正しさの追及
ちょっと最近、なんだか学生時代を、特に高校時代を振り返ることがあり、なんでまた?と考えていました。
何にこだわっているかというと、高校、大学時代は、正しくなかったからだとわかりました。自分が。
高校時代は、別に成績が、とかいうなら、真面目にやって、とかなら、正しくないわけではないでしょう。
咎められることが多くて、でも、若い時代に誰かに、
それ、ちゃうで。
と言ってもらうようなことがなければ、それこそクソ面白くもない人生です。
勉強もし、部活もし、青春そのものがありました。
なら、なんでそこまでこだわるのか?
と言われたら、自分がどこから見ても、正しいというわけではなかったからです。
何?この矛盾。
だれしも誰かに非難されたり、怒られたりするものです。
親に思い切り叱られてもいい。
それなのに、私は一生懸命頑張っていたのに、言われっぱなしだった、という傷があるのです。
性格の問題か、そうありたいという気持ちの問題か、私は、誰かに何かを言われても、当時はあまり言い返したりしませんでした。
そう言われるのだから、それは一面真実なんだろう、と思っていました。
それも、嫌なら嫌。不当だと思ったら、不当。
嫌いなら嫌い、と言ってしまえばよかったのだと思います。
先生方が嫌いでも、今の私ほど、あれこれ生徒のことを考えてはおられないように見えても、それを進学校だから、と思わずに、別に、
薄いなあ。
と考えてもいいわけです。
競争意識の強い時代に、いい人であろう、周りの期待に沿おうとすること自体が間違っている。
とか言いながら、私だって、あれこれ周りに酷いことを言っていただろうと思います。
嫌なら嫌、と言えない性格、あるいは言えない状況に気付き、私は今更ながら、脱皮しようとしているのだと思います。
何も私一人の問題ではなく、なんだか大きな発見をしたような朝です。
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