与を払われず悩んでいる方がいれば、こっそり相談してもらえたらと思う。経験者のためアドバイスできることはあると思うから。
体験しないほうがいい経験ではあるが、なかなか貴重な体験だったとも言える。
6月 転職活動&アアルト展
無職期間は本当に暇だった。毎日目を皿のようにして会社を探すものの、そのうち自分にヒットするのは数社だけなので、リサーチが終わると何もすることがない。だからnoteを書いたり、本を読んだり、ピアノを弾いたり、コーヒーを淹れたり、無料配信でドラマを観たり。そんな感じで家で過ごしていた。
貯金はわりとあったし、1カ月に新卒の手取り月収くらいの失業保険も入る。なのにいつ再就職できるかもわからないし、”今現在無職である”という事実によって、お金を使うことはためらわれた。
でも週1回のデートは続けていた。面白いことに、彼もまた資格取得に向けて勉強するということで無職になり、一時的に無職カップルとなった。6月には、世田谷美術館で開催されていた「アイノとアルヴァ 二人のアアルト」という展示を観に行った。
フィンランドを代表する建築家・アアルト夫妻の建築物、食器、家具などが展示されていた。外観と室内設計だけでなく、それに合わせたインテリアや食器まで、たくさんの作品を生み出していて感心した。アルヴァ氏は仕事が楽しくて楽しくて仕方なくて、仕事を仕事と思っていなかったと聞いて、そんな天職と出会えるって素敵だな、羨ましいなと思った。
7月 転職活動・祖父母の遺品整理
7月も細々と転職活動を続けたが、7月は2回くらいしか面接も受けず、また暇だった。毎日オリンピックの様々な競技をテレビで観戦して、思った以上にスポーツ観戦を楽しめた。やはり自国開催は他国よりも盛り上がる。活躍する日本人選手の姿が無職の私にはまぶしく、みんな最高にかっこよかった。
また、亡くなった祖父母の家を建て替えることになり、大きな家のありとあらゆる物を両親と売りに行った。2人とも生前整理をすることなく逝ってしまったので、家にはたくさんの物があふれていて、すごく大変だった。しかも家が広いから尚更面倒で、売りに行っても意外とお金にならないものも多かった。
それにしても、知っている人の所有物って面白い。祖父の中高時代の成績表が現れたり、私の父が幼かった頃の写真や祖父母の結婚式の写真などが出てきたり、そのたびにじっくり見てしまうので、整理が進まなくなったりもした。無職の私にはいいボランティア(?)になったかもしれない。
8月 転職活動&軽井沢旅行
8月は面接がいい感じに進み、2社から良い感触を得た。これについては9月のところで述べたい。
8月末には、毎年恒例のようになっている軽井沢へ2泊3日の旅行へ行った。この時点で2社から実質内定のような形で面接が進んでいたため、旅行中にどちらにするかかなり悩んでいた。
軽井沢旅行については記事にしていなかったので、ここで軽くまとめたい。軽井沢では、昨年ホテルの前を通って気になっていた「ホセ・ルイス軽井沢」に泊まった。朝ごはんはこんな感じ。味はまあまあ。
夜に食べたパエリアが、出汁が濃厚で特においしかった。
軽井沢へは毎回、観光というより、自然を満喫したりカフェなどに行ったりして、のんびりまったり過ごす目的で旅行している。今年もカフェやレストランで、自然や食事を楽しんだ。1日目は「茜屋珈琲店 旧道店」。
珈琲と「高いがうまいお菓子」(チョコレートケーキ)をいただいた。昔ながらの古い喫茶店という印象で、あまり好きではない深煎りの珈琲も、苦くてストロングなのにまろやかさもありおいしかった。
ランチには「ピレネー」というビストロで、大きな暖炉で焼いたお肉をいただいたり。
夜には「川上庵」で居酒屋ディナーを楽しんだり。
翌日は、まず午前中に「RK GARDEN」でお茶。ヴィーガンレストランらしいが、食事はせずアイスティーを飲んだ。周りが木々で囲まれていて、家族と話しながらのんびりと過ごした。
次に「ヴィラデスト ガーデンファーム アンド ワイナリー」でランチ。
広大な敷地でぶどう畑を眺めながら、ワインとお料理を楽しめるワイナリー内のレストラン。ちょうど窓際の席だったので、ぶどう畑を一面に見渡せて気持ちいい。鮮魚のポワレも桃のデザートもおいしかった!
