見出し画像

【感想】「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」を観ようか迷っている方へ

巷では賛否両論が激しい「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」
観ようか迷っている方も多いのではないでしょうか?

(C) & TM DC (C) 2024 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved

そこで、実際に観に行った私がどう感じたのか、考察も交えてご紹介します。
(前半はネタバレなしの内容なので、未視聴でネタバレが怖い方も途中まではご覧いただけます。)
ちなみに私は映画マニアというわけではないので、映画評論家の方ほど難しいお話はできません。
あくまでも、「素人目線でどう感じたか」という前提で読んでいただければ幸いです。


ネタバレなしの感想


引き込まれるホアキンの演技力

まず内容云々は置いておいて、やはりホアキン・フェニックスの演技には引き込まれました。
吹き替え版を観たので、ホアキン自身のセリフ表現までは楽しむことができなかったのですが、とにかく雰囲気を作るのが上手すぎる。
心を持っていかれます。
セリフのないシーンでも、絶妙な表情の作り方と体の動きから、今のアーサーの心情や状況が手に取るように分かります。
前作よりも一層痩せていたので、役作りもかなり力を入れたのでしょうね…。

(C) & TM DC (C) 2024 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved

なぜ吹き替え版で観てしまったのか…泣
動画配信サービスでの配信がスタートしたら、ぜひ字幕版でもう一度観たいです!

ジョーカーファンではないからこそ楽しめる

今作は賛否が分かれる内容だと騒がれていましたが、個人的には面白かったなと感じました。
それは、私が「ジョーカーのファンではなかった」のが一因だと思っています。
もちろん前作の「ジョーカー」は好きですし、何度も観ました。
ですが、原作のジョーカーに思い入れがあったわけでも、「ジョーカー」自体に惹かれていたわけでもありません。
「社会に見放された不器用な男としてのアーサー」に愛着がありました。
ネタバレになってしまうので詳細は書けないのですが、
「ジョーカーとはこうあるべき」というこだわりがなかったからこそ、今作「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」も楽しめたのかもしれません。

完全にミュージカル映画

もうご存じの方もいるかもしれませんが、今作は前作にはなかったミュージカル要素があります。要素というか、めちゃくちゃ歌が多いです。
下手したらディズニー映画より多いかもしれない。

(C) & TM DC (C) 2024 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved

途中でガガ演じるリーが力強く歌うシーンがあるのですが、完全にレディーガガの自我が出てきていて笑いました。
ミュージカルである意味ももちろんあるのですが、苦手な方にはちょっときついかもしれません。
ですがガガはもちろん、ホアキンの歌唱力も高く、音楽好きとしては聴きごたえのあるシーンでした。


おすすめできない人

以上のことから、個人的には面白かった「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」ですが、以下の方はあまり楽しめないかもしれません…。

・自分の中に譲れないジョーカー像がある
・1で覚醒した、狂った殺人鬼としてのジョーカーが好きだった
・ミュージカルに苦手意識がある


おすすめできる人

逆に、以下のような方は今作も気に入るのではないかと思います!

・心の動きを映した映画を観るのが好き
・アーサー自身の葛藤を観たい
・ホアキンの演技に酔いしれたい


観て思ったこと、考察 ※ネタバレ注意


ここからはネタバレも含みますので、未視聴の方はご注意ください。

-------------------------------------------------------------------------------------

納得のミュージカル表現

今作はフォリアドゥ(=気持ちの繋がりが強い者同士で、妄想が伝染する疾患)を一つのテーマとしています。

今作の歌は、アーサーとリーの「妄想世界の共有」を表現するためのものだと思うのですが、個人的には納得のいく表現方法でした。
「歌以外でもいいだろう」という意見もありますが、歌には世界観や共感を作り出す力があります。
二人だけの世界を観客に分かりやすく表現できるという点で、歌を使ったのは最適解だと思いました。

アーサーの本当の姿

前作では、社会的弱者のアーサーが自身の内に秘めた狂気に気付き、ジョーカーという殺人鬼の顔が目覚める過程が描かれていました。
一方今作では、アーサーが「自分は何者なのか」を模索する様子が印象的です。
リーと出会い、本当の自分を受け入れてもらえたような感覚になったアーサーは、ジョーカーこそが自分の本性だと思い込みます。
そして、群衆も彼こそが強者に制裁を与えてくれるスーパーヒーローだと期待します。
ですが、結局は法や警察といった権力に逆らえない。理解者だと思っていたリーにも拒絶され、本当の自分は世界を変えることなんでできない弱くてちっぽけな存在だと、自分の無力さに気付いてしまいます。

(C) & TM DC (C) 2024 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved


衝撃のラスト

そして迎える衝撃のラスト。みんなが望むジョーカーになれなかったアーサーは、同じ刑務所の囚人に殺されます。
ようやく本当の自分に気付けたのに、その本当の自分は世間から必要とされていないということを示唆しているようで、観ていて辛かったです。
ですが、もともとアーサーは孤独ではありませんでした。元同僚のゲイリーや弁護士のメリーアンは、最後までジョーカーではなく、アーサーを見ていた。
ですが愛に飢えていたアーサーは、ジョーカーとして注目を浴びることを選び、二人から目を背けました。
愛情を履き違え、自分を見失い、本当の味方に気が付かない愚かさ
ようやく気付いたころにはもう後戻りできないところまで来ている。
これほどまでの悲劇はあるでしょうか。

監督が2を制作したのは、「ジョーカーの物語」という喜劇として終わらせるのではなく、アーサーの死という悲劇を以って幕を閉じるため、という意味合いもあったのではないかと思います。

確かに賛否は分かれそうだけど…

実際に鑑賞して、確かにこれは賛否が分かれるだろうな~と思いました。
突然のミュージカル要素だったり、アーサーの弱さに焦点が当てられた内容だったり、アーサーの死というラストだったり…
監督はこの賛否両論を想定内と語っていましたが、私はむしろ、賛否が分かれるように意図して作ったのでは?と考えてしまいます。

この映画を批判する人々と、ジョーカーになり切れなかったアーサーを見捨てる群衆の姿が重なるからです。
どちらも「弱者をあざ笑い除け者にする強者を次々と殺していくジョーカー」を望んでいたでしょう。
結局皆から愛されていたのはアーサーではなく、ジョーカーだった。
その重たい事実が現実世界でも証明されたようで、何かズドンと落ちてくるような感覚になりました。

アーサーを追い込んで殺したのは、あの囚人だけではないかもしれませんね。

(C) & TM DC (C) 2024 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集