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自分の子ども時代を振り返り「こんな子育てをしたい」という願いについて

こんにちは、
不妊治療の移植周期のホルモン療法と
子宮の乳酸菌を増やすサプリメント膣剤と
帯状疱疹の治療を並行中のアラサーです・・・!笑

( ・∇・)

いろんなものが並行していて、
薬やタスクがたくさんになって
よく分からなくなってきましたが、

明日のルテウムという膣剤を入れる時間だけは
細かく決まっているので気を付けましょう。
それを入れ始めることで、移植の時間への
カウントダウンが始まる仕組みのようです!

さて、今日は雨だし寒いし温泉行けないしで
近場で夫さんとランチ&カフェ。

カフェでお互い好きな本を読んでいるのが最近の
休日の過ごし方で定番化してきました。

夫さんとは、もう出会ってから7年近くになるので
本当になんでも言えるようになってきて、
汚い話ですが、笑
トイレの大きい方をした、というのを
私たちの間では「ぽこってきた!」と呼ぶんですね。
「ぽこしたくなってきた」とか、
便意ならぬ「ぽこ意が迫ってきてる」とか、
そういう風に言えるようになって、
一緒に過ごすのがすごく楽ですね。

親密ではない人といるときに、
便意くるとちょっと困るじゃないですか。
トイレには行けますけど、長い時間だと心配かけるし。

それに、結婚してからもしばらく私
夫さんの前でおならできなかったんですが、
2年くらいに「夫さんの前でおならできるようになる」という目標を掲げ、
そこから恥ずかしさを乗り越え、今はもう普通におならできるようになったので快適です。
夫さんも、私のおならを待ち望んでいたようで(なんなんだこの話、笑)
私がおならするととても喜んでいます。(心を開いてくれた的な喜び?)

そんなこんなで、なんでも言えるって楽ですよね。

****

という話から、一冊の本の話になるんですが、

昨日、ふといつもとは違う改札から帰ろうと思って
そっちに行ったら、ちょうど本屋さんがあり、
気になって中を見ていたら、目に止まった本。

『死にたいって誰かに話したかった』

という本です。小説です。
文庫本で、表紙のイラストが柔らかい感じなんですが、
タイトルにすごく目が惹かれて。

なんか、「分かるな〜」って思うんです。

言えない感じあるじゃないですか。
言っちゃいけない的な。

私、小さい頃、結構つらいこと多くて。
この本の登場人物たちほどの大変なことがあったわけではないけど、
なんていうか小さい頃って、まだ「生きる」ことに慣れてなくて。
心も繊細だし、小さなことが自分にとっては遥か大きいことのように感じられて。
家庭と学校っていうとてもとても小さな世界だけで生きていて、逃げ場もないし。
明日何をする、っていう自由もない。
学校を変えるとか、有休を使うとか、そういう選択肢もない。
ただ、決められた毎日を過ごすしかなかった(と思っていた)
毎日は、私にとっては結構辛かった。

当時はまだインターネットも今ほど自由に使えなかったから、
必要な情報や繋がりにたどり着く手立てもなく、
それこそ、図書館で借りる本が唯一、違う世界への入口として開かれていたような気がします。

だから、私は今でも
困ったときは本を読むし、
誰に相談するでもなく本で解決しようとする。
小さい頃から、ずっとそうしてきたんですよね。

で、この『死にたいって誰かに話したかった』っていう小説ですが、
生きづらさを感じている主人公が、
その生きづらさを語る会を始めるんですね。

少しずつ会の参加者が増えていって、
みんなそれぞれに生きづらさを感じていて。
会では、ただ、話すだけです。
話したい人が、話したいことを、ただ話す。

周りの人は、決して否定をしない、ただ聞くだけ。

でもね、「今まで誰にも言えなかった」ようなことを
ふと話して、誰かがそれぞ聞いてくれることで、
「なんだかちょっと心が軽くなった」みたいな気持ちを
みんなが経験していくんです。

最初は、素直に話すのが難しかった人も、
だんだんと自分のことを話せるようになり、

つい誰かの否定をしたりマウントをとってしまう人も、
そのまま聴けるようになり。

っていう、お話です。

私はすごくリアルだなと思いました。
本の序盤で、主人公の日常の生きづらさが描かれていて、
それが結構しんどくて、読むのやめようかとも一瞬思ったんですが、
読み進めて良かった。
途中から、しんどさよりも、温かさの方が優っていきます。

****

この本を読んで、思い出したんですけど、
一時期、よく思っていたことがあって。

「たった一人でも、自分の話をちゃんと聴いてくれる人がいたら、生きていける」ということ。

たった一人でも、ちゃんと、ちゃんと聴いてくれたら、
それだけで生きる勇気になると思うんですよね。

それくらい、話すとか聴くっていうことにはパワーがあって。

でね、私子どもがほしいと思っているし、
子育てをしたいんですけど、
一つだけ怖いことがあるんですよ。
私の子どもがね、「子ども時代を幸せに過ごせるか」っていうことです。

自分の子ども時代がまあまあ辛かったから、
子どもちゃんも、そんな思いをするんじゃないかって、
そんなことを心配しているんです。

私自身がね、「もう一度学生時代をやってくれ」って言われたら
「まじ無理」って思うんですけど、
そう思うような時代を、子どもちゃんに経験させるのが、
ふと可哀想な気がしちゃうんですよね。

でも、でも、
なんていうか、そういうのってエゴだよなとも思っていて。
子どもちゃんがどう感じるかは子どもちゃん次第だし、

私自身も、子ども時代が辛かったからって、
じゃあ生まれてきたくなかったかって言ったらそんなことないし、

ただ、ただ私が親として、
ちゃんと子どもちゃんの話を聴いてあげられる存在でいたいなって
それだけは、すごく思うんです。

話を聴いて、私が心配しすぎたら
きっと子どもちゃんは「ママを心配させるから言いづらい」って
なると思うんで、
ただただ、うなずいて、受け入れて、微笑みながら抱きしめてあげたいなってそんなことを思うんです。

で、必要があれば
本当は子ども時代にも「いろんな選択肢がある」っていうことを伝えられる親でありたいなとそんなことを思っています。

まあ、子どもちゃんは私とはまた違う生き物なので、
子どもちゃんが何を望むかは聞いてみないと分かりませんが、
ひとまず、話だけはちゃんと、ちゃんと聴いていきたいなと
そんなことを、今は思っています。


という、お話でした。

今日の“嬉しかった”こと
♡朝、おいしいベーグルを夫さんが買ってきてくれた
♡お気に入りのカフェでまだ座ったことのなかった奥の席に案内してもらいとても快適だった
♡行きも帰りも、二人並んで電車で座れた
♡やっぱり乳酸菌の膣剤を入れるのは痛くない!簡単!
♡新しい制服として届いたワンピースがいい感じ!

三連休は、冬を満喫できるようなお天気でしたね。
明日から、そろそろ春になるといいなと思います。

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