高齢の母のことを相談してみて、思い切り生きることが楽になったこと。
昔から母とは感性が似ていたし、お洋服なり、何かのデザインなりも、色合いから柄から何でも好きなものが似ていた。
ついでに人に対しての評価もそうだし、価値観も似ていた。
ちょっと落ち着いていて、なおかつどこか品性を感じさせるものが好きな人である。そしてそれを正しいとして疑うことがないところが羨ましい。
父が亡くなるまで大阪に生まれて大阪から出たことがなかった。
最初妹のいる兵庫県に住み、何の拍子でか、私のところに来ることになった。
一緒に暮らし始めると、なにせ30年ぶりだから戸惑うことも多かった。
いくら感性が似ているとはいっても、生き方という点においては、かなり違うと思う。
思い切り女性らしい経歴をもちながら、結構仕事というものに執着し、仕事をする上では女性を意識せずにやってしまいがちな私より、母の方が女性にまつわる、あれこれ理不尽なことは受け入れていないし、正しいことは正しいことだし、このシンプルさ故、私は大人になって世間というものを知るようになったと思う。
とはいえ、母は女性としての生き方の本能というのは私より優れているように思えてならない。
妹に言わせても、結構プライドの高い人だし、私も若いころそうかなあ?と思っていたらしい。というのは妹の言である。
私は正直、学生時代こそ隣の府県に通いはしたが、それ以外で就職するまで生まれ育った大阪を離れることがなかった。とはいえ、就職した先の生徒たちは全国からやってきていたので、その社会は大阪であって大阪ではないという様相だった。価値観も違う。
言葉は標準語であった。
自炊はするものの、まあ、他の人との生活をするわけで、学生時代も地方から来る人たちとの価値観の違いにびっくりしていたが、一緒に暮らすとなると、あれこれあった。
それ以降結婚に伴って転勤もあり、私はいくつかの都道府県をあちこち渡り歩いてきたことになる。
だから、自分の価値観がすべてだとは思っていない。
ときに修正をかけ、人から見た自分の姿を考えるようになった。
言ってみれば相対的に物事を見るようになったということだろう。
それが母はいまだに自分の価値観を信じていて、それに合わないと、周りがおかしいと言えるのが羨ましいのである。
今日もあった。
私がとっくにそういう人もいると受け入れていることに対して、
それはおかしい。
とはっきり言うことができるのである。
私とのこともそうである。
高齢で、一人ではあちこち用事を済ませに行くことができない。
でも、それは行ってもらうことが当然の権利だと思っている。
それがデフォルトである。
それはそうなのかもしれないが、そうもいかないこともある。
つまりは待ってもらわなければならないこともある。
それが普通の日なら私も聞く余裕もあるが、私にも超絶忙しい時期がある。
疲れもしてくる時期に、ちょっとしたことをあれこれ言われると、ときにキレそうになる。何度かお願いしたが、分かってもらえず、その時期になると必ずやらかすのである。
まるで私に話す一瞬を見つけたとばかりに、自分の気がかりを言われるのであるが、その時に私はそんなことに気持ちはいかないし、動けないのである。
疲れがピークに達していた時に、言われたことが堪えて、私もあれこれ言ってしまった。
母は絶対に負けてはいない。
だから平行線である。
ほかの人との議論ならさっさと下りてしまう私が下りることができなくなる。あまりに細かいこちらの不備を突かれて、参ってしまう。
そこである人に電話してみた。
まあ、言ってみれば電話相談である。
私が誰かに相談したというと、保護者の皆様は笑われる。
先生がですかー!?
とゲラゲラお笑いになるのである。
どうも私は相談を受ける側オンリーで、相談する側には見えないらしい。
これは私の方が大笑い案件である。
ある人に言われた。
あなたとお母さん、そっくりやよ。
あなたは、お母さんがプライドが高くて、気が強いということを認めていないんでしょうね。
認知していないということですか?
と聞いてみると、
いえいえ、そういう人だと認めていないっていうか・・・。
その時にはよくわからなかったけれど、最近、実は腑に落ちたことがある。
私はどちらかというと、正しいかそうでないか?ということで動きやすい。自分の行動原理もそうなっていると思う。
ただ、それが自分を不自由にさせていることも十分にわかっていて、狭い考え方だなあということは理解していた。
だからこそ、私に正しくないんだと小さなことでも指摘すれば堪えるということを知っている人もいらっしゃると思う。
母は誰よりそのことを知っていると思う。
そういうときは、
別に私が間違ったことをしてもいいと思うけど?
と返しはするが、基本的に間違ったことは嫌いである。
だが人間である。
だから、私は子どもたちに、両親にされて嫌なことは、自覚している限りでは絶対にしなかった。
嫌な表現や、自分の都合による表現をした覚えもないし、自分にとって都合よく生きてほしいとは思ったことなどない。
大変なことをしようとしたら、身体の方を先に心配するようなところがあったし、もしも死にたくなるくらいだったら、学校に行きたくなくなったとしたら、
別に行かなければ?
