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カリスマじゃなくてもリーダーになれる

こんにちは!ひまらつです。

みなさんは自分がリーダーに向いていると思いますか?

私はプロダクトマネージャーという職種をしています。プロダクトについて決断したり、ビジョンを示したり、チームをまとめたりと、リーダーシップを求められる機会が多くあります。

私は自信満々に振る舞ったり、大きなことを言ってメンバーを牽引したりするのがあまり好きではなく、自分は誰かを手伝うのが得意なサポータータイプだと思ってます。
そんな自分がプロダクトマネージャーを始めてもうすぐ1年。色々な経験、良い本との出会いにより、今はリーダーシップへの考え方が少し変わってきました。

このnoteは1年前の自分に向け、リーダーシップの形は一つじゃないこと、そしていわゆる"カリスマ"じゃなくてもリーダーシップを発揮できることについて書いてみます。

リーダー = カリスマ?

「リーダー」と聞くとどういう人物を思い浮かべるでしょうか?

私の場合、スティーブ・ジョブズや孫正義、漫画でいえばキングダムの信や王騎など、その信念で人々を引っ張っていくタイプの人が思い浮かびます。
偉人伝などを読んでも、真のリーダーとされる人はどこか自分と違っていて、生まれながらにリーダーの素質があるように思えます。

こういったリーダーについての印象を変えるきっかけを与えてくれたのが「サーバント・リーダーシップ入門」です。

この本では、リーダーシップとは天性のものではなく、後天的に経験から学んで身につけられるものだと書かれています。そして特定の立場にいる人が発揮するものではなく、周りのメンバーがその人を認めた瞬間にそこにリーダーシップが生まれると説明されています。

サーバントは「奉仕する」という意味で、周囲のメンバーが働きやすいように場を整えたり、サポートしたり、協力したりすることにあたります。協力があると、メンバーのパフォーマンスはあがって成果は出やすくなるでしょう。自分のために尽くしてくれるその人に信頼が生まれ、そうして信頼が集まっている人を周囲は自然とリーダーだと認めることになります。

この「与える」から始まる関係性は、最近読んだいくつかの本でも共通して重要性が語られていました。

世界的ベストセラー「愛するということ」では、人に与えることの重要性が述べられています。

与えることはもらうことよりも喜ばしい。それは剥ぎとられるからではなく、与えるという行為が自分の生命力の表現だからである。
(中略)
たくさんもっている人が豊かなのではなく、たくさん与える人が豊かなのだ。ひたすら貯めこみ、何かひとつでも失うことを恐れている人は、どんなにたくさんの物を所有していようと、心理学的にいえば、貧しい人である。

「愛するということ」 より(太字は筆者)

また、クリステンセン氏。イノベーションのジレンマでおなじみですが、彼がビジネスで学んだ考え方を人生に落とし込んで書いた本「イノベーション・オブ・ライフ」の中でも、人に与えることの重要性が説かれています。

つまり幸せを求めることは、幸せにしてあげたいと思える人、自分を犠牲にしてでも幸せにしてあげる価値があると思える人を探すことでもある。

「イノベーション・オブ・ライフ」より(太字は筆者) 

人に与えることから始める「ギブ & ギブ」。人に良くしたい、喜んでもらいたいという気持ちは人間の根源的な欲求だと思います。周囲のメンバーが働きやすいように支え、奉仕することで信頼関係が生まれていくサーバント・リーダーシップは自然なリーダーの形だと感じました。

場面ごとに適切なリーダーは違う

著書「シェアド・リーダーシップ」では、メンバー全員がリーダーシップを発揮できるチームの強さが紹介されています。

複雑化した現代では、ひとつのサービスについて話しているときも、デザイン・技術・市場・競合・業界トレンド・社会状況など、様々な観点で考えることが必要です。これらを一人のリーダーがすべて把握するのは不可能ですし、それでは判断の質が下がります。その領域に長けた人がリーダーシップを発揮し、周りを巻き込んで進めていくのが最善手です。テーマとなる領域ごとに、誰がリーダーになるかは変動して良いのです。

その領域を得意な人がリードする

シェアド・リーダーシップのために重要なことが2つあります。一つは「リーダーに"なれる"心理的安全性」、そしてもう一つが「積極的なフォロワーシップ」です。

リーダーに"なれる"心理的安全性

リーダーシップを発揮するためには、自分の意見や考えを言う必要があります。そしてそれはリスクのある行為です。言われた通りやっていれば失敗しても誰かの責任ですが、自分が主体となると失敗時に責任を負うことになります。

少し間違えただけで厳しく叱責される環境ではリスクが大きく、誰も発言しなくなるでしょう。チャレンジが推奨される雰囲気、ユーザー目線や目標の共有、メンバー間の信頼関係があって初めて一個人がリーダーに"なれる"環境になります。

どれだけ優秀な人でも、価値観やバイアス、環境の影響を受けるため物事を見る角度に限界があるという話を以前書きました(意思決定との向き合い方)。
その限界を超える方法がチームの集合知ですが、誰もがリーダーシップを発揮できる環境は集合知をフルに活かせる環境だと思います。

