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もしかしたら好き嫌いが激しいかもしれない私
あまり人のことをどうのこうのいうタイプでないらしいのですが(ほんまかいな?)、個人的になら別にいいのだけれど、仕事が絡むとあれこれ考えるような気がします。
あまり人の気を悪くするようなことを言わない、と言われ続けてきました。
そう、人の気を悪くすることは言えないし、それも不自覚で行ってしまったと後で聞いても、とんでもなく反省してしまう方です。
その指摘は若いころにされていました。
娘も、舅から、
あいつはあの年齢で、誰のことも悪う言うことがない。相談に乗ったら聞いてやるけど、自分から誰かの中にズケズケ入っていくいうことがない。
と表現されていました。
それに比べれば母親の私の方が、まだ幾分仕事柄おせっかいな面もあると思います。
でも、最近になって、私があまりにも自分に禁止していることが多いから、もしかしたら子供たちにも制限をかけてきたこともあるのかな?と思い始めたのです。まあね、心理学的に。
数年前、noteを書き始めたころには、あまり嫌いなものがないと思い、そして嫌いということを認めてみた、などと書いていたのですが、どうも私にはその人その人を理解しようと努めるところがあるようです。
それにまずは信頼するところから始めるようなところがあります。
最近ではやっとわかってきたのですが、姑の意地悪も、
私が至らないから言われている・・・。
と思っていました。
変なコンプレックスもありました。
都会育ちで地方に嫁に来たことも、ほかの奥さん方とは経歴が違うことも。
だから夫を支え切れていないのではないか?
などなど。
でも、ほかの人たちはもっともっと自由にしていたし、もっともっと実家に帰ることもできました。
どこかでおかしいなと気づき始めたのは、舅の四十九日でした。
というより、ああそうだったのか?という感じかな?
四十九日は、外されそうになりました。
お義母さんと義妹と夫とで決めた話だったようでした。
どうもお葬式で、やり過ぎた、というよりしかるべきことをしたら、周りからはやり過ぎたということのようでした。
でも、お義父さんが、私に話されたことがあったのですが、
なんとか、あの家も、お父さんをちゃんと送ることができたなあ、という家になってほしいがや。それがお父さんの願いながや。
と言っておられたのでした。
亡くなったお義父さんに、恥をかかせるわけにはいきません。
かといって、頼れる人はあまりいませんでした。
学校勤めというのは、短期間にいろんなことをさせられる仕事です。
一年の中に行事があり、おおざっぱに全体像を見せられもし、細かい動きも求められます。加えて、高校も大学も吹奏楽部だったから、演奏会に向けて何をどうしなければならないか?ということを考える癖が身についています。
お葬式は初めてでしたが、でも、次に何をしなければならないか?ということくらいは頭が回ります。
ある会社の支店長さんをしておられたという夫の叔父さんも、お母さんも、そして全く職種の違う夫も、それほどお式についてわかっている様子はありませんでした。
本家の伯父さんが頼りでした。
それに、お義母さんの関係者がおられる間は助けてくださらなかったおばさま方が、
あんたばっかり動くことない。私らもおるから・・・。
と言って助けてくださいました。
夫のいとこも、私のことを、頑張って大変だから、
気をつけたげられ・・・。
と言ってくださっていました。
そういうことすべてが気に入らなかったのでしょう。
夫だって、ゴタゴタを起こしたくはないし、それよりなにより、お義母さんの言うことは絶対でした。
でも、誰かに注意されでもしたのでしょう。
お義母さんから、
真弓さん、やっぱり四十九日、気持ちよくみんなでお父さん送り出そう・・・。
と電話がありました。
その宴席で、本家の伯父さんからも、
あんたが大変なん、おわ、よう、わかっとるがいちゃ!
と言われました。
また、お坊様からも、
あんたが大変なこと、お父さんから聞いて、ようわかっとるから。
と言われました。
あらあらあらあら、都会から来た嫁、皆様から総すかんではなかったのか!?
