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言葉が自分の姿勢を決める。
昨日は、あれこれ行動した日だった。
長い間の自分の思いを、それこそ仕事をする元気がなくなってしまいそうな、指導以外でのことを数か月心に持っていて、自分の気持ちを片付けた日だった。
私の感覚間違っていない。
私の常識も間違っていない。
と思えた。
だいたい、人にしっかり意見を明確に言えるときというのは、相手に伝わるものだ。
たとえそれが保身のために、尊大に振る舞い、自分の悪い面を隠すために威嚇していることであっても、信念があれば、相手よりもそもそも正しい分、強い。
先日から、弱さゆえの尊大さや、強く見せたり、相手を言い負かしたりする心理について、気づいている。
だいたい自信のある人というのは、謙虚だし、穏やかな表現をされる。相手のことを思っての忠告、とかというものとは別にして。
怖いから、威嚇する。
弱みがあるから尊大になる。
しっかりした仕事をしていないから、人の仕事を非難する。
やましいから逃げる。
不可抗力で仕方なくしてしまったことなら、さっさと潔く謝りもできるだろう・・・。
そんなこんなを考えていたら、もう、指導以外のことで気持ちを惑わすことなく、そういうことは人に任せることは任せて、できるだけ指導内容を充実して、自分が楽しい仕事の仕方をしたいと思えた。
私が最も尊敬する人は、謝れる人である。
自分が悪いと思ったら、しっかり謝ることができる。
それは、その人が、一生懸命生きてきた証左だと思っている。
今の自分には、そうするしかない。何もできない。だから、申し訳ない。
そんな謝り方ができる人は潔くて好きだ。
かつて、上司について、ある人(その人は、系列の上席の方の奥様。)に相談した。
悪いと思っていても、上司でいながら謝れる人がいたら、それは相当にできた人じゃないかしらねえ。
と言われて、そんなものか・・・、と思った。
だいたいそもそも男性の多い職場だった。
信頼していたからこそ、謝ってほしかった・・・。
などと言うのは、年齢を重ねた今、幻想に近いものだということを経験的に知っている。
だからこそ、私は謝れる人って、素敵だなあ、と思うのである。
かと言って、人間だれしも弱さをもっている。
その弱さを受け入れられる自分になりたいなあ、と思う。
自分の弱さも、人の弱さも。
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