複数の価値観(円)で、問題をいろいろな角度から把握する

積極的なフォロワーシップ

誰かがリーダー的な振る舞いをしたとき、それがうまくいくかはその他のメンバーに懸かっています。きちんと話を聞く、議論する、うまくいくように手助けする。受け身でいるのではなく、積極的に関与していく姿勢が重要です。

このフォロワーシップについて自分が思い出すのは「社会運動はどうやって起こすか」というTEDの動画です。

デレク・シヴァースによるプレゼンで、「社会的な運動がどうやって起きるか」を紹介しています。わずか3分弱の動画ですが、最初に見て以来ずっと心に残っています。

このTEDの中で紹介される動画は、公園で一人の男性が踊っているところから始まります。

公園で踊る男性

最初は一人の単なる行動でしたが、少し経つとここにもう一人加わり、男性の隣で同じように踊り始めます。

二人目が現れて隣で踊り出す

すると、それを見て楽しそうに思った周囲の人たちが踊りに加わり、三人、四人と、徐々に大きな動きになっていきます。

一人で始めた踊りが公園中を巻き込む

最終的には公園じゅうの人々が踊り、大きなムーブメントになります。みんな楽しに踊っていますね。

これが社会運動の起こし方です。最初に行動を始めた一人目の勇気はもちろんすごいですが、それが大きな運動につながったのは一緒に踊り始めた二人目の存在、つまりフォロワーシップです。

何か偉業が成されたとき、ファーストペンギンに注目が集まりますが、そのファーストペンギンを孤独にせず、一緒に乗っかって流れを作った二人目も重要です。誰もがリーダーになれ、そして同時にフォロワーにもなれるチームは強いチームといえるでしょう。

朝令暮改はしてオーケー

私が思っていたリーダー像は、「一度決めたことは何があっても貫く」人でした。ブレずに同じことを言い続ける、それを達成するためにメンバーを鼓舞するようなイメージです。

しかし、書籍「THINK AGAIN」の中で、最も良い成果を出すのは決断を何度も再考できる人だった、という調査結果が紹介されています。

自分の考えが間違っているかもしれないと疑い、反復して検証する。直感や経験、知識の量ではなく、再考した回数によってその精度があがるというのは興味深い結果です。

私は一度決めたことも後から「本当にあってたのか?」「他にもっと良いやり方あったのでは?」と考えてしまう性格です。決断への自信度が低くて微妙だと感じていた時期もあったんですが、良い結果を出すために何度も考え直すのはむしろ良いことだと言ってもらえた気がして、前向きに慣れた一冊です。

考えなしのピボットはダメですが、目指す地点に向かうために考え抜いて方針転換するのは良いことです。その判断に至った経緯、変える理由をしっかり伝えれば受け入れてもらえるはずです。

"自分らしい"リーダー像を目指して

誰もがリーダーシップを発揮する機会があります。そして、その発揮の仕方は千差万別です。

「オーセンティック・リーダーシップ」では、リーダーシップの在り方はその人の人生経験に左右されるもので、他の人のやり方を真似してもうまくいかないと書かれています。無理してジョブズのように振る舞っても周りに見透かされますし、上辺だけのパフォーマンスに人はついていかないでしょう。

人生経験は全員違いますし、同じ経験をしてもその人の価値観によってそこから何を学ぶかは変わります。背中で語るタイプ、支えるタイプ、エネルギッシュに引っ張っるタイプ、静かにロジックで語るタイプ。自分にあったスタイルを見つけるのが大事です。

ちなみに自分はどうかというと、ビジョンで方向性を示しつつ、あとはメンバーが走りやすいように道を整え、サポートするスタイルが今のところ良いのかなと思っています。でもこれも試行錯誤中で、今後経験を積むにつれ変わっていくものかもしれません(THINK AGAIN)。

おわりに

「全員がリーダーシップを発揮する」という考え方にはじめて触れたのは、10年前の新卒の頃に読んだ伊賀泰代さんの本「採用基準」です。マッキンゼーのチームの描写のなかで描かれており、全員がリーダーシップをとれたら強いだろうなぁと思った記憶があります。

こういう考えをより深く知りたくて、知恵袋などのサイトで関連本を尋ねたりしたのですが、当時はまだ一般的な考え方ではなかったのか「リーダーが何人もいたら"船頭多くして船山登らず"になる。だからそんな本はない」と一蹴されました笑。

あれから多数の素晴らしい本が出版され、こうして学べる状況になったことをうれしく思います。

ちなみに、そのコメントの「船頭多くして船山登らず」の指摘ですが、今ではこれにアンサーできます。混乱するのは指針がないまま全員が先導しようとしているからで、目標や周囲の状況が適切にシェアされていれば全員がリーダーシップを取っても回ります(サッカーでピッチに立つ11人全員がコーチングするのと同じ)。リーダーに"なれる"環境を整えることが大事ですね。

さて、ここまでお読みいただきありがとうございました。
今回のnoteではリーダーシップに関する気持ちの変化を書いてみました。もしどなかたのお役に立ちましたら幸いです。


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