【HILLOCKのヴィジョン⑤】自由とは?シェルパとは?
今回はHILLOCKにおけるスクール憲法「ヒロック宣言」の第3条解説です。
全文はこちら。
3.(関わりの定義①)シェルパ、コゥ・ラーナーは1・2を実現するためにそれぞれ自由を与え合い、高めあい、ともにつくりあう。
繰り返しになりますが、シェルパとは学校でいうところの教師、コゥ・ラーナーとは児童にあたります。
これまでに、シェルパという名前の由来に触れていなかったことを今気付きました…
まずは、シェルパの語源から説明していきたいと思います。
シェルパとは
シェルパとは、ネパールに住む少数民族で、ヒマラヤの現地人登山ガイドを指します。
「彼ら無しではヒマラヤ登山は成立しない」と言わしめるほどの信頼性を誇っています。
専門的な知識に加え、極めて高い身体能力を持ち、世界の一流登山家に比肩するほどの実力を持つ者も少なくないそうです。
学びを、眼前にそびえる山への挑戦となぞらえたとき、安心安全に登るためにはガイドが必要だと思うのです。
「この道が最短距離で効率がいいから、ここをこのペースで登れ!」というのは、ガイドじゃないですよね。
登山人の「登りたい」という気持ちに寄り添う。
お昼までに山頂に着きたいならこのコース、なるべく安全に登りたければこのコース、自然や風景を楽しみたいならこのコース、動物に会えるチャンスが高いのはこのコースー。
山を登りたいモチベーションは人それぞれだと思うのです。
そこには、誰かと比較する必要も、勝ち負けも存在しません。
山頂に着かなくたっていい。
ワクワクと達成感とちょっとのスリル。
それが、山を登る楽しさではないでしょうか。
山の深い専門知識をもち、それでいてウンチクのように語り与えるのではなく、登山人の思いを聞きながら「それならこんな方法があるよ」「こっちは危険だから、あっちにしたら?」など、必要なだけのアドバイスをする。
そして何より、道中を一緒に楽しむ。
それが私たちの目指す「教える人」の理想像というわけです。
1・2を実現するために
「1.(場の定義)HILLOCKはコゥ・ラーナーそれぞれの福利を未来に向けて拡張し続けるための場である。」
「2.(個の定義)シェルパ、コゥ・ラーナーはそれぞれかけがえのない個人として対等であり、公正に扱われる。」
この2つこそ、ヒロックの最上位目標です。
今回説明している3条は、この目標を実現するための位置づけという形になっています。
それぞれ自由を与え合い
ここでいう「それぞれ」とは、シェルパとコゥ・ラーナーのことですね。
自由を与えるということは、言い換えれば「尊重する」ということです。
自由があることの幸せ。
それは誰にとっても同じです。
奪い合うのではなく、与え合う。
そこに大人と子どもの区別は必要ない。
すべての人が、相手の幸せを自分の幸せと感じられるような環境を目指し続けます。
(自由を)高め合い
自由という言葉を、ネガティブに捉えてしまう傾向もあります。
自分勝手、傲慢、好き放題やりたい放題。
それは自由の本質ではなく、我慢や抑圧からの脱却の表れだと思っています。
構って欲しい、評価して欲しい、自分の力を示したい。
その根本的な呪縛から解き放てば、そのような行動は昇華されるのではないでしょうか。
抑圧された現状の自由から、より解き放たれた持続可能な自由へ。
他者の辛さや苦しみを理解し、みんなで頭をひねりながら自由を高め合っていきます。
(自由を)ともにつくりあう
自由は作ることができるもの。
恐れやこだわりや思い込みの枠を広げれば、そこに自由は生まれます。
常に自分や社会通念、常識や当たり前、多数派が正しいと思い込まない。
今あるリソースと知恵で、自由をつくるチャレンジをし続ける。
これらを通して、第2条にある公正な関係を築き、第1条の「福利の拡張」を実現していく場こそヒロックなのです!
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