2020年を振り返る①ー日常・仕事・身の回りのこと
2020年は遥か遠くの未来だと思っていた。過ぎた今でもそんな感じがする。
10年前、15歳だった私は東京五輪が開催される未来の自分を想像し、25歳かぁ〜、バリバリのキャリアウーマンだろうな、東京五輪で何かしら貢献したいな、なんて思っていた。
実際に25歳になった私はバリバリっていうほど全然イケてないし、子供の頃や10年前に思い描いていた理想の自分にはなれていなかった。
新型コロナの流行で大きく時代が変わった2020年。激動の年だったけど、私自身は停滞している年だったなと思う。仕事へのモチベーションを失い、エンタメ三昧の日々。仕事、日常、エンタメ消費生活と、すべて混ぜて書いていたら、ものすごい量の文章になってしまったから、いくつか記事を分けることにした。
まずは日常、仕事、身の回りのことについてを振り返ってみる。停滞の年だと思っていたが、振り返ってみたら意外といろいろあった。
1月〜両親の肺炎と祖父の旅立ち〜
両親の肺炎と滋賀への旅
1月は我が家にとって波乱の幕開けとなった。まず年末に母が突然高熱を出し、体調不良のなか、滋賀への旅行に行った。出発当日には熱が下がっていたので、まだ体調は万全ではなかったが強行突破で出かけたのだった。
頭痛と咳はずっと続いており、帰宅するまで完全復活には至らなかった。そして、旅行中に父まで「喉が痛い、頭が痛い」と言い出した。父も母と同じように突然の高熱で、フラフラになりながら観光地を巡った。
両親は観光を楽しむどころではなかったが、前々から予定し楽しみにしていた旅行だったから、キャンセルにはしたくない(今であれば許されない行為…)ということで、かなり無理をして頑張っていた。
ちなみにこの時、なぜ滋賀?とよく聞かれたが、私たちは47都道府県をほとんど訪問済みで、まだ行ったことのない場所というと、選択肢の数が限られてくる。そうして、今回は滋賀が選ばれた。
滋賀に旅行なんて渋いと言われがちだけど、とってもいいところだった。出版社の自遊人が運営する古民家ホテルに泊まった。古民家をリノベーションし、家族はほぼ一軒家のような感じで一戸建ての建物に泊まる。家の貸切みたいでワクワクした。
もちろん琵琶湖も行った。予想以上に広く大きくて驚いた。果てしなくどこまでも続く海のような湖だった。
両親が肺炎になりながらも無事(?)に終えた旅行。帰宅後、数日してから両親揃って病院に行くと、肺炎と診断された。インフルエンザを同時発症していた可能性もあったとか。吸引タイプの薬、飲み薬など、大量の薬をもらって帰ってきた。
今思えばあれはコロナだったのかもしれない。まだ日本でコロナが流行する前の時期で、検査ができる体制ではなかったからわからなかったけれど。両親は今までにないくらい辛そうだった。今までで最悪の年明けだったと思う。
祖父の旅立ち、祖父にまつわる話
1月末には、祖父が天国に旅立った。86歳だった。祖父はこれまで病気一つしたことのない、健康なおじいちゃんだった。
なのにここ数年、筋肉の衰えで悩み始め、それが老化ではなく病気のせいだということがわかった。筋無力症の一つで、筋肉が次第に落ちてなくなっていく病気だ。免疫力が強すぎて、自分の細胞が必要な細胞を食べてしまうなどと聞いた。
その病気を改善させるために入院したのに、薬が合わなかったとかで数日後、過呼吸になり、命が危ない状態になったので、祖父は究極の選択を迫られた。このまま何もしなければ数時間後に亡くなる。人工呼吸器をつければ命は救える。その代わり過酷な日々になる。どうするか?と。
祖父と父は話し合った。祖父はその時状態が落ち着いて意識はあったので、祖父自身で後者を選んだという。生きたいという気持ちが人一倍強い人だった。
そこからが長い。それから9カ月くらい生きた。私たち家族は1週間に一度くらい、祖父の元へ通った。若い人は人工呼吸器をつけたら、外すまで回復することができるが、もう祖父は85歳で心臓も弱っていたから、人工呼吸器を外せるようになることはないだろうと言われていた。あるとしても0.何%の世界だと。