とでも言っていたかもしれない。
だから、今でも、仕事柄そうは思われにくいだろうし、そう思っていることが非常識かもしれないけど、無理やり何かをやらせる気もなかった。
どこか少しでも偏差値の高いところに行きさえすればしあわせだろうとも思えなかった。
スッキリシャッキリ、○○高校に行きなさい、とか、どこか名門大学に入ることを一番の良いことと話すことなどできなかった。
それぞれのことをそれぞれがいいと思って選ぶならいいけど、親の方で、その価値観を植え付けることができなかったのである。
だから友人たちから、当然のように、
マザコンに育てたらあかんのかなあ?
と言われたり、一般的にいいと思われそうなことをわが子に適用させようとする様子に賛同もできようがなかった。
ましてや自分がしていない苦労を子どもたちにさせるなんてわからなかった。
というようなことをあれこれ書いたのは、私はただただ正しくありたかったからだなあと思ったのである。
だから、母には、正しい母であってほしかった。
自分が大変なときに言われたら、とてもそんなことできないと言っていたようなことを、私が大変なときに言うことができるし、それを現実にやってもらうことが実現するように、あれこれ言っている。
私は咎めることしきりだった。
そういう人なのだろう。
かつてしていたことなど覚えてもいないし、もっと言うなら自分の都合の悪いことなどすべて忘れて、私たちの記憶にある母の姿と、自分自身で描いている母の姿が一致しない。
若いころは十分に感情的だったし、イライラもしていた。
八つ当たりもされた。
それを仕方がないことと自分で認めているようなところがあるし、絶対位に謝ったりしない。
人間関係的に、しんどいこともあったろうから、当然のように、どこで地雷を踏んだのかもわからないところでとんでもなく叱られたこともあった。
私は致し方なかったことであっても、謝ってしまう。嫌な思いをさせたことについては。
だから、私は自分の気持ちを飲み込んで、子どもたちの気持ちを聞いてきた。
と思っている。
でも、子どもたちはどう思っているかわからないし、仮に聞いたところで、本当の思いを言ってくれるかどうかもわからない。
人間というのはそういうものだし、親が一生懸命に子どもたちのことを思って、そこそこ苦労してさせてあげたり世話していたことだって、子どもの立場からすればそれは至極当然のことで、覚えてもいないということだってあり得るだろう。
そのあたりもそうで、母は、結構、あれをしたこれをしたと言ってるが、こちらはしてもらえなかったことばかりをあげつらっているというようなものである。
私の子どもたちでもそういうものだろう。
ただ、私は、そういうときに、それ言う?という発言をされて、本当にイラっとしてしまうことがある。
でも、そういう人だということを認めていない、つまりは、こうあってほしい母親像があって、そこから外れている母を咎めているということなのだろうな、と気付いたのである。
それはほかの人からも言われたことがあった。
ぼくも、自分の母親にこうあってほしいというのはあるけど・・・?
ちゃんと明確におっしゃったわけではないが、おそらくそういうものだと言いたいと思っておられたのだろう。
私が誰かに世話をされる側になったとして、私は相手の状況を見るだろうし、忙しそうにしていたり、今言っても余裕がないだろうと思われるときには、自分でできることくらいは何も言わないでやってしまうことだろう。
とはいえ、それだって、そのときにならないとわからないし、経験上できることも多いと思う。
何でも父に頼っていればよかった母と、何かに自分がしなければ回らない私とでは全く獲得してきたことも違うことだろう。
ちゃんと認める。
そういう人なのだと、素直に咎めずに認める。
そんなことが少しだけれど、本当に少しだけれどできてきたような気がする。
だからか、最近自由になっている自分を感じる。
コロナになってみて、それが分かったというのもある。
自分ではどうすることもできないことがあるんだなと思ったし、本当に疲れがピークのときになってしまって、母なりに反省もしてくれているのを感じる。
そしてちゃんと休みを取るようにしようとも思うようになった。
というのは何度考えてきたことかわからない。
母は、世話されているという気持ちがない。
少なくとも表現の上では、世話される立場だということを認めてはいない。
かつて言われた。
介護介護って、あんた、私の何を世話してるって言うの?せいぜい病院に着いて行ってるくらいやん・・・。
この言葉に驚いたことがあった。
一緒に住んでいるだけでも結構あれこれある。
母にできないことがある。
それに、自分がいることで、仕事に忙しい私にもメリットがあると言い出したときには正直驚いた。
でも、そういう人なのだろう。
私はいったいどういう人なのだろうか?
母に言わせると、結構ちゃんとしているということらしいが、本当にそう思われているように思えない。
幼稚園の時にさんざん言われたように、だらしがない娘だと思われていそうな強迫観念がある。(笑)
ずっとずっと自分など何もできていないという感情と、ときに冷静に、結構ちゃんとやってると思うねんけどなあ・・・、という分析の間を生きてきた。
そんなことしてるから、もがいている間に、いつの間にか結構何かを片付けていたということはあるが、その間、結構片付けようとして悩んでいたり、試行錯誤していたり、あるいは誰かに相談していたりする。
煩わせていることの方に注目する人と、してあげていることに注目する人と、いろいろいるものだと思う。
自分がどちらかなどと、しょっちゅう分析などしないで、そのときそのとき、目の前にあるものを片付けて行ってもいいのではないかな?
もっとふんわりと。
そんな風に思っているんだけど・・・。