金子薫(小説家)×水田典寿(造形作家)トークイベント 『壺中に天あり獣あり』刊行記念@二子玉川蔦谷家電/2019年4月8日①
司会: じゃあまず私の方から金子さんと水野さんのご紹介を簡単にさせていただいて、その後トークの方に移っていきたいと思います。
まず金子薫さんですが、1990年生まれ。2014年に河出書房の文藝賞を「アルタットに捧ぐ」で受賞し、小説家としてデビューされました。
2018年「双子は驢馬に跨がって」で野間文芸新人賞を受賞されています。今までに著作が3冊出ていて、今回、講談社さんから「壺中に天あり獣あり」を4冊目として刊行されました。
造形作家の水田典寿さん。1977年東京都生まれ。2001年に品川職業訓練校金属造形科を卒業され、その後2003年から廃材や流木を使って、家具や彫刻の制作を開始されております。
今日会場にもお越しいただいている柳川さんが、今回、水田さんの作品をご提案され、「壺中に天あり獣あり」の装丁に、水田さんの彫刻作品が使われております。まずは今回の講談社さんからの新作の装丁について、金子さんと水田さんからお話をお伺いできればと思っております。よろしくお願いします。
金子: 装丁は、柳川さんに担当していただいて、4人ぐらい、造形作家といいますか、彫刻家とか、ガラスでものを作っている人とかを紹介してくださって。その中から僕は水田さんの作品が1番いいなと思って、お願いしました。
水田: ありがとうございました。
金子: それでこの表紙になった次第でございます。
水田: 実は僕は装丁に作品が使われるのは初めてのことだったんですけど。もともと小説とか本が好きっていうのもあるし、物として本と言うものがすごく好きだったので、それに自分の作品が使われると言うのはすごく夢だったので、嬉しかったです。
金子: ありがとうございます。
(沈黙)
金子・水田: ハハハ。
金子: さっきまで楽屋ではベラベラ喋っててこんなところで…。
水田: ねえ
展示について
司会: 展示の話とかはいかがですか。今回、金子さんに5冊本を選んでいただいて、それをイメージして水田さんに彫刻作品を、今回のために作ってもらったものもありますし、もともとあったものもあるんですけれども。
金子さんが選んだ本の感想とか。あと金子さんには、展示をご覧になられての感想をお聞きできればと。
水田: まず金子さんに、今回展示は5つなんですけれども、実際は7冊ぐらい本を選んでいただいて、その中から僕が自分の持っている作品に合いそうなもの、そして親和性があると思うものをいくつか選んで、合わせるって言うことをやったんですけど。結果それだけではうまくいかずに新しく作ったものもありました。
それで最初、本を何冊かメールでこんな本を選びましたよって言うのをいただいた時に、びっくりして。
金子: 長かったですか?
水田: いや、やっぱり文章を書かれている方なのでメールがすごく丁寧で長くてすごいなって思って(笑)。僕は本はそんな嫌いじゃないし、読んでるんですけど、正直全然知らない本とかもあったので、「おぉ、すげーの来た」と思って。それに合う作品が作れるのかどうかとか、合う作品があるのかどうかっていうのはすごく緊張して苦労した点ですね。
金子: 小説家が小説を紹介して展示に役立てるってなると、それなりに責任が生まれるというか。読んでもねぇ本を読んだみたいに、ネームドロッピングじゃないですけど、影響を受けているフリをしてもしょうがないので、できるだけ力を込めて、長々と紹介できるものにしようと思って、書いてるうちに止まらなくなっちゃって。急にびっくりマークが入ったり、しかし、や、括弧、が入ったり。狂ったような文章を書いちゃって…。で、まあ、こういう感じに落ち着きました。
水田さんの作品と合わせることになったので、あんまり…リアリズムで、日本文学で、と言うよりは外国文学が多いですし、シュルツとかドーマルとか、広義の幻想文学寄りのものが多くなりましたね。