それがなんと、人工呼吸器を外すまで回復したのだ。人工呼吸器をつけた祖父を見るのは本当に辛かった。初めて見た時はあまりの光景に泣いてしまった。でもその間も祖父は意識があり、ペンとボードを使って、私たちにいろんなことを伝えようとしてくれた。
人工呼吸器を外してからは、文字をちゃんと書けるまで回復し、メッセージボードで文字や絵を書いてくれてお話しした。
病院から介護老人ホームに移動して、その後は何度も命が危ない状態になり、救急車で病院に運ぶ→回復する→老人ホームに戻る、を数回繰り返した。この歳だと普通は一回心臓が危うくなったら終わりだと思うのだが、祖父は何度でも回復した。それだけ心臓や肺が強かったし、祖父自身も生きたいという気持ちが強かったんだと思う。
何度でも回復した祖父だから、その日もまたきっと大丈夫だろうと思っていた。その日は珍しく雪が降っていた。深夜に「病院に運ぶ」と連絡があり、家族全員でタクシーで病院に向かった。私たちが病院に着いた頃、ちょうど顔面蒼白の祖父がICUに運び込まれるところだった。
待合室で待機し、しばらくしてから亡くなったと告げられた。頭が真っ白になり、私はその場で気持ちが悪くなり失神しかけた。そんな私とは反して、祖父は穏やかな顔で眠っていた。
深夜に降りしきる雪の中、亡くなった祖父と霊柩車に乗った。たぶん2020年の初雪だった。雪の日に亡くなるなんて、まるでドラマのようだったから、創造性豊かな祖父の作り出したシチュエーションなのかなと、家族で話しながら帰った。あの日のことはずっと忘れないだろう。
祖父は晴れ男だ。私もその血を継いでいる。おかげでお通夜もお葬式も晴天だった。祖父はチェックシャツにスエードのスーツジャケット、お気に入りの赤いスカーフにハンチングを被り、いつもの姿で天国へ飛び立った。
祖父は偉大だった。大企業の副社長を務め、資産運用のプロだった。そのうえ勉強家で努力家、知的で物知り、いつもおしゃれ…良いところを挙げればキリがない。
亡くなった後も多くのお偉いさんからお悔やみの声、感謝の声が寄せられ、祖父がいかにすごい人であったかを思い知らされた。そのうえ様々な団体に募金をしていたようだ。
それなのに、祖父はそれを自慢したりひけらかしたりすることが一切なかった。募金をしていることも祖父の口から聞いたことはなかった。だから偉大なのだ。誇りのおじいちゃんだった。私も祖父のような大人になりたいと思う。
2月〜編集・ライター養成講座に通う週末〜
2019年12月から週末に編集・ライター養成講座に通い始め、2月までは教室で授業を受けていた。授業後は希望者みんなで飲みに行っていて、いろんな人と知り合えるのが楽しかった。平日仕事をしている中での受講で、不安もあったが、始まってしまえば、毎週末が楽しみになっていた。
編集・ライター養成講座の振り返りについては、noteでもまとめている。
最後にみんなで飲みに行ったのが2月22日だった。「行ったことのない場所へ行ってみよう」企画で、新宿のゴールデン街へ行った。私も一回も行ったことのない所で少し怖かったが、小さなバーがたくさん並んでいて面白かった。バーのママさんに未成年と間違えられた笑
飲んでいる途中で、一人フラッと入ってきた男性客が出版社の編集者だったのが驚き。これも何かのご縁だろう。スナックやバーは、こういう思いがけないことが起こるから楽しい。
その日を最後に、講座はしばらく休講となる。提出課題だけは少しあった。
3月~テレワークの始まり&ネットで知り合った友達と会う~
コロナ感染が拡大し、不安になってきた3月最終週。自宅で仕事したいと会社に自ら申し出た。その日から私は完全テレワークとなった。
3月末には、ネットで知り合った、はなちゃんという友達と初めて会った。私たちがネットで出会ったのはもう何年も前のこと。当時私は高校生で、彼女は中学生だった。読書好きのSNSを通して、読書の趣味が合い、歳が近いということで仲良くなった。いつか会おうと話していて、ネットで出会ってから6、7年越しに会うことができた。
はなちゃんは幼い頃から演劇が好きで、今では舞台女優として活躍。日々、演劇に励んでいる。会わなかった間の話、好きな本の話、仕事の話、将来の話… たくさんお話しできて、夢に向かって頑張っているはなちゃんをみて、私も頑張らなきゃと励まされた。彼女もnoteでその日のことを綴ってくれている。
