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まるでしいたけさんが出してくださったかのような答え・・・。「直感」について。

さっきも、大学受験組の現代文の評論分の解説をしていたときに、生徒から、

ーまたやー!先生の直感、怖い!

と言われました。

何の作為も思いめぐらすことも、分析もなく、ときに私は、その場での会話を知っていたかのようなことをタイムリーに言い出すようなのです。

そこで、先生の直感は怖い!説をまたまた強化されていたときにたまたま出会ってしまった心惹かれるタイトル。

私は、やさしい人で通っています。

正直者でもあるという、証明までされたことがあります。

でも、直感は、めちゃくちゃ当たるのです。かなり予知に近く・・・。

直感の声を拾える人=やさしくない人、というタイトルには、それこそピン!来ました。

私は、半端ない決断力をもっていると思うし、行動力もそうです。

直感に従って、決断し、行動してしまうのです。いつも。

そんな時は、人に厳しい言葉の一つや二つ、いえ、三つや四つ、平気で言ってしまうし、言った言葉には、全力で責任をもちます。

もちろん、不確かな要素を確実に含んでいる仕事をしているので、絶対、という言葉は使えないにせよ、私は、結構腹を括るし、責任を取ろうとします。

やさしい人は、一見人に合わせているようで、ときに人のせいにする、ということは、よくわかります。誰かのせいにすることができるから。

そういう意味では私は人のせいにはしません。

ただ、私はある人の、ある部分が嫌いです。周りから見たら、私が本当に愛していて、相手も私を大切に思い、愛してくれている人なのですが、それでも、私は、その人の潔くないところが大嫌いで、ここ数日も、その件で、ちょっとした言い合いになりました。

自分の良くないところを認めようとしない。それは、ある意味、人の顔色を気にしすぎて、合わせているうちに、結局自分では全然責任を取っていない行動になり、そうして、○○が○○言ったから・・・、と自分の人生の責任を放棄しているような発言をしているからです。

私は、その責任放棄の部分だけを謝ってほしくて仕方がないのです。

私はやさしい、と言われます。

でも、ときに、般若のように、怖い部分があることを知っています。

誰かを傷つけても、そうして、もしかしたら迷惑かけるかもしれないけれど、これだ!と気付くときがあり、そうすると、何が何でもそちらに行かなければいけない、と直感が私に言うのです。

人に迷惑を掛けるのが大嫌いで、人を大切にしたい、と思っている教師です。

それでも。これだ!と思うときがあります。

その直感に従って、間違ったことは、もちろんほとんどありませんが、それでも、それまでに、辛い思いもし、何度も考え、分析もし、人の気持ちもさんざん慮って、そうして、損もし、痛い目にも遭い、そこから磨かれた直感が、ときに、ここだ!と訴えてくるような気がしています。

それをしいたけさんに見事に言い当てられたような気のする記事でした。

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