儚さって
今年のゴールデンウィークもあと一日。
遠出はせず、家でゆっくりするか、近郊でランチに出かけるくらいで過ごしています。
夜ご飯は、あまり外食せずに家で野菜をもりもり食べています。
というのも、先日、横浜中華街にある「照宝」さんという中華調理器具屋さんで、直径24㎝の大きな蒸篭(せいろ)を購入しました。
蒸篭にも色々な種類があって、杉や白木、檜などそれぞれの素材によって特徴も様々。
檜でできたものは少し価格がはりますが、一生ものとして使用できるそう。
蒸篭料理をたくさんやりそうだったら、レベルアップしてみるのもありかな。なんて話しながら、見た目がいちばん「the 木」っぽくてお手頃価格な杉の蒸篭をゲットしました。
こうなると、今度は美味しい野菜を探しに行きたくなります。
それとこの連休には、松濤美術館で開催されているエミール・ガレの企画展に行きました。
ガレは19世紀にガラス工芸の分野で第一人者として活躍したフランスのガラス作家で、もともと家業のガラス・陶器製造販売を引き継いだ経営者であり、植物学や生物学など幅広く深い教養を持ち合わせていたそうです。
ガレの作品を初めて見たのは、中学1年生の夏休みに入るとすぐにやってくる「研修旅行」という名のもと行った長野県にて。
蓼科の山をハイキングしたりと自然体験を通して集団行動を鍛える?ための2泊3日でした。
その最中に組み込まれていた美術館で見たガレの「ヒトヨタケ」は、中学生で芸術などに一切興味のなかった私にとって、不思議と、印象に残る作品となりました。
松濤美術館に展示されていた作品は、国内の個人コレクター所蔵の貴重な作品を中心に、花瓶や器など、ガレらしい植物と昆虫・蝶などが登場する作品が多く並んでいました。
そんな中、ひときわ頻繁に登場していたのが「蝉」と「蜻蛉(かげろう)」のデザインが施された作品でした。
蝉、蜻蛉といえば、その"儚さ"です。
特に蜻蛉とても寿命が短く、の成虫してから1日で死んでしまうと言われています。
昆虫の中でも最も儚い命。
蝉も同様。土の中では長いようだけれど、地上デビューしたのち子孫繁栄という役目を果たして一生を終えます。
かく言うヒトヨダケも、一夜茸という文字の通り、短時間でカサが溶け落ちてしまう儚いキノコなんだそうです。
そしてその隣から、新しい命が芽生える。
儚さって、なんだか切ないような悲しいような響きと、美しい響きをもちあわせますね。
自然の摂理、輪廻、循環。
ガレの作品はそれらを感じさせてくれるものだし、きっとそれはとても自分も大切にしたい価値観のように思います。
だからこそ、大人になっても変わらず、彼の作品に魅かれ続けるのかもしれません。