言うて努力と継続ほど強いものはないんだなあ・・・。
受験というものは人生の真理を教えてくれることがあります。
大学受験指導を本格的に始めて、実績も出てからほぼ20年ほどになります。高校教諭を経て、非常勤講師をして、その後予備校勤務になったときのトキメキは今でも忘れられません。
それまでの生徒さんも思い出多いのですが、大学受験を共に闘い抜いた生徒さんからは学ぶことも多く、その実高校受験でもそうであるには違いないのですが、高校受験の後の大学受験ということで、それはまた重層的意味を持って、人生の真理を教えてくれるようなところがあります。
遡って、私ですが、高校受験も大学受験も、高校の教員になったのも、実力というよりも、どうしてもそこに行かされたのではないかと思われる必然的意味を持って思い出さされることも多く、卒業後どこかで再会した友人たちの行く末を思ってみても、何かあるのだろうな、と思うことが多いのです。
私ですが・・・。
高校にしても、大学にしても、教員にしても、ほかの人の方が突破する可能性が高そうな様子でした。高校など圧倒的に内申が足りない。こともあろうに美術が壊滅的に悪かったのです。本来不器用なうえに結構当時は真面目に何でも隅から隅まで徹底的につぶしていくような勉強をしていたので、五教科以外にまで手が回らなかったのです。これ以上どうしろと言うの!?状態でした。
何を思い詰めてか、あるいはどういう力が働いたのか?いまだにわからないのですが、私は母校にもぐりこみました。3年間、合わないところに来た、と思い、ほんの最近まではその思いは消えませんでした。
かと言って大学もそんなに合っていたか?と言われると、ある種の違和感がありました。
先輩方が覚えてくださっているのが不思議な初任の学校では、かつての先輩方が私のことを覚えていてくださったという話を聞くことはありますが、それとて、どこか自分だけ違うと言った何かを持っていたと思います。それは決してその場を否定するというより、むしろ周りに合わない自分の方を否定したとも言えます。
ただ、まぎれもなく、その当時私はその組織に所属していて、所属したくてもできない人もいらっしゃる中で、その一員であることは紛うことなき事実でした。
入るということ。入れてもらう自分になるということ。
入試や採用試験は、受験者側が選ぶのではなくて、試験を受ける段階で、選んでもらうものです。選ばれるような自分にならなければなりません。
選ばれるようになるために一番重要なことは、素直さだな、と思います。そもそも師となる人に楯突いていては、その内容は入って来ません。
仮に相手が間違っていようとも、とりあえずはそうですね・・・、という程度には素直であることが大事だと思います。
かつて、娘がお腹にいるときに、時間を有効的に使おうと思い、ピアノの先生を目指したことがありました。
そのときに、必須のバッハ・インベンションを習っていました。
次はこれ・・・、と先生がおっしゃったのに、つい
やったことあります・・・。
と言ってしまったのでした。
私とやった?
