飽き性で良かったこと
「ほんと努力できないよね」、「飽き性だね」って、言われて、早くも22年。
治る気配も治す気もなく、生きてきました。
好奇心旺盛なことや、すぐに人を信用することから、飽き性という性格が正直嫌なこともあります。
特にコミュニティありきの関係性だと、共通の趣味や共通の事柄に飽きたり、嫌気がさしたりすると、もう大変です。
そこに留めさせようとしたり、価値観を押し付けられていると感じてしまうと、周りのことを悪く想おうとする自分すらいますからね。
本当に酷い人間性だと思います。
そうすると、当然ながら、そこでの居場所はなくなりますし、そこから抜けるための手立てを考えなければなりません。
できる限り、自分が抜けたいから抜けたと思われないようにしながら。飛び立つ跡はもう汚れているのに、自分の気持ちだけでも、汚れていないと思いたがるのです。
でも、「飽き性で根性なし」この性格で良かったなと思うこともあります。
なんと言っても、本当に好きなものだけが自分に残るのですから。
しかも、その好きなことには、始めた当初から自分自身で何かしらのセンスを感じているのです。
「俺天才なんじゃね?」、「やべえ!俺すげえ!」
「どうだ、やってやったぜ!」
唯一自分のことを認められることって一つでもあれば良いですよね。
それが人生の大半を占める生活になるなら、どれだけ素敵なことなんでしょうか。
少しずつかもしれないですけど、そこに向かって歩いて行けたらって思います。
幸い努力と思うことなく、頑張れたりするので。
そうやって、今も音楽を作ったりしてます。
すごい楽しいですよ。これだけは。