水田: それで僕が作品を選んだり作ったりして、それをまた写真を金子さんに送って、さらにそこに引用文を当ててもらうと言う形で。なんだろう…キャッチボール的にしたいなというのが僕の中であったので、どっちかが言ったのをそのままやるって言うよりかは、もうちょっと互いにリンクして、せっかく最初に装丁として選んでいただいているので、そういうやりとりができればなと言う感じがあったので、お願いしたんですけど。
金子: 僕が選んで、水田さんが作品を作ってくれて、その作品を見て具体的に合いそうな引用文を探すと言うことをやって、本当にキャッチボールというか、時間がなかった割には良い展示になっていて。
…クジラ、ほんとマジでいいですね。この角度、この高さからは初めて見たので、頭部が水面のほうに近づいている感じというか、この高さから見るのはやっぱり写真とはまた違いますね。ブツがあっていろんなところから見られて、見るときの文脈があって。
水田: そうですね。それが立体の面白いところかなと。あと、僕はいろんなことを考えるときに基本的には映像でものを考えていくタイプなんですよ。小説って基本的に、世界を文字で作るじゃないですか。それが自分に無い感覚なので、すごく面白くて。今回、装丁の時もそうだったんですけど、自分の中にものを作るときに、こう、イメージみたいな形がある。それはコマ割りみたいな、1枚の写真みたいなものを、自分の中にある世界観を、形にしていくんですけど。それを金子さんの文章と合わせたときに、それが動画になっているなっていうイメージがすごくあって、細かい文章でのディテールっていうのが、文章になることによってすごく補強される感じがあって、そこに流れができて、面白かったです。
金子: 逆に僕のイメージだと、言葉にすると停止しちゃうようなイメージがあって。物がボコボコしているんだけれど、それを表現したり言葉を当てはめたりすると、動きが無くなってしまうようなイメージを持っていて。あんまり僕は言葉が自由に繋がっていくものだとは思っていないので、なかなかやっぱり…面白いですねって思います。
制作に取り掛かるきっかけ
水田: 金子さんは、言葉でいろいろ考えるわけじゃないですか。作り始める、その小説を書き始めるきっかけってどんなのなんだろう。
金子: 日々の制作の時間の中で1行目をどんな気持ちで書き始めるか、ですよね。
デビュー作の時とかは自分が小説を書けるかどうかもわからない時に、焦りだったり、気持ちの高揚とかだったり、あとは「働きたくねー」だとか思って書くわけですよ。このままだと働くしかない!みたいなね。
で、処女作以降と言うのは、二作目、三作目と書けていて、おそらく根拠は無いけれど、これからも小説は書いていけるんだろう、っていうのがある中で、書くじゃないですか。…なんとなく二個買いてるし、三個も書けるだろうっていうのがあるんですよ。0から1を作るのは大変で。なんとなく二個買いてるし、三個も書けるだろうっていうのがあるんですよ。で、ちょっと話が逸れ気味なんだけれど…。毎日書くことが重要で。今日は友達と飲む予定があるからあと1時間しか書けないぞって思って書き始めた時に、結構いい文章が出てきたりとか。今日は10時間ぐらい暇があるから、この朝のやる気で書いたらすごいものが出るぞと思って書くと全然書けなかったりとか。パチンコ的なあれで、出る日と出ない日の区別が僕はつかなくて。みんなそうだと思うんですけど。
だから、体調の好調不調とか、自分の気持ちの張り方とかがあんまり制作に反映しないので、とりあえず毎日やるようにしていて。だから新作を書き出す時も二作目を書き上げて、編集者の人にどんなもんですかって送ったら、もう翌日には三作目を書こうとぐちゃぐちゃやったりとかで。あんまり一ヶ月開けてとか、二ヶ月開けて次、とかは無くって。不安だからでしょうね、多分。根拠がないから毎日やらないといけない、みたいな。
水田: 普段からこんな話を書こうかなっていうのは考えてるんですか?
