誕生することへの祝福の言葉として
私はそもそも女の子が欲しかったのです。
娘も、
ねえ、○○ちゃん、男の子と女の子とどっちがいいと思う?
と聞いたら、
女の子ちゃん!
と即答していました。
婚家では、とにかく男児を・・・、ということで、娘の妊娠中に性別を聞いて女の子だったときには、義母から、
しばらく(がっかりされるから。)、お父さんには言わんといて。
と言われたほどの期待でした。
でも、お義父さんは、娘の誕生をとっても喜んでくださいました。
私は男の子なんて嫌だったのです。
だって、正直気持ち悪い。
男の子のおむつ替えなんてまっぴらごめんだわ・・・。
私が、
女の子がいいんだよね。
と話していたら、周りから、
いやいや、男の子産んだら、適当に周りに何でも買わせておけばいいのよ・・・。
と言われていました。
私は憮然としていました。
まあ、周りの期待もあるからしょうがない。妊婦検診で男の子だと分かったときには、すぐに婚家に電話しました。お昼間にお義母さんに電話したら、夜、お義父さんから電話が掛かってきました。
これで緊張の糸がぷっつり切れたみたいやね・・・。
と嬉しそうに、でも、ちょっと言葉の使い方がおかしいかな?と思ったけれど、まあまあ、うれしさが伝われば言葉はいいや、と思ってお聞きしていました。
なんだかお義父さんのおっしゃりたいことはわかります。
よーく伝わってきます。
まあ、これも親孝行。
と思う頃には、私の心は晴れやかっでした。
なぜなら、妊婦検診のときに、先生に性別をうかがったときのお言葉が素敵だったからです。
先生にお尋ねすると、
ああ、まだお伝えしていませんでしたかね?
ということで、超音波の映像をじっくりご覧になっています。
ややしばらくあって、
ああー、立派なものがついてますねえ・・・。
と本当に感動したようにおっしゃったのです。
何度も何度も妊婦に性別をおっしゃっているであろう先生の、この、つくづく感動したというような、
立派なもの・・・。
が私の心に響いたのです。
あああ、立派なものなんだ。こんな小さな赤ちゃんなのに、ちゃんと立派なものを身に着けて生まれてくるんだ・・・。
大きな感動が私にもじんわりきたのです。
きっと先生は、毎日毎日妊婦さんと対面されて、それに私はそちらで出産したわけではないのですが、たくさんのお産にお付き合いされてきたのでしょう。
本当に毎日感動しながら。
生命の不思議さにいつも驚きながら。
そのときに、私が、男の子より女の子がいいな、なんて言っていたことが、どうもよくある話題でありながら、自分が安易に語っていたことが大いに不謹慎に思われたのです。
性別も含めて、どの子もこの世に、その子なりの役割を持って生まれてきてくれるのでしょう。
この先生は、もう年配の先生でした。
お名前も、私の好きな漢文によく出てくる漢字と、かつて尊敬していた小学校の担任の先生のお名前の一字で構成されたお名前で、何とも素敵な学問的な意味がありそうで、ちょっと尊敬もし、憧れもしていました。
お名前の札を見るたびに、ちょっとした素敵な感じがありました。
その先生は、かつて娘を連れて行ったときに、なんにでも興味津々で、誰にでも話しかける娘が、超音波をご覧になっていらっしゃる先生に、
先生、何しているの?
とお聞きしたときには、
あのねえ、赤ちゃんとお話ししているの・・・。
とまるで娘と対等に話してくださいました。
この、赤ちゃんとお話ししているの・・・。
は、きっと先生の本音であったと思います。
あああ、ここでちょっと反省してしまいました。
私は、先生が赤ちゃんとお話ししている、というほどに、生徒から学ばせてもらう姿勢が最近あったのだろうか?と。
保護者の思いに謙虚に耳を傾けていただろうか?と。
偉大なお医者様と同列に語ることなどできませんが、でも、生徒から、保護者から、何を言われているのか?本心はなにか?困っていること、どうしたい、どうなりたいということを虚心で聞けているだろうか?