それと、この日に行ったkate coffeeのケイトブレンドコーヒー(マイルド)が私の好みだった。また行きたい。
4月~外出自粛下で迎えた誕生日~
編集・ライター養成講座はしばらくお休みとなり、教室にまた通えるのか、これからどうなるのかと不安な日々が続いた。
緊急事態宣言により外出自粛期間に入り、家で誕生日を迎えることとなった。どこにも行けない、誰とも会えない。そんな日々が続くなか、母は私の好きな料理をたくさん作ってくれて、妹はなんと私の大好きなベリータルトを作ってくれた。どれも本当においしくて、家族に盛大に祝われ、私は涙を必死にこらえていた。
5月~編集・ライター養成講座の再開&テイクアウトごはんを楽しむ~
5月下旬から、オンラインで編集・ライター養成講座が再開した。教室で受講したい人は次期に延長することも可能と言われた。私も正直、リモートになっても受講料が安くなるわけではないし、教室で先生や生徒と向き合って話を聞いたり名刺交換したりすることに意味があると思った。
でも、私は早く卒業するためにオンラインでの受講を選んだ。新卒採用で本望ではない会社に入社した私は、仕事に対する興味とモチベーションを失い、3年を迎えて限界がきていた。そろそろ転職したい、この講座の受講や卒業制作の話は転職でも使えるのではないか。そう考え、早く卒業できるほうを選んだのだった。
また、テイクアウトを楽しみ始めたのもこの時期だ。我が家は今までウーバーイーツなどのテイクアウトをほとんど使ってこなかった。外出自粛で私がテレワークに、妹も大学がオンライン受講となり、家族そろって家にいる時間が増えた。父がウーバーイーツに初めて登録し、近所のいろんなお店から料理を取り寄せたり、お店に直接連絡して自分たちで取りに行ったり、滅多に利用しないピザの宅配を注文したりした。食事の幅が広がり、新鮮で楽しかった。
6月~note開始&社会人になって初の一人取材~
6月4日にnoteを始めた。noteは前から気になっていて、編集・ライター養成講座でも、編集者やライターには特におすすめと言われた。高校の時も趣味でブログを書いていたけど、やっぱり書くのは好きだと思った。自分の思っていることが言語化されて、思い出や記録になるのもいいなと思う。初めての記事は、たくさんの知らない方々に「スキ」をいただけて嬉しかった。
私の会社では、社員の完全テレワーク化を図り、オフィスを縮小化することになった。6月に一日だけ出社して、自分のデスク周りをすべて片付けに行った。あれ以来、一度も出社していない。
テレワークになってから、いっそう仕事をつまらなく感じるようになった。毎日の刺激がなく、ただロボットのように与えられた業務をこなすだけの日々。私は以前からもっと取材をしたいと思っており、ウェブメディアなのに取材をせずに他メディアの二次利用のような記事ばかり作っているのは、もったいないと思っていた。
上司もそれを理解しており、突然「なんでも好きなことをやっていい、どこに取材に行ってもいい」と言われた。そんなことを言っても、やはり会社の色や方針に合った記事を作らないと、その記事だけが浮いてしまう。だから、私は会社の色に合わせて、企業のニュースを執筆することにした。まずは興味のある企業の記者発表会に参加してみた。
最新型コーヒーメーカーの製品発表会が初の一人での取材だった。カメラマンがいないのでスマホで製品などを撮影し、説明を聞き、コーヒーを試飲し、最後は店員さんにおいしさの秘訣やマシーンの仕組みについてお話を伺った。こういう取材のお仕事、もっと増やしたいなと思った。
7月〜卒業制作~
7月には、編集・ライター養成講座が終盤にさしかかり、卒業制作に向け、憧れの横尾光子さんに取材をした。実は私は、今は閉店された「お茶とお菓子 横尾」の最後の客だった。もうすぐ閉店するということは聞いていたが、行ったら営業最終日で、それは偶然のことだった。閉店間際には、横尾さんと一緒に写真撮影をしていただいた。
取材を申し込む際、「私にお役に立てるお話なんてありません」と一度断られた。しかし、横尾さんと撮っていただいたお写真をお送りし、私が「お茶とお菓子 横尾」の最後の客であったこと、横尾さんのファンであることを熱く伝えたところ、取材を快くお引き受けくださった。
