冬期講習を終えてちょっと調子を整えてー原田マハ『たゆたえども沈まず』
毎日何時間指導していたことだろう。
ちょっと無理目に12時間の日が続いた。
明日は何時からですか?
物理は何時?
小さな個別指導塾だからあり得る質問。
明日、僕らは何時から見てもらえますか?
それから時間割をあれこれ調整して、その子その子に必要な科目を指導に入れる。
毎日シゴいてください、お任せです。
という受験生の親御さんからのご希望があり、こういう会話になる。
もう自分を取り戻す時間がない。
お気に入りの入浴剤を入れた湯船に浸かって、好きな香りのローションと美容液で肌を保湿した後(仕事があるからサボらないだけで。(笑))、ドライヤーで髪を乾かしている間のちょっといい香りに癒される。
音楽を聴く時間などない。大好きな本を読む時間はさらさらない。
そのうち今年はお弁当を作ることもできなくなった。
だから終わってからちょっと出掛けたことも、モーニングを食べに出掛けたこともあった。
地震もあったから気が抜けなかった。
原田マハさんの『たゆたえども沈まず』を読み始めたからずいぶん経つというのに、途中で終わっていた。読みたいと思っても、ベッドに潜ればすぐに眠りに落ちてしまった。
その連続。
つまりは、学校があるときはまあまあ時間があり、学校がお休みになるととんでもなく忙しくなるのが私の仕事である。
それでも、どう考えても、11月ごろから本格化する受験指導の、この受験直前の1か月ほどとこの後2か月ほどが、1年のうちでもっとも生きている実感があるというのがおかしい。
私は昔から忙しいことが好きだった。
もともと考えてしまいがちな私に時間があるといいことなどあるわけがない。
幼いころはそれこそ興味関心のままに行動してに家の中で過ごしていたが、社会に出始めると、疲れるようになって、忙しいことが得意でなくなってしまったことがあった。
それがまた逆に、忙しいことが好きで、家のことをあれもしたい、これもしたい、テレビ番組が観たいなどと思っているのがちょうどであることを知っている。
仕事関係のあれこれは、結構鋭く頑張れても、私は些細な人間関係の方が堪えるタイプである。
自分で言うのも気が引けるけど、先日自己肯定感&他者肯定感診断と言うものを受けてみた。
いつの間にかそうなっていただろうと思っていたけれど、結構自己肯定感も他者肯定感も高い。いや相当高い。
そのタイプは人格者タイプである。
あの有名な16パーソナリティに分けるタイプの診断では、指揮官タイプ。なんかわがままなイメージなのに、人格者タイプ?
どちらにせよ、どうも仕事が好きそうである。
人格者と言うのは、ちょっとわかる。
私は自他ともに認める意地悪しないタイプ。
わからなくて意地悪になっていることも結構気にする。自分が意地悪でなくても意地悪だと受け取られて悩まれるのはとっても嫌い。
わかって嫌みを言うことは皆無。当然。
いえ、私が人格者なわけではありません。
そんな立派なものではありません。
そうではなくて、私は自分が大事な人が大事で、自分がしたことが自分に返って来るならまだいいけど、自分がした小さなことの積み重なりって、きっと自分にとって一番大事な人に返っていくと信じているから。
かつてどこでだったか、自分のしたことは良いことも悪いことも返ってくる。それが子どもに行ったら辛い。
と何度も何度も聞いていた。
そして経験した。
他人様に対して思ったり、いわんや言ったりしたことは全部自分に返ってきたり、自分ならまだいいけど自分の大切な人に返っていくということを。
私などまだ些細なことである。
でも教訓を得るには十分だった。
生徒たちは言う。よく言われる。
先生は絶対にとんでもなく自分の子どものことを考えてる、と。
どこでそんなことを感じるのか、彼らは一様にそう言う。
そうそう自分のための人格者なのである。十分功利主義。(笑)
それに自分が誰かに何か良いことをしておけば、誰かが自分の親や子供にもいいことをしてくれると信じている。仮に自分の手が回らないところでも、たとえば厳しくても愛情のある上司に恵まれるとか、ちょっと心休まる素敵なおばさんに出会って話を聞いてもらうとか。それに母なら、もしかしたらお友達に恵まれるとか、病院の先生や看護師さんにちょっとだけ優しくしてもらえたり、しっかり診てもらえるとか、あるいはどこか一人で歩いているときに困っていても誰かが助けてくれるとか。
十分にわが身勝手の人格者なことくらい自分でもわかっている。
とはいえ、人格者だけでやっているわけではないこともある。
どうもご指摘通り、私は数字に表れなければ面白くないタイプらしいので、生徒の成績に数字に表れるように指導するのが好きである。
偏差値や得点として。
今回は、冬期講習で地理と物理で共通テストで30点ずつ上げたいと言った生徒に対して、これでもかと指導し、プレテストでは大いに得点を上げてもらった。こういうの好きである。
だから、いつも国語はみんな特別にいい。
今年も理系男子で、
もう国語は勉強しなくていいです。
と学校の先生に言われてしまった生徒もいた。
そんな生活をしていて、生徒から、
眠りたい意外に今先生が一番したいことって何ですか?