先生は、じーっとモニターをご覧になりながら、小さいことも見逃すまいと必死で、その赤ちゃんからの情報を受け止めようとしておられたのでしょう。
でなければ、いくら小さな子供との会話であったとしても、
赤ちゃんとお話ししている・・・。
という言葉など出てくるわけがありません。
その先生の、ご自分の仕事への謙虚さと真摯さに感動し、そのお言葉に包まれて、そののち、私は、嬉しい気持ちで息子の誕生を待つことになったのでした。
娘のときには、毎日、チャイコフスキーの「弦楽セレナード」を聴きながら、そして、斎藤茂吉の歌を書写して生まれてくるのを待っていました。
生まれてからも娘を抱っこして、セレナードに合わせて一緒に踊っていました。
息子のときには里帰りした後に、モーツアルトの「ディベルティメント」を買ってきて聴いていました。このディベルティメントはディベルティメント違いで、ヨーヨー・マの演奏でしたが、いつも、夫が会社の研修所で起床の音楽に使われていたと言っていて、私も大好きなディベルティメントとは「違いましたが、もう少し落ち着いたディベルティメントでした。この曲は、そのときに間違えていなかったらおそらくその後聞くことも知ることもお気に入りになることもなかったと思います。
こんな間違えするなよ!と自分に突っ込みを入れましたが、そもそもそうそうそういうことに詳しくはなく、好きな曲を選んだつもりの間抜けなことをしていました。
だからかな?ち子供たちが、ちょっと間抜けというか、おっとりしているところもあるのは・・・。(笑)
というより、性格が似ているのでしょうね。(笑)
息子を産んだ病院では、分娩時にかけてほしい曲のリクエストを聞いてくださる病院だったので、ディベルティメントをかけてもらいました。
奴は、ディベルティメントとともに生まれてきました。
生まれた赤ちゃんは、不細工でした。
よしよし、赤ちゃん、仲良くしようね!
と喜んで赤ちゃんに話しかけました。
分娩台の上にいる私に、看護師さんが電話を持ってきてくださったので、母に電話しました。
生まれたわ!不細工な子やわ!札幌に電話しといて!
夫がまだ起きていないであろう時刻でした。
私は、この、私とお揃いの不細工ちゃんがかわいくて仕方ありませんでした。
でかした!
と思いました。
だって、娘が生まれた時には、
あれ?この子、私の子どものはずやのに、えらいはっきりした顔立ちしてるなあ・・・?
と不審に思ってしまったのです。
確かに私が産んだばかりの子どもでしたから、私の子どもであることには違いないのです。
でも、息子は正真正銘私の子どもでした。(笑)
不細工な子は、朝の四時過ぎに生まれたのに、もう九時過ぎには私のそばにいました。
看護師さんが来られて、私が元気なのを見て、
赤ちゃん、持ってくる?
と聞かれたのです。
その日に、計画的に出産することになっているお向かいのベッドの奥さんのお母さんが朝来られて、私がベッドの上に座っているのを見て、
あら?まだ生まれてないのん?
と尋ねられ、
産んできました!
と言ったら、大いに疑われました。(笑)
あんた、昨日とおんなじ様子やで・・・。
赤ちゃんを持ってこられて、やっと信じてもらえる始末。
赤ちゃんは、ごつい顔の割に、ヒックヒックとしゃくりあげるように泣いているようで、ほっぺに二筋涙の跡がありました。
あれ?
と言ったら、すかさず看護師さんから、
そやねん。その子、泣いててん・・・。
とのことで、どうも赤ちゃんは、私が恋しくて泣いていたようでした。
ふふふん。
それにしても、まつげだけ長くて、丸い丸い顔をしています。
たまごボーロみたい。(笑)
こいつは、ふてぶてしく、ずうずうしく、なんかあると私にしがみついて泣いています。それも、私の首筋に、顔をこすりつけて、まるで彼と私のとの境界線がないかのように、擦り付けてきて泣いています。
姉のときとはえらい違い。
娘は、もう私の胸の前に両掌を重ね合わせて、その上に、遠慮がちに品よく頭をのせて、本当に遠慮がちに甘えていたのですが、この息子はぎゃん泣きしつつ、えらっそうに、
何がわるいねん!ぼくのママやないか!?
