頑張ってますね・・・、という言葉が救ってくれること
私の周りには、どうも私に助けてもらいたい人が多かったのか、私はずっと自分の頑張りに気付けなかったような気がする。
周りがしてほしいこと、用事を私に言うので、
ああ、私は○○ができてないんだな。
と思い続けてきた。
そんなことを思い出していたときに、次のような記事に出会った。
この方は、小さいころにお母さまを亡くされ、お父様の男手一つでお姉さまと2人、愛されて愛されて育たれたことがわかる。
タイトルに惹かれて、いったい何があったのだろう?もしかしたら行政の人のきつい言葉でもあったのか?などと思っていたら、逆だった。
大事なお父様の老いを見つめ、少しでもお父様の人生が美しくなるよう努力されていて、でも、一生懸命になっている相手であるお父様から、そのことを受け入れてもらえず、自分が一生懸命でないと思い詰められて、そんなとき、
頑張ってますね・・・。
の一言で救われた、というお話。
私もよくある。
それにこういう方のお話を読んでいると、私などまだまだ甘いなあ・・・、と思ってしまう。
ちょっと下世話な話になるけれど、私は、女性同士で身体のある部位についての話になると、必ず私のところに振られる、というくらい、特徴的な体型をしている。
どちらかというと仕事ができるシャープな女性に見られたいと思い続けていたのに、どうもその点と、顔が童顔でむしろ柔らかいイメージがするらしく、その辺りから、私を親しみやすい人間だと思って、そういう表現をされる方々が多くいらっしゃる。
なんか言うと、
愛情深い人。
と表現されるし、シャープなアーバンスタイルを志向したいと思っても、いただくものは女性らしい花柄に決まっている。
要するに可愛いものをくださるのである。
最近、もう友人たちと話していても、ダイエットすればそこからなくなり、太ったらそこが後から太る、という部位について、私はなぜかまた一層成長しているようなのである。それは家族から見ても顕著で、あらら、サイズを変えなくてはいけないかしら?というくらいである。
ちょっとダイエットして体重を減らしてもそうなる。
そこで、いったい何の意味があるのか?とスピリチュアル的に調べてみた。
どうも、愛されるシャワーをたくさん浴びているらしい。
私の方は、いつも家族の世話をしてきたし、おまけに生徒を可愛がってきたので、愛を注ぐ方ばかりだと思っていたら、どうも私は愛されているらしい。
母の女姉妹はみんなあまりない。
両祖母は割とボリュームがある。
そして、私の娘も結構なボリュームである。
これには実家の母も不思議だったらしく、なんで親子なのにこんなに違うのか?と呆れていた。
母とどこかに出掛けても、どうも周りの扱いが違うような気がする。
知的な、でも優しい雰囲気の母は、私と違って、若いころから、
先生してはるの?たくさん本を読んで張る感じ・・・。
と訊かれていたらしい。
私は現職教師の時でも娘時代は、柔らかい雰囲気のせいか、あまりそうは見られなかった。
そうそう、母への扱いは皆様どこか丁重である。
どうも私への扱いは、どこかでちょっとからかわなければならない、とでも思いこんでおられるかのような感じである。
口が立たない方でもないので、ちょっと高慢ちきに見られているだろうと思って接していたら、ズコッっとコケるほど、途端に扱いがとんでもなくなるので、どうも私の懸念は無用のようである。
そうか、どうも母が側に来てから、サイズアップしたような気がする。
母はマメに私の心配をし、高齢なのに私の世話をしようと虎視眈々である。
先日などは呆れた。
遠方に行く(遠方ったって、県の南部というくらいの遠方。)という私に、
1人で行ったら危ないから着いて行く・・・。
と言うのである。まるで漱石大先生の『坊ちゃん』の登場人物清の洋ではないか。年老いていながらいっつも坊ちゃんのことを心配し、気に掛けているおばあちゃん。
何かあったら私がいたら電話ができるし・・・。
という話を聞いて、私はある説明をした。
もし、○○さんのお母さん(母と同級生。)が、○○さん(こちらは文学部ご出身の勉強仲間。)が県のどこかに行くからと言って、危ないから着いて行く、と言ったら可笑しくない?
そこで、母はケラケラ笑い出し、
それはホンマに可笑しいわ・・・。
と腑に落ちたようである。
それから、もう一つおもしろかったのは、
最近、老化してきたんか、私、ちょっとしたこと思い出されへん・・・。
と言い出したので、私はちょっと微妙な気持ちになって笑い出した。
お母さん、私が老化、って言うならわかるけど、お母さんが老化って・・・。
と言ったら、周りの友人たちの顔を思い浮かべたらしく、本人も笑い出した。後期高齢者になってもまだ現役のつもりである。
思えば勘違いするところもあったり、変に知的だったり、困らされたと思うこともあったけど、母は私を大きな愛情で包んでくれていたと思う。
高校生の頃、友人に言われた。
いっつもお母さん、ミカンの皮向いてお弁当に入れてくれてはるねんなあ(外側ではなく、内側の白い皮。)。
勉強のできる女の子たちの間で、お母さんがいかに愛情深く愛してくれるか?というのは、ちょっと羨ましい案件だったようである。どうも友人たちのお母さま方はもう少しクールな方が多かったように聞いていた。
今気づいた。
先日も保護者の方から、
先生が、そんな風なのは(どんな風なのかはちょっと説明が付かないけど?)、お家がいい御家庭だったからですよねえ・・・。
と言われた。
いえあれこれありましたけど?
でも、そんなのあったうちに入らないことも最近わかって来た。
べたべたと愛してくれていた母。
勉強が大変だろうとちょっとでも、と愛情を掛けてくれていたのを思い出す。
正直、ストレートの受け止め切れていたのかどうかわからない面もあっただろうけれど。
最近、ちょっと以前より主張し出した私の身体の部分によって、嘘か本当か、母の大きな愛に気付いたし、
そうか、娘にもたくさん愛情掛けたってことか!?
と自分自身の親としての在り方にもちょっと嬉しくなっている。
あああ、それにしてもダイエットしなくっちゃ!
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