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突っ走ってきたけども・・・。(笑)

いまだコロナの症状がなくならず、まあ、しばらくは後遺症状にも悩まされるのではないだろうか?という予感がしている。
ただ、ずっとコロナになることなく過ごしてきたのに、今回コロナになったのには、個人的にはとんでもなく納得できるものがある。

病気って、なんとなくそれまでの澱っていうか、身体の中にたまった心の癖というか、生き方というか、そういうのが溜まっていることに気付かせてくれるような気がする。
若い頃から、いろんな人が周りにいて、いかに自分の思い方を変えるか?というところで何とかやってきて、でも、コロナ禍もあって、世の中、どこか人も変わり、社会経済も変わり、もう私一人の力ではどうすることもできないというところまで来ていたんだろうなと思っている。というより、そのままではだめだよと言われているかのような。

思えば6月頃から、もう言われるまでにやろうと思い、全部やっては身体に来ていた。無理しているのはちょっとずつわかっている。それがときにドーンとくるようになっていた。

数年前、自称、先生のこと友達だと思ってるというお母様は、

先生のように砦になってる人が必死で支えてくれてるからみんな持ってるんだよ・・・。

とおっしゃりながら、思い切りわがままをおっしゃっていらしたが、それに叱りつけたお母様数人かつてもいらしたが、この夏も何度か怒鳴りつけた。

先生に甘えていました・・・。

この言葉を何度聞いたことだろうか?
片づけなければもうやってらんない!というところまで来ていた。

奥さんの行状はどこから来るのか知りたくて、呼び出しを掛けたお父様によると、どうも離婚の危機らしく、深い話をしていないだけ・・・、というようなご家庭でやってほしい話をされ、これではいったい誰の味方をすればいいのかわからない状態だった。
お母様は仲の良いご夫婦のような話をされるし、子供たちも然り。
誰にも振ることができない。

そんなこんなを、自分が動くことだけで何とか解決させることは無理である。

生き方間違ってない?ということだったような気がする。
これは一般論ではなくて、あくまで自分自身についての実感である。

結構何かが起こっても、考え方のフレームを替えることで乗り切ってしまう。
それがいけなかったのかもしれない。

私はそれができそうなので、結構無理を言われるタイプかもしれない。

表情に出してみる。
ため息ついてみる。
何か思い悩んでいるような顔をする。
ちょっと気になることを言ってみる。

周りはそういうことをして心配されるのを待っているような気がする。(笑)

このパターン何度目だろうか?
周りの期待に応えすぎるのかもしれない。
応えすぎて、余計に嫌な思いをさせることもあるということに気付いた。

やりすぎなのかな?
若い頃に夫に、姑との関係で、

お前、あんまり一生懸命にやるな。

と言われたことがあった。

もうわからなくて、だって、お姑さんが注意されることがあるから、それを改善しようとして一生懸命やってるのに、もうどうすればいいのか?という状態だった。

だいたい通ってきたところがいけない。
周りはブルドーザーみたいに何でもやってしまう人たちがいて、やれないことは悪のようなところだった。
可愛げとかできないほうが可愛いとか言った価値観などみじんもなかった。
この通ってきたところというのが、まあ、ある場所なのだけれど。

でもそこでだって、本当のところ周りがどうだったかなどわかったものではないと思う。

いつか楽するために勉強したこともなければ、楽することを目指して何かを進めたことなどない。
いつも次の課題がほしくて、私は一生懸命やってきたように思う。

ちょっと振り返ろうよ。
ちょっと休もうよ。
ちょっと息抜いてみようよ。

そう身体が言ってくれたような気がする。

さてさてこの後ちょっと休ませてもらおう。
明日まで教室はお休み。
もし明日まだ回復できていなかったら、お休みを延長してみようと思っている。

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