HILLOCKsession#2レポート
素敵なゲストをお招きし、HILLOCK初等部のコンセプトを肴に、ワクワクドリブンで語り合う会。
その名も「HILLOCK session」
第2回のゲストに、北海道の東川町で「大人の人生の学校」を作っている株式会社Compathの安井早紀さんをお招きして対談しました。
Q.今の取り組みを始めるきっかけは何ですか?
>安井
フォルケホイスコーレの取り組みは2019年8月にスタートしました。2020年のコロナで大きく変わった感じはあるけど、大きくプラスになったと思っています。コースも5回企画して3回飛んだけれど、社会全体として「成長することだけが善か?」ということに疑問を投げるきっかけになったんじゃないかと思います。「立ち止まる価値」を、世界全体が感じましたよね。
>蓑手
HILLOCKもそうですね。コロナがあったから立ち上げようとなったわけではなくて、その前から計画していて。コロナで、色々と考えさせられました。
>安井
私は起業する前はもっと成長しなきゃがんばらなきゃと働きすぎていて、月の半分休みなさいと上司から命令が出るほどだったんです。そんな余白の時期に、デンマークの旅に行きフォルケホイスコーレに出会いました。
>蓑手
休んでいるときに閃くことがあるって、脳科学でも実証されているんですよね。日本は「休み」の意味をネガティブに捉えているところがあると思います。フォルケホイスコーレもHILLOCKも、休みの時間の価値や定義を見直していきたいですよね。
>安井
日本は、時期によって就学や就業のタイミングが決まっている感じがします。「普通」が強すぎる。小学校のときは休みが怖かったなぁって。仲間はずれをされるかもしれないとか、色々考えちゃってたんだと思います。
>蓑手
空いた時間に休むのって、私も怖かったなぁ。置いていかれる感じがして。学校の学びって、学年一律で学ぶタイミングが決まってしまっていて、エスカレーターを逆走しているような感じなんですよね。上からどんどん階段(学び)が降りてくるような。反対に、その速度以上に学ぶことも止められてしまう。みんな同じペースで歩かなくてはいけないから、苦手な子も得意な子もつまらなくなっちゃうシステムなんです。
>安井
教員って、想いがあって仕事が早くてできる人が多い印象なんですが、休みがなさすぎて志が削られてしまった友達もいました。
>蓑手
まだまだ「やればやっただけできる」という考えがありますよね。強制的に休む、という仕組みを作ることが大事かなぁ。日本ではそういう仕組みは嫌がられそうだけれど、でも休むのは大事。
>安井
森の幼稚園にも影響を受けました。そのとき出会った園長先生の言葉が大好きで。「校長・園長の仕事は、職員とティータイムを取ること。」校長が教員のために心を使うって、素敵だなぁって。
>蓑手
公立教員時代は、やりくりして時間を生み出してました。職員室から子どもの話が消えたら終わりだなぁと。
Q.スタッフは何人ですか?
