自分にとって一番孤独だった頃ーしいたけさんの「明るめのセピア色」について思うこと
以前に読ませていただいていたし、その時も、ああそうだなあ、と思いましたが、改めて考えることがあったので、書かせていただきたいと思います。
私が人生で最も孤独だと感じたのは、正直結婚してすぐの数年間でした。
理解者がいない。
周りからは良く見える状態なのに、私自身がちっともしあわせではありませんでした。
生まれ育った大阪とは遠く離れ、とにかく湿気が多い。
結婚して1年足らずで生まれた娘を育てなければならない。でもこの娘が可愛かったからもっていたようなものです。
今から考えても、あの数年は明るいセピア色ではなくて、くらーいくらーいモノクロという感じです。
夫の仕事をよく理解しているわけでもなく、
お前も○○の嫁だったら、~でなければ・・・。
○○の嫁だから・・・。
とやたら要求されることばかりが多く、周りの皆様は専業主婦の鑑みたいな方々が多く、私が育ってきた過程で学んだこととは真逆のことを要求され、誰かから学ぶということもありませんでした。
周りの人たちからすれば異色だったようですし、周りは職場恋愛が多かったのです。
お義父さんは、私の持ち味、もう少し色を出して・・・、と言ってくださったけど、そのほかの家族は私が自分の色を出そうとすると、妨害しました。お義父さんは、亡くなられる直前にはその構造を理解されていたようです。
亡くなった後のことを考えたからか、周りは、
あんたが大変なことはわかってるから・・・。
とお義父さんから聞いていることを言ってくださいました。
子育て時代、子どもたちを通しての本当にカラフルな時代と、まだ土地に慣れ、自分自身の人間関係を持たなかった本当にモノクロのような、それこそ自分の人生が終わってしまったかのような時期に別れます。
人間関係で悩みに悩んだ時代もあったし、家族とのことで悩んだこともあったし、少しずつ社会復帰して、職場の人間関係に悩んだこともありました。
ただ、周りにとっての色と自分にとっての色は違います。
周りからは暗さのかけらもないように思われたであろう時代が、自分にとってはまるで色がないように思われたこともあるし、周りが大変だな、と思って苦労しているかのように思ってくれていた時代が、意外に自分には色鮮やかな時代であったこともあります。
家族がいて、それを明るい色と捉えられる人はいいな、と思います。
家族の中にも、とんでもなくまるでそれはマーブルチョコのように明るく見えるメンバーもいれば、本当に暗いモノクロに見えるメンバーもいます。
子どもたちはいつも明るい色を構成してくれました。
だけど、これからの自分の人生が、今までより暗い色と思えないのです。
もちろん明るいセピア色には憧れますが、どうも私の色合いは、もしかしたら晩年に向かってだんだん彩りが鮮やかになっていくようなのです。
もちろん人間関係は生きてきた年齢分多くなります。
でも、どうもそういう問題ではなさそうです。
一緒にいるメンバーのせいか、人数のせいだろうか?
本来なら介護と言われるはずなのに、高齢の母が私のそばに来て、友人は私が明るくなったと言ってくれます。
当然母がこの先生きて行く年月は、私が生きるよりは短いことでしょう。
生前父が言ったそうです。
私、お父さん亡くなったら、どうしよう?
と言った母に、ボソッと、
真弓のとこ行ったらええ。
と言ったそうです。
確かに結婚するときの約束が、もし両親に何かあったら来てもらう、ということになっていましたが、バランス的になぜそうなったのかはわかりません。
その父の洞察通り、いつの間にか30年も昔に離れて生活するようになった母が側にいて、あれこれ楽しいことが一緒にできるようになりました。
いずれ母も天に召される日が来るだろうことを思うと寂しくて仕方なくなりますが、だからこそ、今のうちに楽しんでおこうと思うのです。楽しい時間をたくさん過ごして、思い出をたくさん作っておこうと思っているのです。
そして、最近、楽しいことをするかしないか、あるいは母が何かを買うかどうするか?というときには、
いいやん。それ買っておいたら。老い先短いねんから。(笑)
と言って、するように勧めます。
母も同様。
いいやんいいやん。買っておいたら。
私が払うのと違うんやし・・・。
このセリフは生徒たちにウケにウケています。
母は私とお買い物に出掛け、何だったら若者のイメージのスタバでお茶します。
最近お気に入りは焼肉。これはたくさん食べてくれるので見ていて嬉しい。
それにどこかに出掛けたときにはちょっとお茶しよう・・・、と素敵なカフェに立ち寄るのも楽しい。
そして、これどうやってこんなにおいしいのかなあ。
などと研究材料してみたりしています。
生徒たちは、私が仕事のし過ぎだと思ってくれているようです。
私が、サボっていると思われていると思い込んでいました。
確かに誰と一緒に家事をしていても私は素早そうです。
これもなかなかに大変な夫と姑に仕えてきたおかげです。
仕えるなんて言葉を使ったら、現在では周りから叱られそうだけれど、まさに仕えるというようなあり方をしてきました。
田舎の長男であることをいいことに、玄関で物の名を言ったらそれが飛んでくる、とでも思っているような有様です。
そんな人にお仕えしてきたので、仕事くらい大したことはありません。
生徒の指導は、ある程度こちらが主体でできますが、夫と子供たちのことは、徹底的に合わせ切ることを求められますから。
もし今の状態であれこれ周りに人がいる時間が去り、もしも一人になってしまう時が来たら、私にも周りが明るいセピア色になることがあるのだろうか?
経験的に言って、おそらくは、年甲斐もなく言いますが、その色たちは今よりももっと細かくなって、いろんな色になるような気がするのです。