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疲れた今週・・・。

どうも、私は、この方のお写真が好きなようで、ついつい選んでしまっている。感謝!である。
その時の気分に、いつもどこか共鳴している。

今週は、だるんとした疲れが多かった。
何となくはっきりしない話が多かった。

何が言いたいのかわからない。
いや、人のお話を聴かせていただいて、それを解きほぐすのが私の仕事でもある。けども、普通、そこまでは聴かなくてもいい・・・、という話もあるのである。
仕事を進めるうえで、当然お聴きするべきことはあるけれど、もう、そこは決めてからお聴きすればいい、という部分まで聞きすぎると、こちらが疲れてしまう。いったい、どうすればいいのだろう・・・?と思う。能率的でない。

仕事を辞める、辞めない、というようなときに、グダグダと、その職場への不満を言いながら、そこに居続けるようなものである。そこは自分で決めて、辞めるなり、続けるなりすればいい。

不思議な話というものがある。

それから、決まりというものもある。
決まりは決まり。決めなくてはならない。

先日から、ああでもない、こうでもない、という話を聴く機会があり、結局、自分で引き受けたけれど、できなくなった理由をほかの人のせいにしている、ということだなあ、と気付いた。けど、それは言わなかった。
とはいえ、私も、1週間後にTOEICを受験することになっているけれど、全然勉強が進んでいない。できると思ったことができていない。昨年思い立ったドイツ語なんて、1ページくらいで終わってる。でも、私はできないことはできないと認める。

できない理由を、ほかの人のせいにすることは簡単である。
ほかの事情のせいにすることも簡単である。
でも、見通しが甘かったことくらいは認める。

そんな、どこかグダグダした、なんと言うか、鈍痛が続くみたいな話が多かった今週(新しい生徒さんをお迎えしたり、などという新しくて緊張感のあることはたくさんあるとはいえ。)、昨日、闘病中だった、親しくしていただいていた方が亡くなられた。
実家の母も、毎日、その方の回復を祈っていた。
いつか元気になられたら、一緒に明るいカフェテラスでお茶しましょうね・・・、というのが私たちのいつもの夢だった。
難しい夢であることはわかっていた。
フェイスブックは読んでくださっている、ということだったし、結構前には、メールもしていた。
けれど、年齢の割に元気な自分が、その方の前で話すことが、話していいのか悪いのか、ずいぶん悩んだこともあった。
メールも、ご負担にならないか、ずいぶん悩んだ。

家族葬だけれど、私は呼びたい、と思ってくださった。
そのお気持ちに感謝して、今日、お悔やみに出掛けた。
昨日は、もう、ふらふらだった。
何ができる・・・?と思い、思いついたことだけした。

礼服を着ていたけれど、ついでに女手が必要な場合に備えて、エプロンも持って行っておいた。
明日のお葬式も参列したかったのだけれど、結構遠方でのことだとお聞きした瞬間、私が出席するべきかどうか、一瞬頭をよぎった。
このご家族での葬儀に私がいていいのかな?
それも、私のために、ある条件を備えていただかなければならなかった。
それに、それよりも、自分がふらふらで、行けなさそうな気がした。

人間って、不思議なもので、普通にできることと、その反面、自分にしかわからないところで、ふらふらになってしまっていることがある。生徒にも、言っていい範囲(どなたが亡くなった、とかいう話ではなくて。)で、今の状態を話し、私がいつもより元気がなさそうでも、気にしないでね、と言っておいた。

エプロンを持って出かけたのに、その場にいることが、もうできなくなった。混乱してしまった。
今までの関係性や思い出が襲ってくる。
私は、お暇をし、振り返ることなく廊下を歩いて玄関に向かった。
礼儀も何もあったものではなかった。

もっと何かして差し上げたかった。
でも、私の中の何かがおかしくなっていた。
亡くなった方との思い出は美しく私の中にある。
でも、考えているわけでもなく、ふらふらなのである。

悔しいのかもしれない。
なんで?と思ったのかもしれない。
お昼は食べることができた。いや、やけ食いに近かった。
とはいえ、味などしなかった。これも当たり前。

その後、たまたまお家の事情でお休みした生徒さんの指導が空いたおかげもあって、2階で休んでいた。もうくたくただった。
自分が葬儀をする立場の時は、すべてを忘れてしなければならないことに没頭しつつ、時折思い出しては涙ぐんでいた。

