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自分の馬鹿さ加減に呆れている私・・・。さながら『こころ』の若い日の先生のように・・・。

先日から、いや長年、私のどこが悪いのかわからなくて議論になっていたことについて、とうとう結論が出た。

相手が自分が悪いことがわかっていながら、それを認めるわけにはいかなくて、ぐるぐるぐるぐる論が回っていたということが、今日判明したのである。

要するに私は裏表なく、ある意味強いけど、人間には弱さもずるさもあるから、そこはまあ、なんとか見逃してほしい・・・、というのが本音であったのであろう。けど、さっさと認めてくれればこちらとしてもさっさと議論を降りもし、そして、そういう人だという対応をするのだけれど、認めないから、えらく長い論戦となってしまった。

で、私はまたまた自分アホさ加減に呆れているのである。

人が狡いことするとは、信じられないのである。だから、相手にとっても相当迷惑な議論を展開していたのだろうと思う。

その、議論とは別の議論で、要するに婉曲的に、自分の主張を通そうとしている人の話を一生懸命に聴いて、

すみませんけど、一生懸命○○さんのお話をお聴きしていたんですけど、どうしても論理的に理解できないんです・・・。

と言ってしまったら、上から目線だの、プライドが高いだのと言われてしまった。

私は、正直に、わからないものをわからない、と言っただけであった。でも、その議論で、守ってあげようとしている人こそが、それこそ保身に回っていたことが、今日、判明したので、怒る理由も、悩む理由も、全くなかったということがわかった。どちらにも自分がうまく立ち回れるように、一生懸命だったのだろう。

私はこれから生きていきやすくなるだろう・・・。

私がおかしい、と言われていたことは、弱い人の逃げの論法だったのだから。私がおかしいのではなく、それぞれの気質と、姿勢が違っていただけであるのだから。そして、その気質や姿勢によって、周りに起こる事柄は当然、結果が変わるということになるのであろうから、私はそれ以上、何も言わなくてよかったのである。

そういう弱さ(決して悪い評価ではなく。)を自分も持ち合わせていたならば、相手の言っていることもわかろうものを、まともに返してきて、正当化するから話はややこしくなるわけで、さっさと謝ってくれたなら、あ、そう。じゃ、私も○○と考えるわ・・・。ということになっただろうと思う。

ここ数日、結構この論のためにエネルギーを消耗してしまった。

後はご自分でご自由に、ということになった。

私はしばらく楽させてもらおう。

利害が一致する人たちで、どうぞ、である。


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