ドライブ途中で、雲場池にも寄った。水面に映る空と木々が美しい。
旅行最後のカフェは「ふりこ茶房」。森の中にある喫茶店で、また自然を眺めながらゆったり。
コーヒーと「カスタードクリーム 洋梨ソース添え」をいただいた。デザートもコーヒーもおいしくて、とても幸せな時間だった。
9月 2社から内定&再就職
9月には、2社から内定が出た。8月に面接を受けて感触が良かった2社である。
1社目は企業のブランディングやプロモーションなどを手掛ける会社で、仕事内容はサイトやウェブ記事の編集・ライティング。取材記事もある。正社員採用で、給与水準は私の1社目の会社とほぼ変わらず、残業ほぼなしだった。ただ業務内容が多岐にわたり、マーケティングなども関わってくるため、希望しない仕事も携わらなければならないかもしれないとのことだった。
2社目は料理や食系雑誌の編集部。ライティングというより編集メインで、全国各地のおいしいレストランに取材し、撮影ディレクションを行い、1冊の雑誌を作る。ただしアルバイト採用で、いつ正社員になれるかは約束ができないと言われた。また、編集部の方に残業時間を聞くと、月に50~60時間ほどで、休みは多くとるようにしているとの話だった。
希望職種としては後者の方がやりたいことに近く、興味のある食系に携われて、やりたかった雑誌編集の仕事ができるというのは嬉しいと感じた。しかし、給与水準の低いアルバイト採用で、いつ正社員になれるかもわからない、残業も多いとなってくると、2社目で犯した失敗と同じ失敗を繰り返すのではないかという懸念があった。さらにどちらかというと編集よりライティングをやりたいという希望があったので、ライティングができないのは残念と思うところもあった。
前者は、自分の興味のない仕事に携わらなければならない可能性もあるものの、採用条件に申し分はなく、やりたかったインタビューや取材もできる。編集・ライティングの仕事、どちらもできる。かなり悩んだものの、同じ過ちを繰り返したくないと思い、後者を選ぶことにした。
だが、決めた後も数日間は「これで良かったのか?」という自問自答を繰り返し、本当にやりたかったのは雑誌編集だったのではないかと悩んだりもした。本当は食雑誌の編集がやりたかったのだと大泣きまでした。
ちょうど将来の選択に悩んでいるとき、後者の会社は雑誌の売上が落ちていて、経営が非常に厳しく、リストラなどの過去もあると小耳に挟んだ。これだと同じ過ちを繰り返すことになるので、未練は少しあるもののやはり前者を選んで正解だったと思いこむことにした。
そして9月末、再就職を果たした。ハローワークから再就職手当も受け取り、無事入社。入社してみて、思った以上にホワイト企業だったので安心した。社員さんはみんな人当たりが良く、わからないことがあったらいろいろ聞いてくれるし、求人広告に嘘はなく、本当に残業はほぼない。ブラックだった2社目と比較すると、正反対の会社だった。
蓋を開けてみれば、私と同じような労働面で辛い境遇を経て、今の会社に来た社員が複数人いることがわかった。社長はクリエイティブな仕事をしているからこそ、定時で帰宅し、自由な時間に何かをすることが発想とか仕事につながるのだというような考えで、私もその意見に大いに賛成した。
制作系の会社で残業なしはほとんどないだろうと思っていたが、同じ考えの会社と出会えて良かった。
10月~11月 久しぶりの仕事、取材&執筆の日々