取材で緊張することはほとんどないのに、憧れの相手だったため、初めて緊張した。でも取材を始めたら、彼女のお話にすごく引き込まれて、緊張感も解けていった。最近は取材をほとんど断っているとのことだった。そんななかで、なぜ私の取材を引き受けてくださったのか伺うと、「あの写真を見ていたら、懐かしくて…」と嬉しそうに話してくれた。記事も横尾さんに喜んでいただけて、書くことのやりがいを感じた。
8月~講座修了と軽井沢旅行~
編集・ライター養成講座が修了を迎え、最後は数回だけまた教室で受けることができた。修了式も教室とオンライン同時開催で、好きな方を選択する形式となった。私は教室に足を運び、久しぶりに生徒たちとお話しした。仲良くなった女性の先輩とお昼ごはんも食べた。家族、恋人以外の人と食事をするのが久しぶりすぎて、やっぱりいいものだなと実感した。
13日からは有給休暇をとり、軽井沢へ3泊4日の旅行に出かけた。軽井沢は家族にとって第二の故郷のような場所で、何度も訪れている。というのも、軽井沢の森の中に、祖父が所有していた別荘があったからだ。別荘といっても、広くて綺麗な豪邸なんかじゃない。かなり狭く、今となっては古くて汚い。現在は売りに出しているが、買い手すら見つからないらしい…
軽井沢は車で行きやすいし、観光地を巡るというより、自然を眺めながらゆったりと落ち着いて過ごす場所だ。今回もオーベルジュやペンションに泊まり、おいしいものを食べる旅となった。
レイクガーデンの中にあるフレンチで優雅なひとときを過ごしたり。
サジロカフェでカレーを食べたり。
朝ごはんがおいしいと噂の「御厨(みくりや)」さんで、かまど炊きごはんの朝食を食べたり。
これまで何度も訪れているカフェ、ラフィーネで、緑を眺めながらコーヒーを飲んでまったりしたり。
軽井沢では、こんな感じでゆったりまったり過ごした。
8月下旬には記者発表会にまたたくさん参加し、とろろそば専門店の試食会にも出かけた。
9月~転職活動を始める~
本格的に転職活動を始めた。人生で初めて転職エージェントの方と面談をした。ただ、納得のいく企業はなかなか見つからなかった。私の希望としては、編集・ライターの仕事であることが第一で、可能であればどちらの業務にも携われること、且つ興味分野であるライフスタイルに関わること、できるだけワークライフバランスが取れること、年収を極端に下げないこと… と、多くの希望条件があった。
転職エージェントでは別会社の2名の方とそれぞれ電話でお話ししたが、一人目の方からは厳しいお言葉をいただいた。残業時間の希望を伝えれば、「いやぁ難しいと思いますよ」と言われ、年収の希望を伝えれば「失礼ですが経験者とは言えないので、”年収を下げない”というのは厳しいと思います」と言われた。メディア業界は昔と比べれば改善されたものの、他と比べれば残業が多くて年収が低い世界で、私の希望は夢でしかないのかもしれないと思った。
その人は畳みかけるように言った。「経験者ではないので、契約社員になるとか、年収が下がるとか、そういうことも覚悟しておいた方がいいです」
私は第二新卒といえども、まったくの未経験ではなく、編集とライター業は学生時代から社会人にかけてずっと行ってきたし、業務の流れは把握している。それなのに「経験者ではない」と何度も言われたことが悔しかった。それに、自分で求人探しをしていて希望の会社が見つからないから、エージェントに相談したのに、「そんな企業は探せばあると思うけど、かなり数が限られてきます」と言われたので、相談した意味はあまりなかったなと思った。
でも私の理想が高いだけで、コンサルが言うことが現実なんだろうと思った。
二人目に相談したコンサルは女性で、経歴が私と似ていた。彼女もまた新卒採用で出版社に落ちまくり、今の会社にいるという、同じ運命を背負った仲間だった。彼女はとても優しい方で、メディア業界で紹介できるところは少ないけど、ぜひ紹介させてください!ということで、一社だけ紹介していただいた。9月に面接を受けたのはその一社だけだ。比較検証記事を書く会社だった。面接でうまく喋れず、会社と私のやりたいことが少し合わないということで、落ちたが…