とお互いドロドロに疲れながらも尋ねてくれた生徒がいた。
考えることしばし。出した答えは、
もちろん家事ね!掃除が一番したい(何?この答え!?もちろん通常の荘子ではなくて・・・。)。次にやっぱり文学書が読みたいね!本がないと生きていけないねえ。
と話していた。
そう、こころの潤いがほしい。
それに一時、むしろ哲学やビジネスの方の本の方がしっくりきて、文学書が無理だったこともあった。読み方が事柄を上滑りしていたから。
文学書は心情が理解できてなんぼであるから。
そして、今日、久しぶりに母の付き添いで病院に行って、待っている間に、『たゆたえども沈まず』がかなり読めた。
いつの間にかゴッホの弟テオが婚約し、やっと自分自身のしあわせをつかんだところに、兄ヴィンセントがフランス郊外のアルルで共に暮らし、共に絵を描いていた友人ゴーギャンと別れて、自身の耳たぶを切り落としたところであり、その後新婚生活のしあわせを噛みしめるテオの様子を聞いたこの話の重要人物林忠正が、ヴィンセントについて、
ヴィンセントはつぶれるな。
とつぶやくところである。もうドキドキの展開である。
テオの自身がもうヴィンセントの重みに耐えきれなくなっているようでもある。彼は共感能力が高く、愛情深く、そしてあまりに突き詰めて考えようとするので、重たくなりすぎるのである。林のような、優しいけれど、でもどこか客観的に冷徹に現実を見る目がないと支え切れない。どこかヴィンセントから逃げようとしている感じである。
今まで事柄として知っていたかのようなゴッホとゴーギャンの関係。
『月と六ペンス』でゴーギャンの画家になる過程は知っていたし、それに幾分かの感慨はあったのだろうけれど、名作『ひまわり』のためか、私はどちらかというとゴッホの方が好きである。好きというほどに知っているわけでもないけれど。でも、『ひまわり』は大好きである。
テオの若妻ヨーが、ヴィンセントの絵が好きだという場面もあった。純粋だというのである。
私は画商の林忠正にもひかれる。ヴィンセントの絵を支えるのはテオだと言い、ヴィンセントの苦しみを自分の苦しみのように受け止め、画商でありながら、林と共に出掛けたナポレオン一族の宴で、取り乱してしまうテオに、
お兄さんを支えるには、あなたはもっと強くならなければ・・・。
という林の言葉に今の私は最も共感するかもしれない。
どこまでが原田マハさんの虚構の世界のものであるのか、あるいは実際の人物がそうであるのか私にはわからない。でも、きれいごとが好きな私は、どこかきれいごとで済まない、優しさの向こうにちゃんと生きて行く術を見ている人が好きである。というより憧れる。
純粋で真っ直ぐな主人公重吉や思いつめがちなテオ。テオは牧師の血筋を引いてもいるから当然にある種の純粋さを持っている。多分に哲学的に。
私にもそういうところがある。
でも、それだけでは生きていけないこともよく知っている。
だからこそ、物心両全の境地で生きている人が好きである。
哲学を持ちながら経営をしている人。ちゃんと従業員を食べさせていくことを考えながら、きれいごとだけでは済まないながら、それでもできるだけ誠実に実直に生きて行こうとする人。
そのあわいを生き抜いている人のような気がする林。
さっき調べたら、主人公の重吉が、金沢の出身であると共に、実在の林は、越中高岡の人であるそうな。この二人は、今の東大の前身である大学南校、開成学校の出身である。フランスに憧れ、教師の止めるのも聞かず、さっさと中退してフランスに渡ってしまうほどの勇気ある人物である。進取性と興味関心が溢れていたのだろう。日本人に対する差別意識の強い世界の文化の中心パリで、絵画を扱う商人として大成するには、どれほどの粘り強さが必要だったであろうか。
昔、越中の商売人は、高岡商人の歩いたあとははぺんぺん草も生えないと言われたほど商売上手で、高岡は早くから商都として有名だった。
林の抜け目のなさを読んでいると、その底に温かさをもちながら、それでいて未来の大きな利益を見ているところなど、正直素晴らしい。
我ら高岡出身の偉大な画商を、そのような人物に仕上げてくださった原田マハ先生に心から感謝して、思わず感嘆の声を上げてしまった!
