孤独について。
外出自粛の流れの中で否が応にも痛感させられるのが、「孤独」についてであると思う。社会との断絶。コミュニケーションのはく奪。
だけど一般的に「孤独」って言われる状態は、厳密には「ひとりになること」と「ひとりぼっちになること」という2要素に分解できると思う。後者のイメージが強いから、孤独って言葉は寂しさ、虚無感などのマイナスイメージがつきやすい。でも、本来はプラスの要素もいっぱいあるはず。
孤独のこの両面性は、今回のコロナ騒ぎでも顕著に表れていると思う。
友人は、リモートワークで適度にコミュニケーションの束縛から解放され、久しぶりに自身のキャリアについて深く考えることができたという。
いっぽうで、外に出ることができない閉塞感で生活リズムが乱れている、イライラしているなんて話もざらに聞く。
所帯持ちの人にしても、家族と濃密に過ごす時間ができてよかったという人もいれば、むしろ距離が近すぎて疲弊していく、なんてパターンもある。
いずれにせよ、人は普段から「自分以外の誰かとの適切な距離は何か」という思考錯誤を通して、自分にとっての適切な「孤独」の定義を探っている。
今回は外的要因によって「強制的な孤独状態」が作られたことにより、その中でプラスにもマイナスにも様々な反応が起こっていると思う。
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かくいう自分自身は、もともとがインドア陰キャということもあり部屋で一人過ごすことに特別違和感や孤独を感じてはいないが、やはり「外に出てはいけない」「人に会ってはいけない」という束縛には、社会から切り離されたような寂しさを感じるのはたしか(普段は人込みなんかホントは行きたくねえ!とか言ってるくせに、手に入らないと分かったらそれはそれで寂しくなる、というメンドクサイやつ)。
こんな状況が長引けば、コロナ以外の厄介な病が蔓延しだす気がしてなんだか怖くもある。
いずれにせよ。
今が、自分にとっての「孤独」の意味や、社会の中における自分自身という存在に思いを馳せるには絶好の機会なことは確かだ。
たとえば、自分にとっての孤独とは、何気ない日常の風景や事象に感性を研ぎ澄ますための心の余裕を作ることとニアリーイコールであるし、行き過ぎると日常感覚に戻ってこれない脅威を秘めた領域でもある。今まで何となくの定義はあったが、こういう現状下で改めて思い知った。
「自分って、基本孤独が好きなんだなー。」と。
でもそれは、人と付き合わず生きていきたい!ということではなく。
孤独の中に定立した自分自身があるからこそ、他者(世界)に対して豊かな感性を持てる、ということ。
孤独を大事にするからこそ、社会にとっても好循環が生まれると信じている。
社会に生きる一人ひとりが、自分なりの孤独の意味やその価値を見出すことができれば、それはそれで今後の社会にとって良いものになると思う。
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今日も今日とて駄文を失礼いたしました。
……ちなみに、自分の自堕落さの言い訳で書いたわけじゃないですよ。いや本当に。
それでは。