10月〜転職活動で落ちまくる&運動を始める〜
10月上旬は気になる企業を数社受けた。出版社、雑誌を作る会社、ライターのプロダクション… ことごとく落とされた。9月にエントリーシートを提出した、ECサイトのメディア部門からもお祈りメールをもらった。
落選の理由は人気すぎるか、経験者優先採用か、私の意向と会社の方針が合致しないか、のどれかだと思う。面接で「ぜひその力、弊社で役立ててほしいです!」と言われた会社にも落ちるし、話が盛り上がってもなぜか適性検査で落ちるし…
ライター・編集で、しかもライフスタイル系というと、かなり人気職のようで、倍率も高かったと思う。社員口コミを見れば、「残業ばかりで入社は勧めない」とかマイナスなことばかり書かれていて、落ちて良かったかなと思う会社もあった。
こここそ私のやりたいことができる!面接でも社長と盛り上がった!一番私に合ってる会社だ!そう思った会社に落選して以降、私はしばらく転職活動を辞めてしまった。
それ以降、求人探しをしても希望条件の会社に巡り会えなかったからだ。業務内容として良さそうだと思っても、実際のコンテンツを見たら内容が薄っぺらい量産型の記事ばかりだったりして、受ける気力も起きなかった。あとは社員口コミが酷かったり、年収が低すぎたり、残業が多すぎたり…そんなこんなで、行きたいと思える会社は全然なかった。
そうして、いったん休もうと思って観始めたドラマが『コーヒー&バニラ』だった。ここから私は桜田通くんのファンになっていく。その経緯をここに綴っていたらかなり長くなってしまったので、このことについては別の記事にまとめることにした。
仕事では、記者発表会への参加を細々と続けていた。飲食店チェーンの新業態お披露目発表会に参加し、記事を書いた際には、取材先がとても喜んでくださった。喜びの声をいただくだけでも、嬉しくて救われた気持ちになった。人に想いを届けるって大事なことだなと改めて思った。感動とか喜びとか感謝とか、相手にどんどん伝えていくべきだし、私も伝えていきたいと思う。
10月末には、恋人に誕生日を遅れて祝ってもらった。鉄板焼の「かいか」さん。ここで飲んだリースリングが忘れられない。香り豊かでフルーティーでほんのり甘みもある。このリースリングを飲んでから、彼は白ワインに目覚めたようだ(お酒を全然飲めないのに笑)。
10月はgotoイートキャンペーンを最大限活用し、彼と毎週末いろんなお店でごはんを食べた。食べログ評価が低くてもおいしい店に巡り合えたりして、食べることが好きな私どもとしては、ありがたいキャンペーンだった。
それから、運動も始めた。母親が通っているトレーニング教室のようなところに通い始めた。
前々から運動がしたいと思っていた。デスクワークばかりで体を動かすことがなくなり、体がなまっていくのが嫌だった。中学高校では硬式テニス部で毎日のように練習に励んでいたが、それ以来、運動をしなくなってしまった。
母の紹介で1週間無料体験ができるということで、この機会に行ってみようと思い、通うことになった。有酸素運動とマシーンを使った筋トレを融合したトレーニングで、体力的にあまりキツくはない。でも程よい運動になって、週2回、仕事終わりに通うことが日課になった。
元体育会系の血は今だ健在のようで、一度通い始めるともっと行きたくなる不思議。仕事が忙しくなったら通えなくなりそうだけど、他のジムとかも探してみようかなと考え中だ。
11月~エンタメ三昧~
仕事と日常で11月に何をしたんだろうと考えたら、特に変化はなかった。求人探しは時折続けていたが、相変わらず行きたいと思う企業はなかった。11月は様々な動画配信アプリに登録して、無料お試し期間を有効に使い、通くんの出演作をただひたすら追っていた。
ピアノリサイタルや舞台にも行った。このエンタメばかりの日々については、別の記事で綴りたいと思う。
12月~内定獲得&ベストレビュアー大賞受賞~
いつものように求人探しをしていると、自分がやりたいことができそうで、他と比べると条件も良さそうな企業に出会った。複数の転職サイトを駆使して検索していたが、自分の納得いく企業が少ないと感じていたので、グーグルで「編集 ライター 求人」のような形で検索をかけていた。それで見つけた企業だった。
