himawari

夫と子どもと暮らす平凡で幸せな毎日。 だけどなんとなく感じる生きずらさと満たされない感、そして未来への不安。 「もっと自由に軽やかに生きたい」を叶えるための日々の記録。

himawari

夫と子どもと暮らす平凡で幸せな毎日。 だけどなんとなく感じる生きずらさと満たされない感、そして未来への不安。 「もっと自由に軽やかに生きたい」を叶えるための日々の記録。

最近の記事

摂食障害ママになる

過食嘔吐をするようになって十数年。 いい加減止めたかった。 お腹も心も苦しい。 どうせ吐く食べ物に課金しまくり。 みじめだった。 そんな私も結婚して妊娠した。 夫は私の摂食障害のことを知らない。 妊娠初期はつわりでほとんど食事ができなかった。 つわりが落ち着いてくると、 過食が再開した。 旦那の前でもトイレに行けた。 「つわりで気持ちが悪い。」 そう言えばバレないから。 妊娠後期になると 大きくなるお腹が苦しくて、 また食べる量が減った。 この頃は不思議と過食の欲求も

    • 摂食障害とゼロor100思考

      「もう食べちゃえ」 「吐けば大丈夫」 自分の中で過食スイッチが入る瞬間がある。 ピッとボタンを押されたみたいにはっきりと。 ・おかわりしすぎてしまったとき ・食後にデザートを食べてしまったとき ・甘いものを食べてしまったとき ・揚げ物を食べてしまったとき 「ちょっとならいいよね」 「たまにならいいよね」 そんな許可を自分に出せなかった。 そんなゆるさを持てなかった。 自分の中で、 食べていいものと食べてはいけないものがあった。 食べていい量が決まっていた。 そのルール

      • 摂食障害と大学生活

        食後の大量のデザートと 食事制限を繰り返していた 高校3年生。 大学生になり 一人暮らしを始めた私は 吐くことを覚えてしまった。 最初は 飲み会の後や食べ過ぎた時に たまーに吐く程度だった。 それが次第に、 「吐けるからいいや」と 大量に食べるようになった。 突然やってくる食べたい欲求。 「あと一口だけ。」を繰り返し、 「こんなに食べちゃった。」と思う。 これが過食のスタートの合図。 こうなるともう止められない。 苦しくなるまでひたすら食べて、吐く。 吐くために食べ

        • 摂食障害になった、そのきっかけ

          摂食障害になってもうすぐ20年が経つ。 きっかけは顧問の「もっと太れ。」だった。 高校生だった私はその言葉をそのまま 受け取って体重を増やそうとした。 運動部に所属していた私。 自覚は無かったけれど、 今思えば、確かに私は瘦せていた。 ダイエットをしていたわけでは無い。 お菓子も食べるし、 お昼にはお目当ての菓子パンを買うために 友達と一緒に購買へ走ることもあった。 それでも太らなかったのは、 運動部で毎日がっつり動いていたし、 通学でもたくさん歩いていたし、 お母さんの作

          過去のトラウマ「見てしまったもの」

          コーチングの中のワークの一つ、 「これまでずっと抱えてきた悩み」や「辛かった出来事」と向き合う時間。 その時にふと浮かんできたのが 実家でのある出来事。 ぼんやりとよみがえってくるあのときの情景。 部屋に陽が差している時間帯だった。 私はたぶん小学生か中学生だった。 家の電話に置いてある父親の携帯電話。当時はガラケーだった。 鳴っていた電話に「出てくれ」だったか、 「携帯を持ってきてくれ」だったか、 なんだかよく覚えていないけれど、父親に何かを頼まれた。 その時に見えて

          ¥300

          過去のトラウマ「見てしまったもの」

          ¥300

          コーチングを受けた話

          毎日なんとなく見ているインスタグラム。 そこでふとみつけたAC(アダルトチルドレン)についての投稿。 「アドルトチルドレン…この特徴なんか当てはまってる…。」 自分が抱えているなんとなくの不安や満たされない感、 帰省する度に喧嘩してしまう母親との関係、 これらの原因はもしかしてこれだった? 「心のもやもやを取り払って、気持ちの良い人間関係を築いて 軽やかに生きていきたい」 ずーっと心の奥にあったこの思いを叶えるきっかけになるかもしれない。 私はピンときた。 1馬力で主人の

          コーチングを受けた話