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世の中難しく生きている人が多すぎるような気がするー実はシンプルな法則


とりあえず物事は進歩するようにできていると思います。
それに生き方というものも実はシンプルなものだと思っています。
辛いこともあるし、反対に順風満帆なこともあります。
私は実はちょっと辛めの方がホッとしていて、順風満帆だとこの後どうなるのだろう?とちょっと恐ろしかったりします。
努力する余地があるほうが、それが目に見えている方が安心するタイプです。

辛いときもそうだし、順風満帆な時もそうですが、そのことに自意識過剰になることなく、淡々と今の自分ができる努力を重ねることが一番いいように思います。
ほんのちょっとだけ今の自分ができることを一ミリの努力で会ってもいいからやってみる。よく内容に傾くことは簡単だから、ちょっとだけよい方へと傾く。ちょっとだけ踏ん張って、良い方を選ぶ。
その連続が何年もの間には大きな違いを生むのだと思うのです。

親ガチャ理論を真っ向から反対はしません。
親御さんの力がそのままお子さんに影響することはもちろんあります。
おそらくはあり過ぎるほどあるでしょう。
環境要因を否定などできません。
それでも、自分をちょっとでもよい方に向ける。

かつて稲盛和夫さんがおっしゃっていたように、神様が、こいつがここまで努力するなら、もう助けてやらなければ・・・、と思うほどの努力をしてみる。それでダメでも努力した自分を認めてあげてもいいと思うのです。
それに難しいことだけれど、今いる自分の境遇を不足に思わず(相当に難しいこともあるけれど。)、とにかく努力する。そこにいることが何か学びをくれるものだと思い、そこから抜け出したり、それ以上になったときに、何を学ばせてもらったいたのかと言うことがわかるような暗い努力する。
辛い思いを乗り越えた人は、後からそういう思いをする人のために何か言ってあげることができます。
今の自分の辛さを誰かのためのものとしても昇華してみる。
今の自分に苦しむというステージから、もしかしたら誰かのためになっているかもしれないと視点を変えてみる。
その視点の転換からはとんでもないエネルギーをもらえるものだと思います。
自分のような目に遭わせないために努力する。
世の中がよくなるように努力する。

だいたい、何事かを成し遂げる人には、常人には考えられないような試練があるものです。
辛い思い、辛いことがたくさん降ってくる。
それはまるでその人を磨くための砥石であるかのように、肩にかかる荷重をもっともっとと上げるかのように。
そんなことを持ちながら明るい顔して・・・、と言われるくらいそのことを言ってはいけないけれど楽しんでみる。

工夫してみる。
理不尽さを楽しんでみる。
自分がどこまで耐えられるかと言うことを試してみる。

所詮理不尽なことを人に要求する人と言うのは、とんでもなく弱いのだから、そんな人には負けない。

その心意気で進めば、むしろ若い頃よりも年を重ねた頃に自分の中の財産がたくさんになっているものだと思います。
若いころに努力したことって、遅くから生きてくると思います。

最近、その人が生きてきた過程って、良くも悪くもその人から表れるものなのだということを思い知りました。
何となくの感じ。
でも、同じようなことが起こったとしても、ほんのちょっと思い方を替えるだけでも状況の進み方は全く変わっていくと思うのです。

先日、私は夢を見ました。
ある人が私にあることを問いました。
そしたら、私は、

○○さんは私のことをどう思っているかはわからないけれど、私は○○さんに対して、これ以上できないってくらい仲良くやるように努力したから。

と答えていました。
ああ、私、そのことについて納得しているじゃない。それでいいと思っているのね。誰かの思いなんてもうどうでもいいんだな、と思ったのです。
私が私のことを認めている。
誰かにとってどうあろうと、自分はそれ以上はできないほどの努力をしたと自分で自分を認めているんだな、と。

それで十分。誰かがどう思うかなんてもう関係ない。

夢から覚めて、私はどこか納得していました。
私はいろいろあったとは思うものの、誰に何と言われようと自分のできることはやり切ったと思っているんだな、と思っています。
それでいいんだな。だからさっぱりとした気持ちで次にするべきことをしっかり楽しくできているのだと思います。

世間はあれこれ人様のことを言います。
一生懸命頑張っている相手にも心ない言葉を吐く人もいます。
血のにじむような努力をしていようと表面のしあわせしか見ない。
自分が持っていないものを持っていると思ったりしたら、強い言葉で攻撃したりもします。
でも、みんな努力しているものです。
それに努力の上にも自分の心をよくあろうともしているものだと思います。
そんな努力なしに何も手に入れることなどできないし、いっときうまく行っているように見えたとしても、努力しないで、手に入れたり、心がつながっていないものは崩れたりもします。
人の心に無理を強いてはいけないと思います。
自分が寂しいから側にいてほしいから、金銭や物や手段で誰かがそばにいるだけでもいい、という人も見てきました。
たくさんの人が周りにいても寂しい人っていると思います。

でも、一方たった一人でも寂しくない人もいると思います。
来し方に納得し、決して人の心を違う手段でつなぎ留めたりしない人。

そしてそういう人は自然だと思うのです。
どこか客観していて淡々としていて、そしてサラッとしている。

一生修行だな。もっとサラッと生きて行きたいな、といつも思っています。

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櫻井真弓/国語大好き!(&数学)
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