雑誌、企業の広告やウェブサイト、ウェブ記事、パンフレットなど、様々なコンテンツの制作を手掛ける編集プロダクションのような会社だった。希望があればライティングもできるとのことだった。
応募条件の中には「編集業務の流れがわかっている方」というような言葉があった。それを見た時、「私だ」と思った。大手の出版社などの編集業務は経験者採用が一般的で、それも「〇年の編集業務経験が必須」という条件が多い。私は一応編集業務もライター業務も行ってきたけど、一人で本を一冊作ったこともないし、企画やレイアウト作成は社会人になってからは携わっていない。今の自分は、未経験者と経験者の間くらいの位置にいると思っていた。
業務の流れを理解しているというのは、未経験とも言えないし、経験者とも言いがたい、それはまさに私のことであった。
子供の頃から出版社を目指してきたが、社会人になって仕事をするなかで、ひたすら企画を立てて、本を作って…を繰り返すのは、なんか違うかもしれないと思い始めていた。企画と構成だけ作って、中身は外注に任せる出版社も多い。それに、編集者は基本的に執筆はしない。私はどちらかというと、中身を作りたい、取材をして書きたい、編集もライターもやりたい。
大学時代に編プロでアルバイトをしていた時の楽しさは忘れられなかった。だからもしかして、出版社より編プロのほうがやりたいことに近いのかもしれない、とも思っていた。
そういうなかで見つけた企業だった。編集もライターもできて、取材もして、紙もウェブも関係なく様々なジャンルのコンテンツに携われる。私のやりたいことができると思った。
そして面接で代表の方と話し、私の関わりたかったカフェやグルメの記事・コンテンツにも携わる機会があるということ、代表と趣味が合いそうだということがわかった。「クオリティ重視だからかなり厳しめに添削するし、細かくいろいろ指摘すると思うけど、大丈夫か?」と何度も確認された。内容の薄っぺらい量産型の記事が嫌いで、そういうメディア会社には就職したくないと思っていたので、クオリティを重視する姿勢も私には合うと感じた。
内定はあっさりと出てしまった。9月に転職活動であんなに苦労した自分は何だったんだろうというくらいに。12月はこの一社しか受けなかった。就職活動は恋愛と似ているとよくいわれるが、本当にそうだと思う。結局は会社と自分の相性なのだと思う。
少人数の会社で不安も多いが、やりたいことができそうで、スキルアップできる環境だから、まずはここで経験を積みたいと思った。そうして、春の入社が決まった。
また、12月は読書メーター×ダ・ヴィンチのレビュアー大賞で、ベストレビュアー賞をいただいた。西加奈子さんの『i』についてのレビューだ。
図書カード1万円という、とても嬉しい景品をいただいた。昨年は「優秀レビュアー賞」だったので、自分の中で少しレベルアップできたことも、嬉しく思う。この『i』についての感想は、もう少し長くnoteにもまとめている。
プライベートでは、彼と付き合って5年目を迎えた。付き合って2年くらいの時期に、「いつか恵比寿のガストロノミー ジョエル・ロブションに行ってみたい」と言っていた。でもあまりにも高級なお店なので、社会人になって落ち着いてからでないと行けない。5年を迎える頃なら社会人3年目だし、良い区切りなのではないかと話し、5年の記念日で行くことを決めた。
そして無事にその日を迎えることができた。半年前から予約し、この日のために可愛いワンピースドレスも買った。いつも以上におしゃれして、お城のような空間で過ごす、その経験自体が新鮮で楽しく、いい思い出になった。
まとめ
波乱の幕開けから明るい兆しに終わった2020年。仕事へのモチベーションを失い、テレワークになり、エンタメを消費するばかりの日々を過ごしてきた。でも振り返れば、編集・ライター講座の受講や転職活動もあり、前に進む準備期間だったと言うこともできる。今年は消費活動だけでなく、生産活動が増えそうだ。
今年も良い年になりますように。コロナの一刻も早い収束を願っている。