アホです。
それまで周りが言うことを全部信じて。そりゃあそうです。
だって、日ごろ会わない人が、〇〇と言っていた、~言っていた、と言われ続けたら、そうだと思うものです。
こういうところ、上手な人たちです。
私はしゃべってなんぼの、言葉を扱う仕事の国語の教師ですが、言葉の使い方の方向性が全く違う。
自分の立場を保つために、誰かの心を傷つけてもいいとは思いません。
でも、最近になってやっとわかってきたのです。
人って容易に嫉妬するし、容易に自分のことを盛って話すのだということを。
嫁に来たてのころ、母方のおばあちゃんからおかしなことを言われました。
〇子、○○高校に行ったら、学校の先生から、なんで○○高校に来たんや?言われて、○○大学行って、先生になれ、言われたんやぜ・・・。
その時は嘘だということはわかりましたが、なんでそんなことをおっしゃるのかがわかりませんでした。
私が何かでお義母さんのことを馬鹿にしたことはありませんでしたが、何かそれらしきことをご自分のお母さんに訴えられていたのだと思います。
ご自身の夫にも訴え、息子にも訴え、母親にも訴え、とにかく自分の立ち位置が危なくなると誰かに訴えて、自分は被害者でいじめられている・・・、という話になるけれど、その実、誰もいないところで、二人っきりの時には、今ならわかる嫌味をあれこれあれこれおっしゃっていました。
でも、当時、わからなかったのです。
なんか気持ちがおかしいなと思うけれど、何を言っておられるかがわからなかったのです。
義妹さんを立てるのには閉口していました。
できもしないことをできると言ったり、私が作って好評だったメニューを、妹さんが、
こないだ、○○作った・・・。
と言われて、変な符合だとは思うけれど、それをお母さんが電話して、
あれ作られ、これ作られ・・・。
と言っているとはわからなかったのです。
私が着ている服や靴、バッグも真似されていました。
それも、真似されるなら光栄、くらいに思えない自分が狭量なようで我慢しましたが、ある美容室に、義妹さんのお友達が勤めておられて、あるとき、その美容室の経営者が、私にこっそり言ってくれました。
一緒に学校に通っていた時に、何か素敵なものを持っていると、
それ、どこで買ったが?
と尋ねるから、子供だから、
○○で買った・・・。
と答えたら、次の日、同じものを持ってくるのだそうです。
また、私が幼稚園のバザーで、私も作成して提出した規定作品になっていた品物について、娘に○○を買ってあげたいと話していると、いち早くバザーに来て、そのものを買っていかれるということもありました。
子供が欲しいといったものを、人様が持っているものを買ってあげるのもどうかと思います。
まあ、一回二回ならそういうものかと思っても、何度も続けば気持ち悪くもなります。
不快で、その、義妹さんがよくその名を口にして語っていたその人は、義妹さんが嫌いだったそうで、そのことを先生に打ち明けておられたのでした。
あんなやりにくい家、ないのと違う?
と言われました。
その先生からも、私はあまり上手にわたっている人間には見えなかったようで、
家を建てたのなら、できるだけあの親とは会わんほうがいい。
とまで忠告されました。
こんな年になるまでそんなことを言って、人のいいところを見て、成長できないのか?と言われても、それでも、その当時は相当頑張っていました。
実は数日前、人は容易に嫉妬するものなのか・・・?とつくづく分かったのでした。
そのことが分かっていれば、私はかつてあれほど苦悩せずに、何とか相手の言っていることを善意に解釈しようとはしなかったでしょうに・・・。
これも実家の誰も、嫉妬したり誰かの悪口を言ったりしなかったからわからなかったのだと思います。
高校に入って、結構競争意識の強い人たちの中で、むしろ人間的にできた人が多いと思い、品の良い人たちがいるとばかり思っていた中で、あれこれ人のことを言う人に、疲れていました。
当時は誰のことも言いたくなかったのだと思います。
だからいまだに葛藤していたりします。
それにそれに、長らく味方だと思い、あれこれ何でもしゃべってきた人が、まあ互いの成長度合いもあるのでしょうが、なぜか合わなくなって、ついでに、ああ、○○だと言ってたんだなあ・・・、ということが分かり、嫌になって離れた、ということがありました。