明日の葬儀は、控えさせていただいた。
きっと私はふらふらだろう。
もちろん、スケジュールも入っていたけれど、周りにご協力いただいて、ご説明できればきっとご配慮いただくことはできただろう。そのつもりだったし。今日だってそうだった。
でも、必死で泣くことは我慢して(泣いてはならない立場だと思った。)、なんとか、私は場違いだし、ご家族で過ごされた方が・・・、とお断りした。

人が亡くなったとき、親疎の区別なく、私は疲れる。いや、大事な人なのだから、当たり前である。

ただ、亡くなられた方のお顔は安らかで、きれいだった。
たくさん思いがおありだっただろうに。
目の前に、私のような元気な人間がウロウロして、気にならなかっただろうか?しかも秋には母と母娘旅をしてきた。そのことも喜んでくださっていたけれど、どこか私には後ろめたいものがあったのも事実だった。だからお土産もお渡しできなかった。

先生、あおりん(私の車の愛称。あおりんいたから、先生が教室にいるのがわかった、などと使われることが多い。)で行かれたんですか・・・?
だなんて、私が自分の車で出掛けたことに驚かれていた。

どこか申し訳なかったのだろうと思う。
お話に伺う度、私は話題をどうすればいいかわからなくて、でも、放っておくことはもっとできなくて、つい、お伺いしていたけれど、それでもどこかに申し訳なさがあった。

最後にお目に掛かった日、冬期講習がやっと落ち着いたころに、辛いお話をお聴きして、ああ、これはしばらくお目に掛からない方がいいな、と感じた。

でも、命が召されるとはどうしても思えなかった。
私はどこかで後ろめたいんだ。
自分が元気で生きていることが。
仕事の話やいろんな話をしてきたことが。
申し訳なかったんだと思う。
でも、どこかで放っておけない自分もいて、たぶん、それでおかしくなってしまったのだと思う。

ときに生きていることが申し訳なくなることがある。

変な予感で、確信で、そして、先日占い師の先生にも言われたけれど、私はとっても長生きらしい。
これは占いを信じる。
長生きするということは、先に見送らなければならない人が多いということだ。

思いを残して旅立って行かれる人に対して、私はどこか申し訳ない気持ちでいる。
年を取るとともに、どこか元気になっているような自分。
兼好法師が、友にするにわろきもの、に当たるのではないか?

いつも、誰かがなくなったときに、親疎の別なく、どこかでくたくたになり、ふらふらになり、そして疲れ切ってしまう理由はそこにあるのだろうと思う。
自分のための悲しみではなくて、むしろ罪悪感のような。
私には何もできなかったんだ・・・、というような。
こんなこと考えるのは、不遜だし、傲慢なのはわかっているのだけれど。

明日、葬儀で、娘さんをなくされた、年老いたお母さまにお会いするなんて、私にはとても無理だった。第一、私はその方と同世代である。

私は、その場にいれなくなった理由がわからなかったけれど、辛すぎて、無理だった。
理由はわからなかった。けど、すぐに、そのお母さまのいらっしゃる土地を思い浮かべたあたり、そのことが引っかかっていたのだろう。

大事な娘さんを亡くされて、お母さまはどれほどお辛いだろう。
大事なものを残された方はどれほどお辛いだろう。

生きていれば何かはできる。
辛くても、なんとか役に立てるように生きていくしかない。

これか、私の本音。
もっと事柄的なことかと思っていたけれど、書いてみてわかった。

そう言えば父が亡くなったときも、こんな感じだった。
仕方ない。しばらくはこんな感じで生きて行こう。
たぶん、周りには気取られずにいられるだろうから。
なんとかしっかり仕事できるから。

かつて、私がなんだか最近、たくさん眠ってしまう・・・、と訴えたら、主治医の先生に、当たり前やろ、まだ日が経ってないのに、と言われた。

疲れる。誰かが亡くなると、疲れる。当たり前だけれど、私があれこれ反応する。自分だけみたいな書き方してるみたいだけど、すみません。無理です。

喪失感もあるけど、申し訳なさもある。罪悪感もある。
生きていくということは、いろんな思いをするということだなあ、とつくづく思わされる。
誰にとっても優しくありたい。けれど、それには限界がある。私、無神経なこと言ってなかったかな。あれこれ考えてしまう。

ただ一つだけ言える。
生きておられるうちに、できることはさせてもらおう。
いつ、目の前からいなくなられるかはわからないから。

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櫻井真弓/国語大好き!(&数学)
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