>安井
本業として関わっているメンバーは2名です。インターンやプロボノで手伝ってくれる人を入れると9人。ひとりの意見が突っ走りすぎてしまうのは良くないと思っていて、長くかかってもいいから続くものをつくりたいと思っています。色んな人の意見をもとに決定していきたいと思っているので、色々なグラデーションで関わってくれる人が増えていくことはポジティブに思っています。反面、自分が頑固なので、聞いている様で聞いていないこともあるし、たまに凹むこともありますね。私が尊敬している方が「できるだけ他人の話を取り入れる。なぜかというと自分だけの価値観で判断しがちだから。」と言われていて、反対意見を取り入れることも大事にしていますが…やっぱりこれだけは譲れない!ってなるときもありバランスは難しいです。笑
>蓑手
全員の意見を反映させると、結局同じものができあがっちゃうんですよね。HILLOCKの三人は教育観などで似ているところが多いけれど、突き詰めると違いも見えてきます。そういうバラエティのある学校がたくさん生まれてくることが、多様性なのかなぁと。
>安井
規模感に関しては、多様性は保ちつつもコミュニティとして認識できる範囲が7〜14人が理想なのかなって。少ない人数だと一人ひとりの個性が認識しやすいですよね。
>蓑手
HILLOCKも少人数制をとっています。コロナをきっかけによく考えるようになったのは、リアルに集まる学校の価値かな。セレンディピティ(予期せぬ出会い)の大切さ。最初はピンとこないこともあるけれど、自分が一人で思い描いていたことよりも素敵なものに出会えることって、人生の中でありますよね。
>安井
オンラインになって思うのが、「することが評価をされる」ことへの危機感。「することより、いることが得意な子がいる」ことも認識していった方がいいのではないかと思っています。「できた・できない」のみが指針になってしまうんじゃなくて「〇〇さんといっしょにいれた」ということも価値があるのかなって。
>蓑手
自分と違う他者の意見を取り入れる時って、誰が言っているかも大事ですよね。黒くんにとって、正反対の白さんの意見を取り入れることは難しい。でも、「仲の良い灰色くんの意見なら納得できる」ということもあるし、それがつながっていって、白さんの意見を聞き入れられる。それが人のつながるよさかなぁと。
>安井さん
受容してもらえるような安心・安全も大切だけれど、誰かからの率直なフィードバックも大切ですよね。多様性をもった評価の仕方は私たちも悩み中です。大人のあり方が問い直されますよね。
>蓑手
HILLOCKでも、評価について学び直しをしています。序列化するような評価はしたくないけど、いいフォードバックはちゃんとしたいなって。事実を事実として実感できるような仕組みが必要なのかなと思っています。アクションを起こして、リアクションがないと悲しいですよね。光を当てると闇もできる。じゃあ光を当てなきゃいいのかっていうと、そういう話でもなくて。いろいろなところから光を当てることが大切なんじゃないかなぁ。
Q.日本にあった取り入れ方って、どんなイメージですか?
>安井
デンマークでは、幼少期から対話を重んじているんですよね。幼稚園から高校まで、対話をし続ける。それが大人にとっても当たり前で、その上にホイスコーレがある。日本の文化とはちょっと違うんですよね。
一方で、日本人のいいところもあります。職人気質だったり、配慮できたり。海外を見て物足りなさを感じることもあるんです。
>蓑手
それぞれの文化の土がありますからね。違う土に咲いた花をそのまま持ってきても、同じようには咲かないもの。HILLOCKも、海外の事例をそのままやりたいわけではないんです。イエナプランなどから学ぶこともあるけれど、あくまでも「HILLOCK」をやろうって。学習者は日本に住む人たちだから、実際に子どもたちが入って来たら、その姿がすべてなんですよね。変わってくるところもある前提で作ってます。
>安井
公教育の学校を辞めて新しく学校を立ち上げるって、リスクや不安もあったと思うんです。蓑手さんを突き動かすものってなんですか?
>蓑手
私は「学び」そのものが好きなんですよね。子ども大人関係なく、人が学んでいる姿、成長している姿が好き。そのベストな状態を見たいというのが大きなモチベーションです。
この国に生まれた学びの芽が、つぼみのまま終わってしまうのって悲しいですよね。ちゃんと花となって咲いてほしいんです。公教育にはすごい先生もたくさんいる。そんな大人たちの花も、ちゃんと咲ける教育になるといいですよね。国全体として、豊かな栄養ある土になっていく一助になるといいなぁって。
>安井
もし私がHILLOCKの一員だったら、修学旅行したいですね。東川町まで来てほしい。きっと色々な人や感情と出会ってもらえるはずです。保護者も一緒に!大切なのは、それぞれの肩書きを外すことですね。校長も親も子どもも、肩書きが外れて思いっきり活動して、学んでほしいと思っています。混ざり合う、対話を大切にしています。
ありがとうございました!