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ふと気を抜いたときに、ふとわかること。

実は遠ざかっていて、もう、そちらからの情報は使わない、と思っていたことがありました。

まあ、感情論的に嫌なことがなかったわけでもなかったし、世の中こんなものなのかー、と思わされた面もありました。

いろんな人の感情が渦巻いていて、私はしんどくなっていたのかもしれません。

とにかく距離を取りたかったのです。

ときは受験期。

ちょうど距離を取るにはいい時期でした。

忙殺されていましたから。


あるとき、ああ、カンカンになってたなあ・・・、とふと気づいたのです。

人間関係を整理しました。

いつも頭の中にいて、始終話す関係でもないのに、その方から言われたことを気にしている、もっと言うなら気を悪くしている、という方々が何人かいらっしゃいました。

もう、本当にコセコセしていたと思います。

幸い、生徒さんたちは、私から厳しさを見ても、コセコセという表現は出てこないようでした。

いや、人に対してではなくて、自分に対してコセコセしていたのだと思います。

いろんな人の言葉を真に受け、自分ばかり責めて、あれをしろ、これをしろ、と自分にダメ出しばかりしていました。



ちょっと気を抜いた形で、気楽にある会合に出てみました。

ZOOMでした。

先日宿題をサラッと出しておきました。

でも、さらっと仕上げたからこそ、なんだか自分が正直になって、殻が割れたような気がしたのです。

人の本音に関わるワークでした。

ああ、人ってこんなことを思っているんだな、と自分なら思わないかもしれないけれど、なんだか気づきがありました。

ああ、本当にコセコセしていたと思います。

宿題をやらなくちゃ、と思い詰めていたし、その道でしっかりやらなくちゃ、とも思っていました。

でも、ちょっと距離を置いてみると、見えてきたことがあったのです。

距離を取る、ということは大切です。


それは人との関係にもときに使います。

喧嘩になりそうになるんだったら、ちょっと距離を取る。

嫌になったら、少しだけ冷却期間を置いてみる。


一時は本も読めなくなっていました。

もちろん受験指導の大変さもあったでしょう。

でも、なんだか人のために働いているうちに、そしてちょっぴり自分のメンテナンスもしているうちに、本も読めるようになったし、映画も観ることができるようになりました。

今日は、先生に褒めていただいたことが嬉しかったのです。

今日のは褒めていただいたのかどうかわかりませんが、私にとってはとんでもない誉め言葉に聞こえたのでした。

今までだって褒めていただいていたことがあるのは、事実として覚えています。

でも、今日は、やけにすんなり、素直に先生の言葉を受け取ることができたのです。

ちょっとは成長したんだよなあ・・・。

と思っています。


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櫻井真弓/国語大好き!(&数学)
もしもサポートしていただけましたら、そのお金は文章を書いて人の役に立つための経験に使います。よろしくお願いいたします。この文章はサポートについて何も知らなかった私に、知らないうちにサポートしてくださった方のおかげで書いています。