林忠正には大いに進取性があったのだろう。
この、まわりの芸術をめぐっての超々純粋な人々の中で、林の策略家的な面が、この作品をしっかり中心で引き締めている。まるでほかの人物だけだと、作品そのものが緩んでしまいそうなのに、あるいは、テオとヴィンセントの関係性の悲劇性だけに視点が膠着してしまっていただろう。幾分重吉によって緩和されると言っても、この二人の関係性を、相当特異な関係性を私たちの生活レベルにまで持って来てくれているのが重吉だとすれば、それを絵画史の中でしっかりストーリーを留めさせているのは林の存在である。
キュレーターでもいらっしゃる原田先生の手法にハマってしまったのは、富山県立高校入試の過去問の中でであった。国語の問題文を読んだそのとき、もうすぐさま注文していたほど、読んでその世界に惹かれてしまったのは、『リーチ先生』だった。かの小説の中でも、偉大な民芸運動の中でのバーナード・リーチや柳宗悦など大いに日本美術史にその足跡の残る人々を多く登場させながら、亀吉という主人公の視点を通すことでどれほど私たちの身近なものとして感じさせてもらえたか?そのあと、大して読んでもいないのに、私はすっかり原田マハファンであり、何かあったときにはつい手を出すのは原田先生の作品である。
美術を身近なものに感じ、その作者たちに人間としての実存を感じさせてもらえる。そのための人物はしっかり配置されながら、本来ならなかなか伝わっては来ない美術史中の偉大な人物たちが、まるで隣で生きている人であるかのような息遣いを感じさせてくれる。
今日は林が怒った場面まで読んだ。
人間林の悔しさは、パリという文化の中心地での大きな出来事に対するものであり、今彼はとんでもない美術史の波が大きくうねっている渦中にいる。誰もがあのとき、あの頃の、という偉大な美術史の潮目にいると言ってもいいだろう。その時の林の怒りが今、直に感じられる。
いつも印象派の台頭を、歴史の必然として現代文の評論の中で読み、生徒に語って来た。美術史というのは、社会の動きからちょっと遅い波としてやって来るのかもしれない。
印象派について、単純に芸術そのものとしての流れとして現れたと論じている文章もあれば、カメラが誕生し、それまでの肖像画など、できるだけ正確に描き写すということに存在価値がなくなり(正確さという点においてはカメラの方が正確であるから。)、需要と供給の問題として扱うものもある。
そして、またオークション側の都合と、何を持っていたらその時代人として価値が上がるか?という点から語ったものもあった。
とにかく印象派とその周りのお話には、あれこれ考えられることがたくさんあるのだと思う。
客観的に見れば、せっかく後年、とんでもなく認められ、称賛され、とんでもなく高値が付くのなら、どうして画家たちが存命中に売れなかったのか?そう、世俗的に言っても売れてほしかったと思う。ルノワールとモネ、そしてその後その系譜につながるピカソはとんでもなく儲けてもいたのに!などと思ってしまう。
そして神様はこの世をどのように作っておられるのだろう?とも考えさせられてしまう。
純粋さだけでもダメ。策を巡らしたってうまく行くとも限らない。
自分の芸術にだけ生きてもどうもしあわせにはなれない?
だとしたら?
そんな疑問も残りながら、当時をその立場から精一杯生きた人々の息遣いを感じながら、やはり生きるとはどういうことか?ということを考えさせられる。そして、ついその登場人物に対し、共感することしきりである。今はまだ読んでいる途中なので、私は登場人物と共にパリにいさせてもらっている。とんでもなく腹立たしい思いでいる林と重吉と、共にセーヌ川に掛かるポン・ヌフの真ん中で欄干に身を預けながら、語る次の林の言葉を待っている。
さてさて読了したときは私どうなるのだろうか?