つらくなったら、誰かに何かをあげる(孤独と不安のレッスン)
鴻上尚史著「孤独と不安のレッスン」を読んだ。以前、ブレイディみかこさんとの対談本を読んで、印象的だったからだ。
「孤独」「孤立」の問題
今年、日本で、世界で2か国目の「孤独孤立対策担当室」を設置されたのを知り、「孤独」「孤立」というトピックが気になっていた。社会の構造に起因する「孤独」「孤立」は、何が問題で、この担当室は何をすべきなのか、気になっていた。
私は、「孤独」「孤立」というのは、必ずしも、悪いものではないと思う。
「孤独」は「ひとりだと感じること」、「孤立」は「ひとりの状態」とすると、「孤独」を感じながらも自分一人の時間を楽しむ豊かさもあるし、「孤立」していても、それはただ「ひとり」であるという状態に過ぎない。
ただ、「孤独」「孤立」と上手く付き合えない状況、状態にある場合、「不安」「絶望感」「悲しみ」に襲われて、とても苦しいと思う。
孤独孤立担当大臣のメッセージ
内閣府のホームページでは、孤独孤立担当大臣の坂本氏のメッセージが掲載されていた。
「あなたは一人じゃない!」
「孤独・孤立で悩んでいる皆さんもこれまで頑張って来られたと思います。しかし、頑張っても頑張ってもどうしようもない状況に追い込まれるときは必ず誰にでもあります。そんな時はいろいろな方々とつながって、相談して新たに進む知を生み出すことです。相談することは恥ずかしいことではありません。新たな知を探すための一つの方法なのです。」
というメッセージ後半部分に私は違和感を感じた。
「あなたは一人じゃない」と言うけれど、人間誰もが一人だと思うし、どうしようもない状況に追い込まれたときは、「いろいろな人と繋がること」「相談すること」が出来ないからどうしようもない状態だと思った。恥ずかしいから相談出来ない人もいるかもしれないが、相談出来ないのは、恥ずかしいからではなくて、これまで「聴いて」もらえなかった、相談したけれど上手くいかなかった経験を何度もしてきたから相談出来ないのではないかと感じた。
つらくなったら、誰かに何かをあげる
大臣は「孤独」で辛いときには「人と繋がろう」「誰かに相談しよう」というメッセージを書いていたけれど、「孤独」「孤立」の問題は、「孤独」「孤立」で苦しんでいる際に、どうしたら人と繋がるか、どうしたら誰かに相談できるかだと思った。
そんなことを感じている際に、鴻上尚史著「孤独と不安のレッスン」を読み、「つらくなったら、誰かに何かをあげる」という章が印象に残った。
自分の「孤独」や「不安」を解消するために、他者に一方的に頼るのではなくて、まずは、他者に「何かをあげる」こと。そして、必ず返ってくるわけではないが、何かをあげた「お返し」をもらうことで自分の「孤独」や「不安」を解消すると良いという考え方だ。
例えば、「孤独」や「不安」でしょうがない時、一方的に頼る人は、ただ電話やチャットで話を聴いてもらおうとしてしまう。しかし、「何かをあげる」人は、自分は料理を作って家に招待することで、「話をきいてもらう」という「お返し」を得る。
このように誰かに何かをあげるということで、「孤独」や「不安」から抜け出すことが出来るという考え方に納得、共感した。
孤独孤立対策担当室は何をすべきか
孤独孤立対策担当室は何をすべきなのか、何を期待するかを考えてみた。
現状、担当室が掲載しているのは「相談先」「助けてくれる人」の情報だ。
もちろん、「相談先」「助けてくれる人」の情報は大切だと思うが、情報があっても行動できるかどうかに疑問を持った。もしも、私が、どうしようもなく孤独で孤立していて、不安でしょうがない時に、全く知らない相談先、助けてくれる人に助けを求められるか考えたら、なかなか行動を起こせないと感じた。
「孤独と不安のレッスン」を読んでいて、「孤独」「不安」を解消する際に、「誰かに何かを与える」という考え方を知った。
人間は、自分が困った時に、誰かに与えることで、救われるならば、孤独孤立担当室は、「相談先」の情報だけでなくて、困っている人が、「誰かに何かを与える機会」を作ることでも、多くの人を救えるのではないかと思う。
まとめ
「孤独」「孤立」の問題というのは、「孤独」「孤立」それ自体が問題という訳ではないと思う。
ただ「孤独」「孤立」に苦しめられることは多々ある。
苦しい時の「相談先」はもちろん大事だけれども、一方的に助けてくれる「相談先」だけでなくて、自分が何かを与える「お返し」として苦しみを解消できる機会・環境も同様に大切だと思う。
「他者へのちょっとした貢献がしやすい社会」「自分の役割を見つけられる社会」「自分の強みを発揮できる社会」
そんな社会になれば、「孤独」「孤立」の苦しみが、和らいでいくのではないかと考えた。