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終戦記念日に思うことーいやたいそうなことではなくて個人的な。非常に個人的な。
舅が亡くなってのすぐの夏休み、私はそれなりに謹慎するべきだと思っていたので、ほかの6家族ほどのお友達と行くキャンプもその年はお休みだろうと思っていた。しかし夫に言わせると、
お兄ちゃんとこ、キャンプくらい行かせてあげようよ。
とかいう、お葬式や四十九日にとんでもない態度をとった義妹さんの言ったとかいう言葉を信じる方もどうかしているが、とにかくその言葉を信じた。
それから、お盆の15日のお墓参りの日に、息子の少年野球の大きな大会があった。
夫は、
俺が墓参り行くから、お前は○○の野球に行ってやって・・・。
と言われて、それも素直に信じて行った。
県でも大きな球場で、終戦記念日の黙とうはあるとはいえ、ヘリコプターから落とされたボールで始球式。なんとも厳かな大会だった。
不思議だった。
お盆にこれだけの人がこの場にいるということが。
毎年お墓参りに行くことになっているのに、それも舅の初盆に。
その球場の木が生い茂った砂利道を歩きながら、なんだかおかしな気分だった。
息子の一連の大会が終わって、夫にお墓参りに自分はいつ行ったらいいのか聞いても答えてくれないので、姑に電話した。
すると、
お墓参りはやっぱりその日に来んなあ。お墓の周りを掃除してくれるのは親戚の人がやってくれたけど・・・。
とのことだった。
夫に言われてそうしたのに、それを言うこともできない
わからなかったのだ。
その仕組みが。
要するに、ハメられていたというわけである。
四十九日と同様に。
姑の弟である叔父さんが、私の資格試験のために勉強に励んでもらおうと言ったとかで、四十九日は参加しなくていいとのことだった。
何せ地方のことだから、私はわからないと思っていたし、それならそれで、と思っていた。
人を欺くにしてもやり方が関西とは違うと思う。
もっとハッキリシャッキリしているというか。意地悪もはっきりしている。
しかしどうも、あまりにわかりやすくて、だからこそ疑えないようなところがある。
つまりは、お葬式で自分たちがあまり役に立たず、私だけ目立ってしまったから、だから立場がないので、四十九日は自分たちで、ということになり、夫はそのことに巻き込まれたようだった。
でも、おそらくは誰かから注意されたのだろう。
直前になって、姑から、
マユミさん、やっぱりお父さん、みんなで気持ちよく送り出そう・・・。
と電話が掛かってきた。
その前に、四十九日の打ち合わせの時に、姑に上げたい物があり、別件で婚家に立ち寄った。
すると夫と姑と葬儀屋さんが座敷にいて、なんと台所でお茶の役を義妹がする様子で座っていた。
そこでやっと自分が外されたということに気付くアホさ加減である。
夫は私を見るなり、
あっちあっち!
と言ったが、姑は、
シッシッ!
と犬を払うように、手を振られた。
葬儀屋さんだけは、親しそうに、
ああ、姉ちゃん・・・。
と言って嬉しそうに再会を喜んでくれた。
このイケメンKさんには、お葬式の時、相当助けてもらった。
夫が家に帰ってきたので、言った
私、四十九日、外されたんやね?