とお訊ねになったところで、いえ、と言って、
では。
となればいいのに、単純にやったことがあることを申告しなければならないと思い込んでいたのでした。
随分生意気な生徒だったな、と反省しています。
新たに教えていただくことはたくさんあっただろうに・・・。
そういうことがあったからかどうか、私は何回かあったピアノの先生になるための試験を受け損ねてばかりいました。
たしかに、国語ほどの親和性(これは対象から好いてもらえるか?というほどの親和性。国語は振っても振ってもこっちを見続けてくれる男性のようです。(笑))が音楽にはあるはずもなく、練習しても練習してもきっとこちらを振り向いてくれはしなかったでしょうし、そもそも音楽に対してそこまで練習できるかどうかが怪しいものです。
私のピアノと同様、その試験を受けるには、そして合格するにはそれなりの力がいるのだろうと思っています。
「ドラゴン桜」ではありませんが、一つだけ合格する法則性を話すと・・・。
都会の入試では通用しないだろうな、とは思いつつ。
私の住んでいるところでは、県立高校に出願してから入試までは2~3週間あります。
本当に行きたい高校の場合、私は、初日に願書を出してもらいます。これは内申も実力も到底足りていない、となれば必ずしもうまくは生きませんが、どちらか一方が足りないくらいの時にはそうします。無謀な受験は良くはありませんが、ちょっと危ない、あるいはまあまあ危ないくらいの、後1ランクか2ランクくらい下げるのが適正な時です。
そして、2~3週間、背水の陣を敷きます。
思い切り弱点を補強し、あるいは演習を重ね、徹底的に勉強します。
大抵は合格です。
それほど、人間というのは、そこまで切羽詰まらなければなかなか本気になれないからです。
大学入試の場合、共通テストから二次試験までは40日~50日あります。この間に私立の入試もあり、試験ごとに実力が着いていくので(入試での振る舞い方というものがあるのかもしれません。)、それもあり、この期間は結構伸びます。
意外に強いのは信念だったりします。
最近、難関大入試の英語の解釈の指導をしていて思わず生徒に話したこと。
実はまだまだ国公立二次試験が遠いこの時期に、編入試験のために最難関大の英語の指導を依頼されました。
編入試験の指導は正直初めてで、どんな問題が出題されるのかも知りませんでした。
高等専門学校からの編入試験ということなので、当然彼らの専門に通じる試験なので、時折胸を借りる感じで訳していることもあります。
昨日は、コンピューターと人間の脳の仕組みについての英文を訳し、問題を解いていました。
私は単語も専門的で、これは全部調べたらやってられないし、正直ニュアンスもわかっていないのではないか?と思い、そこに力を注ぐより、文章からイメージできることを解釈していました。
ある一文を解釈するまで、私の声は小さくなり、本当に謙虚な様子で語っていました。
ところが、ある場所に来て、
要するに人間の脳の中で、こういう仕組みになっているのと違うの?
と言いながら、ホワイトボードのイメージを書いたのです。
そしたら、彼が
その通りです!
と言ったのです。
なぜなら、それこそ彼の専門分野の話であり、学校の講義でその通りのことを説明されていたというのです。
もう、専門的な言葉だらけで、幾分専門寄りの心理学と脳の関係での言葉の使い方とは違う解釈も要求されます。
そこで、まあ、専門である彼に幾分頼った形で解釈していたのに、イメージでシステムがわかってしまった私は、
先生、さっきまでの謙虚さとは違うご様子ですが・・・。
と言われて、
だって、あなたの専門分野だし、解釈していても、これでいいんだろうな、と思いながら恐る恐るだったけど、イメージが合ってたんなら、大丈夫!
と思ったのよ!
ということでそれまでの話題同様、私は生き生きと解釈を始めたのでした。
今日、彼に言いました。
勝つ人というのはね、一筋の見えるか見えないかわからない光に向かっても進んで行ける人なのよ。
この受験をする、と決めたら、最初は何にも光が見えてこなくて、それでも前に進む勇気があるかどうかが大事。最後の最後までしっかりと光なんて見えないこともあるし、ホンのかすかにだけ見えることもある。
でも、結果って、何にも考えずに、でも、時にはいつか本当に行きつくことがあるのだろうか?と不安になる自分と闘って、それでも進む。ちょっとずつちょっとずつ進む。進むことが習い性になるくらいにとにかく毎日できることをする。そしたらいつの間にか単語も覚えていて、訳だけではない解釈ができるようになるのよ。
ほんの2週間前から始まった個別指導ですが、互いに勉強し、できないところを補完し合っているような状態でありながら、この2週間の彼の伸びは国語の教師的に、解釈できる、という点で、感心しています。
以前は文法的になんとか訳をしようとしていたのに、何を言っているのか?というところにこだわって、解釈できるようになってきています。
今日は嬉しいコメントがありました。
さすが、このレベルになると、単純ではないなあ、と思って感心しています。もっと深いというか・・・。
数日前には彼はえらく落ち込んでいたのでした。お母さまからも、
結構追い詰められています?