10月からさっそくウェブ記事の執筆のため取材へ行くこととなり、偶然今までお会いしてみたかった方に取材でお会いすることができたりした。研究家、スポーツコーチやアーティストなど、取材対象も多岐にわたった。人当たりの良い社員ばかりだったからか、会社にはすぐになじむことができ、入社して数週間でまるまる1本の取材記事を任された。中には体験記事もあった。
私が主にやりたかったのは人物取材だったので、それに携わることができて良かったと思う。もちろんやりたくない仕事がないわけではないが、間違いなく”良い会社”と言える。
12月 お風呂工事のため銭湯巡りの日々&レビュアー大賞受賞
12月には2週間ほど、お風呂リニューアル工事のため、自宅のお風呂が使えない状況だった。銭湯はシャワーのホースが伸びなかったり、古かったりすることに抵抗があり、スーパー銭湯に通おうという話になった。
この期間に訪れたスーパー銭湯は全部で4軒。高値についたが、普段は銭湯や温泉に行かない家族なので、新鮮で楽しかった。私は普段、そこまで長くお風呂に浸からないのに、炭酸泉やジェットバスなど、いろんな種類のお風呂があるため全部網羅しようと思い、すっかり長居してしまった。
お風呂がないから週末は贅沢にしたいと父が提案し、週末は都内のホテルに泊まった。バブル時代に流行ったという喫茶店「アンナミラーズ」で朝ごはんを食べたり。
翌週はパンのお店「ル・パン・コティディアン 芝公園店」で、パン朝食を食べたりした。
汐留にある「ザ ロイヤルパークホテル アイコニック 東京汐留」に泊まったら、某有名俳優が隣で受付をしていた。テレビ局が近いので、俳優さんもよく利用しているのかもしれない。せっかくだからとスイートルーム。部屋から見える夜景がとても綺麗だった。
この2週間はお風呂がない不便さを感じる一方、新しい体験ができて楽しい期間でもあった。お風呂がないことにつけこんで、贅沢しすぎだとは思うが笑。工事が終わり、リニューアルされた自宅のお風呂に入り、家にお風呂があるって最高!幸せなことだと実感した。
最後にお台場でぶらぶらして帰宅。快晴で自由の女神とレインボーブリッジの景色が綺麗だった🗽
また、12月は昨年に引き続き、読書メーター×ダ・ヴィンチのレビュアー大賞で、ベストレビュアー賞をいただいた。今年は汐見夏衛さんの『明日の世界が君に優しくありますように』についてのレビューだ。
また図書カード1万円をいただけたこと、本好きとしてはとても嬉しい。この作品は『海に願いを 風に祈りを そして君に誓いを』の続編だが、私はこの『明日の世界が君に優しくありますように』のほうが好きだった。読みやすく、素敵で優しい作品なのでおすすめしたい。ちなみに前作はベタ甘ラブストーリーとなっている。
まとめ
有休休暇の2カ月から始まり、ブラックな会社に転職して2カ月足らずで退職、5カ月無職になり、ホワイトな会社に再就職。1年にいろいろありすぎて、激動の1年だった。
転職して働き始めたら、業務量が多すぎて毎日仕事に追われてたくさん泣いていた。無職になってしまったときは、これからどうやって生きていこうとか、自分のやりたい仕事ができて勤務体制もちゃんとしている会社なんてないのではないかとか、不安や焦りでいっぱいだった。でも今は無事にそんなことを乗り越えて、安定した日々を送っている。
有給休暇と無職期間を合わせると、ほとんど仕事をしていない1年ともなったが、良いことも悪いことも、この1年すべての体験が今後の自分につながっていくのだろうと思う。
来年は大きなトラブルなく、健康に楽しく過ごせるといいなと願う。