そしたら、夫は、
いや、俺が出てほしないんや。
と言った。
ほな、そうしたらいいやん。
と関西弁で言ったのを覚えている。
お舅さんの入院中と一緒だった。
お姑さんと夫や義妹で、私が入院中行かないということにしてあったのだ。
夫に言わせると、揉めるから自分が嫌なんだということだった。
その四十九日のときの義妹さんの態度ったらなかった。
でも、裏でこそこそやるよりは、目の前でやってくれる方が私はいい。
そう、喧嘩上等!である。裏でこそこそやる人の気が知れない。
そういう態度取ったら、今までの工夫が全部どっか行ってしまうよ、と言いたかった。
その延長にあったのだろう。
要するに、墓参りにも来ない嫁、にしたかったのであろう。
なんでも、姑が嫁に来た時、
私は言われてきたから~。
とのことだった。加えて、義妹さんもあまり勉強されたなかった人である。それに私と同学年。
そもそも私がそういうことにこだわらないからいけないのかもしれない。
お姑さんにしたら、なんで嫁ばっかり、ということだったらしい。
夫も、
なんでまゆみさんばっかり・・・、っていうのがあるんや。
と言っていた。
わかるような気もする。
でも、理に敏い大阪人には考えられない。
感情論より実質である。
仲良くしておいた方が得なはずである。
それなのに、目の前のメンツを取る。もったいない。
私は私で、お義父さんが私を嫁にもらった理由を知っていたから、
あの子なら家を発展させてくれる。
と言っておられたし、
なんとかあの家もちゃんとお父さん送り出せた・・・、言うてもらいたい。
とおっしゃっていたから、それが私の最大使命だと思ってきた。
だからそれを実行しただけの話だった。
そういう大義の前に私はメンツなどどこかにやってしまう人間である。
だから、一方で申し訳ないなあと思いながらも、使命の方を取ってしまう。その後の生き方が楽になるように、とか、自分が得するようにとか考えることができないのである。
もちろん感情的なことはある。人間だもの。
やっぱりね。都会から来たお嫁さんは、そのときだけちゃんとやってるけど、こういうときに来んがやね。
と言われているという構図を作り出されていた。
本当に感じられたことはわからない。
おそらくわかっておられると思うけど、それもわからない。
とにかく都会から来て、馴染めない嫁にしたかったが、それはない。
私は結構あちこちで人間関係を作ってきたし、馴染まなかったことなどない。
子どもたちのことがあるから、馴染めないといつまでも言うのではなくて、自分が変わろうと努力してきた。
でも、ちゃんと見てくれている人は見てくれていた。
それもいい。
別に私がなじめないとレッテルを貼られても、不良だと思われてもかまわない。
私は私、生まれ育ったところにいた時と同様、求められていて、なおかつ自分ができることを精一杯やるだけである。
夫の関係で、本当に馴染めない世界に入れられて、それも何のフォローもなく生きてきた。でも、それでも会社が私を頼りにしてくれたこともあったし、夫の代理で出掛けた同窓会で、なんとかその場を盛り上げようと考えて、スーツ姿の先輩や後輩たちがたくさんいる場所を盛り上げてきた。
それはそれで私なりの誠意である。自分のいる場所に対しての。
ついつい思ってしまう。
私が負けていいのか?と。
そんなことで?と。
そして本当にどうしようもないなと思うことは、なんでそれが私の中心にあるのかわからないが、やっぱりどこかで、高校にしろ、大学にしろ、ここで負けては本当に母校に申し訳ないと思ってしまう。(笑)
育てていただいた母校。
〇高生でも負けてしまうの?
○○大卒業してても?
と言われるのを極度に恐れている。
なんで?
そこまで母校愛があるわけではないんだけども。(笑)
感情論と理屈を一緒にしてはならないと思う。
感情的に、そこまで粗末にされていいのか?説もあろうし、また逆に、
そのお姑さん、そこまで嫁に顔つぶされて・・・。
ということもあるかもしれない。
でも、どっちかを取ればどっちかが犠牲になる。
私があの時何もしないで、姑や夫や義妹や叔父夫婦に任せていては、何もできなかった。
やらないわけにはいかなかった。
それを生意気な嫁というなら言ってくれればいい。
顔をつぶしたって、やらなければもっともっと家格的に恥をかいたけどいいの?という話である。
私は私で一生懸命やってきただけ。
もちろん、
そのお姑さんかわいそう。
という意見があってもそうだろうと思っておく。
娘がその立場ならどういうだろうか?
あんたにそれだけのことしてきた家のお葬式、別に頑張ることない、って言うかな?
誠意でお義父さんの思いを受けて頑張ったあんたの気持ちを踏みにじるんやったらそれでもう言うこと聞くことないやん、って言うかな?