とお訊ねがあったほどでした。
追い詰めた張本人は私なのですが、解釈にこだわり、一語一句何を言っているのか?ということにこだわって指導してきたのです。
今まで知らなかった統計学も、科学分野でのエンジニア養成についての話も、コンピュータと人間の脳についても、立派な学術論文です。
私も今まで出会ったことのない話題です。
私はこういう時、
おもしろいね!
と言ってしまいます。
そして、一緒に学ぶことがいつの間にか日々の時間の中での張りとなり、新たな分野への関心を深めています。
彼が来てくれたからこその未知なる世界との出会いを私も精一杯楽しませてもらっています。
毎日知らない単語が現れます。
大学を卒業してからずいぶん時が経ちましたが・・・。
受検などという限定したものではなくて、随分長く生きてきました。
結構彩りのある、楽しい時間であったような気がします。
出会った人も数知れず。あちこちに顔を出していろんなことを学ばせてもらったことも数知れず。
思いっきり主婦をしていたり、子育てに奮闘していたり、慣れない分野で頑張っていたからなのか(夫の仕事は本当にわからないことだらけで、生活にも十分影響するもので。)、神様からのご褒美のようにいつしか大好きな教壇に立たせていただいてもいました。それからは教育とは切っても切れない関係で生きてきました。
自治会を立ち上げたこともあれば、どうなるかわからないリクリエーションを何とか成立させたり、知らない人の中に飛び込んでは新しい人間関係を作ってきました。
よく新参者としてどこかに入れていただく立場になってきましたが、生きていくということは意外にシンプルなことなのではないか?と思い始めました。
条件はあれこれあります。
教育の世界には、最近、親ガチャなどと言う言葉も出てきて、若い人たちの可能性をあまり閉じ込めたりすることにならなければいいな、と思っていたりします。もちろん一面真理であることも認めながら。
私はよそ者でした。
数十年前にはずいぶんそういう表現をされたものでした。
でも、いつの頃からか協力者が増え、誰からも自分のことをよそから来た人扱いされなくなりました。
その原因を考えてみました。
地方だから、借家住まいだからうちの子がいじめられた、とおっしゃった方がいらっしゃいました。それも分析してみました。
幾分自分の家に住んでいるときには確かに楽な面もあるかもしれません。
ただ、私が実感として知ったのは、そういう条件がどうであれ、大事なのは、その時の住まいが広かろうが狭かろうが、たった一つ、その土地に馴染もうと努力し、周りの人を大事にし、周りの人と仲良くしようとし、そこで一生懸命に生きることだということです。おそらくは、転勤族の単身世帯であるとか、ひとり親家庭であるとか、そうでないとか、そういうことではなくて、単身世帯ならそれなりに、ひとり親世帯でもそれなりに、そして、家族がたくさんのお家もそれなりに、地域のあれこれに参加し、その場に馴染もうとする限り、信用ができ、信頼されれば、なんとかなるのだと思います。
そして、そういう日々の誠実でないかどうか?ということが意外にも人生での大事な場面では生きてくるように思うのです。
親ガチャはあります。経済的要素も影響することも否定はしません。
でも、英語の単語を一つ一つ調べて、訳して、そして解釈して、何度も何度も解釈して、その深さに思い至るとき、それは生きていくことと共通する何かだと思わされます。
長年生きてきて、学び続ける場にいさせてもらい、生活者としてあれこれ工夫してきた身として、どうもその辺には共通する何かがあるように思われるのです。
コツコツ努力すること、それも自意識過剰になんかならずにとりあえず目の前にあることにコツコツ努力すること。周りの目なんか気にせずにとりあえずできることだけやっていき一ミリでもいいから進めること。
不機嫌な人の顔なんて見ない。
マウントしてくる人のことも気にしない。
だって、受験だって日々のことだって、結局は目の前にあることと自分との関係をひたすら向上させていくだけのことであるから。
ということで、数か月の楽しい指導をどう進めていくか、毎日工夫の日々で、学びの日々で、楽しみでワクワクしています。