その人は、私が夫や義両親の悪口を言わないことをものすごくわかっていた人で、そのことを夫にも告げてくださいました。
義実家の悪口を書いたのではありません。
そんなこと、もうとっくに解決しています。
成長の糧だったと思っています。
まあ、おかげで、と思わずに、そんなことがあったのに、という具合に思おうとはしていますが。
それよりなにより、解決の仕方を違う方向からわかったときに、自分のあほさ加減にあきれているという方が正しいのです。
人が嫉妬したり、悪くもない人の悪口を言うわけがないと思い込んでいたのです。
だから、その人がおかしいと分かったうえで、誰かと議論になるとき、私は徹底的に言います。
もしかしたら完膚なきまでに言い負かすかもしれません。
でも、そうかもしれないレベルの時には、私は1パーセントの善意すら信じてしまいます。
その可能性に免じて何も言うことができないこともあったのです。
それに、その性格で、まあ、言ってみればその能力で、その立ち位置にいれば、そういう気持ちになるかもしれないなあ、とも思ってしまうのです。
最近あったことから、自分に都合が悪いことで、自分が感情に走ったら、誰のことでも悪く言えるのが人間なんだなあ・・・、と分かったのです。
あほです。
それに、最近、自分に禁じていることを人がしていたら、腹が立つというように、私が絶対に自分に禁じていることをしている人に不快感をもち、また、あの人嫌いと思うようになりました。
と思ってみて、私は相当自分にそう思ってはならないと感情的にも封印している感情があるということが分かってきました。
もう少し感情を出してみよう・・・。
とはいえ、私にはめっちゃくちゃわがままな願望があります。(笑)
若ーい男性の秘書に、偉そうに、
○○、あれやっといて!これやっといて!
と顎で使いたい・・・。
「恋はつづくよどこまでも」の天童先生が羨ましくなったり、
あの気持ちわかるわー!
と思ってしまうくらい、仕事ではドSです。
正職員として勤めたのが、新卒の高校だけだったのが幸いしておりますが、それも、自分の一年後から入ってきた体育の先生が、学園の卒業生で、有名な監督の息子さんで、もう職員室に来てはあれこれ油を売っているので、パシッと言ってしまいました。
あの先生見てたらいじめたくなるわ・・・。確かに。
と言っておられる先生がおられましたが、いじめたんではなくて、ちゃんと注意してやったのでした。
でも、おそらく女性だったら言わなかったのだろうなというところ、意外に男尊女卑的傾向があったのかもしれないと、認めています。というより、私の中にそういうところが間違いなくありました。
だから、結婚したらそれまでほど仕事ができないだろうから、潔くやめなければならないと思い詰めていたのも事実です。
でも、あのまま続けていたら、絶対に被害者が出たであろうことは想像に難くはありません。
大学の後輩にも、おそらくは優しいムードメーカーであったであろう私は、仕事になると、許せませんでした。
もう少し続けていたら、おそらくは、誰か後輩の男性教諭をやっつけて、きっと大学の先輩でもある先生方から、
お前なあ・・・。ええ加減にせえよ。
くらいの注意は受けていたものと思われます。
そういうところが知らず知らずのうちに雰囲気に出ていたのかもしれませんが、子供たちの学校の先生方には、
お母さんに和ませてもらった・・・。
と言ってくださる先生もいらして、私という人間はどうなっているのでしょうか?
何度も言いますが、申し訳なさもありながら、私という人間のアホさ加減に今更気づいたアホな話として読んでくださいませ。
ただただ登場人物として書いただけで、悪口のつもりはなく、事実を書いておいります。
嫌な奴、成長のない奴と思っていただいてもかまいません。
もしかしたら、私がお姑さんになった場合、もしかしたら、お嫁さんよりも婿殿が危なかったのかもしれないな、くらいには自覚しております。
まだまだ自分という人間については分析しなければなりません。
だって、究極のいい子ぶりっこに違いありませんから。
それを暴くために、きっと周りの方々はいてくださるのだと思っております。
もっともっと腹を立て、私の醜い部分も現れたら、きっと今までよりも素敵な人生が待っているに違いありません・・・。(笑)
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