とりあえず今私はやりたいことをやっているからいい。
それに夫の会社関係で学ばせてもらったことが、今の仕事に生きているし、経験がありがたいこともある。
それに、四十九日の時に、お坊様から、
あんたがしんどいの、私お義父さんから聞いて、よーう知ってるから。
と言われたので、身内のことを言いたくなかった私は、
ええ、勉強させていただきました。
と言っておいたら、怖ーい顔をして、
そんなこと言わんでええ!
と言われた。
本家の伯父さん、つまりは舅の長兄からも、
あんたが大変なんはお父さんから聞いて、よーう知っとるがいちゃ!
と言っていただいた。
それを見ていたお姑さんから、
あんた、お義兄さんとなに長いこと笑うて話してたんけ?
と聞かれたので、本当のことなど言えるはずがなく、
ええ、お叱りを受けてました。
と答えたら、本当にされて、
田舎の人は厳しいからねえ・・・。
とニコニコしておっしゃった。
いえいえ関西のしきたりの方がよっぽど厳しい。
細かい点でうるさいが、地方の方がおおらかで素朴な感じ。
私はこちらの郷土料理をマスターしたし、そういえば新婚のとき、
あんた、たった四か月でこっちの味になってしもた~。
もう全然違和感ないわ!
とお舅さんから言われたことを思い出す。
今から思えば若いから何でも本当にしていたのかもしれない。
今思えばたくさん不備もあったろうけれど、それに、子どもたちからもなんやら出来の悪い母親になっていたみたいだけれど、それはそれでわかってくれる人もいれば、いずれわかる日も来るのかもしれない。
お姑さんに言われた、
私はいろいろ言われてきたから~。
と言って、姑の沽券に関わってか、言われるということの定義が違うということを思い知った日があった。
自分も言われてきた。娘もさんざん婚家であれこれ言われている。
なのに、この目の前にいる嫁は、楽そうにして・・・。
ということだったようである。
自分で細かいことを言っていることに気付いておられなかった。
お舅さんが、
おっかちゃん、厳しいのう~。
とおっしゃっていたほどだった。
自分たちは言われている。自分がいったいあんたに何を言っているというんや?何も言ってないとのことである。
私は人間の不思議さを学んだ。
娘が大事だと、ここまでするんだな、と。
親戚中で、娘さんの自慢話をして歩いていたと夫が言っていた。
通夜の席で、夫のおばさんの一人が、
また、この人が頼りないから、まゆみさんが動くことになるんやわ。
とおっしゃって、
あああ、それでは火に油を注ぐことになりますけど・・・。
と思いながら聞いていた。
そうそう、親戚から頼りないと思われていることが許せなくて受け入れられなくて、私に対して、
なんで?なんで?
になっておられたことはわかる。
自分の娘のあるべき姿とは違うことを受け入れられずに、なんでか受け入れられている人間は許されないのである。その理由は単純にその場に役に立っているかどうかなだけで、学歴など、その時のその状態をちょっと色濃くさせるだけのものである。
○○大学出てても、にするか、○○大学出て、○○していた人だから、にするか。
そんなもの、大学出ていても何にもしない人もいれば、べつに勉強などしていなくても家刀自として優秀な人もいる。逆も真なりであろう。
思う。
そんな自意識をもつ暇があったら、誰かの役に立って、自分自身のことなど忘れて、目の前のことに没頭してみてはいかがだろうか?
自分以外にしてくれる人がいたら、私ならありがたく思い、違うことに時間を割くだろう。
とはいえ、生き方である。
それぞれの人の生き方をどうのこうの言う気はない。
私が間違っていたとしたら、私に何か起こるだろうし、それ以外の人で間違った面のある人がいたら、それなりのことが起こるだろう。
私は何かに因果応報を信じているし、また結果が自分に都合の悪いことだとしてもそれは仕方がない。どこかで何かをしてきたのであろう。
今でも若い日々の在り方を思い、もちろん自分自身の感情もありながら、あれでよかったのかなあ・・・?と思うこともある。
でもまあ、この年齢まで生きてきたのだから、ちょっと自分に優しく、やってきたことくらい認めてやろうかなあ・・・、と思い始めている次第。(笑)
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