という風情です。
それにそれに、こいつの裏切り方がすごかった。
一日目はお風呂に入らず、ふやけたままだったので、不細工だったのです。
あの、においまで覚えています。今でも。
ところが次の日お風呂に入れられて、いい匂いをさせながらやってきた男は、なかなかに二のが腕たくましく、髪にはメッシュが入っていました。
いやいやいや、ちょっと話が変わってきたのか!?
と思いながら世話していたのに、二回目に来てくれた妹が、
男前・・・。
と言うのを聞いて、お揃えを喜んでいた私の喜びはどこかに消えそうになりました。
が、私は彼を揶揄っていました。
まん丸のお顔に、目と鼻と口がついて、ここ(ほっぺ。)は焦げ目。
まるでたまごボーロ。ふふふん・・・。
と言っていると同室のママたちが笑っていました。
どうも、男の子を見ると揶揄いたくなってみたり、まだ名前のつかない息子に、
ねねちゃん・・・。
これは地方のあかちゃんを、ねねと言うので、呼び名に着けていました。
どうも男性と、男の子を揶揄いたくなる癖がもうはや生まれたての赤ん坊にも出ていました。
ただ、この子の世話をするのも楽しくて、徹底的な母乳育児の病院だったので、最初母乳が出ない私には、まるで戦友のようでした。
眠る暇もなく、泣いたらおっぱいをあげていました。
最終的には誰よりも出るようになったのですが、入院中はとんでもない劣等生の気分でした。
看護師さんが、私のことを、
涙ぐましい努力をしててんで・・・。
とほかのお母さんに話してくださいました。
嫌だったのは、そこには教え子の看護師さんがたくさんいて、どういう態度をとればいいのか、なんだか神経を遣っていたことです。
お願いから、体重見んといてね。
と言ったら、
全部わかってます・・・。
と言われました。
お産という、自分のすべてが露わになるようなときに、違う立場でお付き合いしていた人にお世話になるのは、もうどうしていいのかわからなくなります。
これだけは私にとっては乗り越えられないと思います。
だから今も、絶対に知り合いのいないところに通っていますが、それも狭い世間なので、どうなることやらわかりません。
立ててばかりでは親しさがどこかに行くし、今まで通りではいけません。相手の仕事に邪魔しないでいるのがどのあたりの態度なのかがわからなくなりそうで混乱しそうです。
だから、過去も現在も自分のクライアントである人のクライアントにもカスタマーにもなりたくないのです。これだけはお願い。
もう、ほんっとに格好悪いところをたくさん見せてしまった入院生活でした。
生まれたての息子と戦友のように母乳と戦った数日でした。
でもでも、彼はしっかり生きています。
時に男尊女卑的に、
女となんか、写真撮れるかー!?
などと言った時には、
おお、こわー!
と思ったりしますが、家でくつろいでいるのを見た時に、
ああ、こうして男の子って、外でしっかりしたところを見せている分、家でだらけるものなんだなあ・・・、と実感してみたり。
結構勉強させてもらってきました。
でも、娘にはない対抗意識を息子にはもってしまうし、あっちもそれがありそうなのは、いったいなんでなんだろう・・・?
娘のほうが大事。息子のほうが可愛い。
それぞれに対しての感情を表せば、この言葉に集約されると気付いたのは、いつだったのでしょうか。
どの子も祝福されてこの世に生を受けているはずです。
女の子と男の子の母親になったからこそ、たくさん学ばせてもらってきたことの多さを思います。
最初思っていたように女の子だけとはまた違ったことでしょう。
それにしても、息子との対抗意識はいったいどこから来るのだろう?
娘にはそんなことないのですが。
可愛くて守ってやりたい気持ちだけの娘に対し、息子には、
あんた、ちょっと、姉ちゃん守らなあかんの、わかってんの!?
とつい、余計な要求をしてしまいそうな自分がいます。
あくまで精神的に。
念飛ばして、どこかで強迫観念にでもなっていそうです。
あんた、私ら死んでも、姉ちゃん、頼むで!
わかってんねんやろな!
やっぱり、おおこわー!
これって、いつも言っていることと大いに矛盾があることもわかっているのですが、どうしてこうなってしまうのか、自分でもわかりません。トホホ。
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