母の思いー決断
母が、結構大きな決断をした。
正直、最初は冗談で言っているのかと思っていたけれど、まあ、本気ならこちらも協力しなければならない、ということになった。
実はその決断について訊いてみた。
ときには母は、私たちが思っているよりも、かなり深く考えて行動していることがあり、びっくりする。
昨日、母と永平寺に行ってきた。
3年前に亡くなった父の法要のためである。
曹洞宗の実家は、永平寺さんに納骨したいと思いながら、でも、今時、わざわざ総本山まで行かなくても・・・、という考えもあったのかもしれないけれど、どうも母と私が永平寺に、と強く思っていた。そこは北陸にいる私が時折お参りに行けばいいわけで・・・、とも思い、そして私なりの憧れもあった。
いろんな人にお聞きしてみると、母も私も、なんでもそこはしっかりやっておきたい、と思ってしまうタイプのようである。
ということがわかった。
控室にいて、どうも私たちは、こういうことはきっちり、と思うタイプだよねえ・・・、と話していた。時折私がこだわりすぎたかな?とまで思った。
でも、法要の時に、大阪や三重県からも来られている方がいらっしゃるのを知り、少しホッとした。
母は、ある思いがあるのである。
通じてほしい思いがあるのである。
母は、頼りなさそうでいて、その実思いのほかしっかりしているのだということを、年を重ねるごとに思わされる。ただ、私と同様、かなりのお人好しで、人を疑うことを知らないし、少しでも善意があるのなら、それを信じようとするところがある。そこにためらいが生まれることがあることも知っている。
ただ、ある人のある思いがかわいそうなのだそうだ。
その思いが、その気持ちが、少しでも和らぐようにと思っての、永平寺へのお参りだったようだ。
思いが浅い人には深慮の人の想いはなかなかわからない。
思いやりが深い人の気持ちは、そうでない人にはわからなくて、とても下世話な話になってしまうこともある。
その、自分の深い思いの部分を理解してもらいたい、というより、通じさせたいという思いをもって、永平寺までたどり着いたようである。
足腰が弱いのに、一生懸命に坂道を上って、永平寺までたどり着いた。
永平寺からは、若い雲水さんの方々が、本当によくしてくださった。
永平寺からの帰り道は、大変だったにもかかわらず、母の気持ちはさわやかであったようだ。
これで、私が一番気になっていたことができた・・・、と何度も何度も言っていた。
私にも通じてほしい思いがある。
愛情深く思っていても、通じないこともある。
昨日お聞きした講話に、お母さんの愛情は、超能力みたいなものなんです。お母さんは、子どもが冷たいものを食べて、頭がキーンとなると、自分も本当に頭が痛いんです。
と平易な言葉で教えてくださった。
雲水さんのお父様は、父ではなくて、彼にとっては師匠です。
今は、辛いだろう・・・、ではなく、頑張れ!と背中を向けたような愛情を見せるときです。
愛情というのは表現しないとわからない。
いろんな表現の仕方があるんです。
何百年も前に立派なお坊様(道元禅師)もそうおっしゃっているんです。
本当にわかりやすいお言葉の中に、私は、日々の中での本質的なことを教えていただくことができて、本当に嬉しかった。
母にも伝わってほしい気持ちがある。
私にも伝わってほしい気持ちがある。
そんなときに、永平寺に行って、いいお話を聴かせていただき、そして、どこか時間を待つ勇気をいただいたようで、お互いの思いが通じるときを一緒に待ってみたいと思えるようになった。
待つことには勇気がいる。
しんどい時間を過ごす勇気である。
もしかしたらやってこないかもしれないそのときを待つということ。
それはとっても自立した精神である。
俵万智さんの歌に大好きな歌がある。
誰を待つ何を吾は待つ〈待つ〉という言葉すっくと自動詞になる
さてさて、母にとっても、私にとっても、それぞれの待つ時間が、まだもう少し続きそうである。いつか伝わることを願いながら。