金子: それはあまりなくて、多分、書けないのに書こうとしているときに、小説もどきみたいな、冒頭の…ボツ冒頭がいっぱい出てくるんですよ。そのポツ冒頭の中から、自分が気になっていることとか、オブセッションじゃないけれど、ポツ冒頭の中から登場人物が出てきたりとか、舞台が出てきたりとか。
何か思い描いて書いてるっていうよりは、書いてるうちにそれが形をとり始めるのが多いし、僕としては理想で。ぐちゃぐちゃの意味がないものを書いている時間が、結構大事ですね。
水田: それは普段からじゃあ、散文じゃないけど、文章として言葉を書いてくんですか。
金子: そうですね。書いて「駄目だなこれは」と思っても、次の日また書いてみたりとか。途中までよくいってたけどこれは駄目だったって捨てたりとか。すると時々、いいのが出てきて。
水田: じゃぁそれはどちらかって言うと、最初から小説っぽく…。
金子: そうです、小説として書いてます。主人公の名前をつけたりとか。何とかは何とかしていた、みたいなのとか。
水田: へー。面白いですね。
金子: 水田さんはあれですか、物を見て、流木とか廃材から、基本的には動物に仕上げているじゃないですか。物が言ってくるんですか、やっぱり。「俺はセイウチである」とか。
水田: そういう感じではないですけど(笑)。なんですかね…。両方、なんですよ。流木とかを見て「何かに見えるから、それを作ろう」っていうのもありますし。今回みたいに、例えば白鯨のクジラとかは、クジラを作らなきゃいけないっていう。
金子: そうだ、あれはなんですかね。素材は。
水田: 全部廃木ですよ。
金子: でもあの尾びれとかは…あんな流木ないじゃないですか。
水田: もちろん掘ってるんですけど、尾びれは一部付け足してますね。
金子: うねりとかは、木なんですか?
水田: そうです。そのまま。ああいう曲がった形。もともとあれもクジラ用として拾ったわけではもちろんなくて、拾って何年か経ったりもするんですけど、ずっと置いておいて、自分のストックの中から、じゃあクジラ作ろうってなったら、クジラの形をイメージして、取れるかなっていうところを使っていく形なんですよ。
金子: あの木があって、その流れている時間があって、今回のやりとりをきっかけに、クジラに使えるんじゃないか的な。
水田: そう。あれね、すごいでかかったんです、もっと。3メートル位のうにゃーって言う長い流木で、それを持ってたんですけど。最初はヘビみたいだなって思ってたんですけど、でもなんか、ヘビを掘ってもなー、て思ってずっとほっぽってたんですよ。で、どうしようかな、クジラを掘る、ってなったときにいろいろ探して。そしたらこのうねりみたいなのが、クジラの動きっぽいかなぁとか、肌の質感みたいなものもそうなんですけど、流木の表面のテクスチャーがすごくそれっぽいなぁと思って、切って使い始めたんですけど。
だから、割と見た瞬間に「何かに見えるな」ですぐ作品になることってほとんど無くて、本当に一年に一個とか二個位。他のものは全部作ろうと思って作ってますし。それか、しばらく経つと見えることとかもあったりして。一つ作ると、なんというか、ピントが合う感じなんですよ。そうしてくると、それに向けて制作が進みやすくなるんですね。
僕、多分、割と作る手は早いと思っているので、展覧会に向けて作るっていう事はそんなにしてないんですよ。ずっと作ってる感じで。展覧会は、作ったものを編集する作業に近くて、自分はこの展示をやるってなったときに、ストックから選んでいくスタンスだったりするんで、本当に毎日ひたすら何かを作っていく生活ですね。だから結構一緒かもしれないですね、毎日書いてるんですもんね。
金子: やっぱり何かものを作るのと、言葉を書いていくっていうのは、交わるようで似ていない部分として…。
今回の小説は「言葉を使う言葉となって」とか、寓話の中にいて、みたいに。書かれているものを見ながら書いている自分だったりとか、書いているものを見ている視点が、書かれている文章に入って来ちゃったりとか、自己言及が変な風に入ってきたりとか。あまり書いている自分を度外視できなくなってしまったりとか、自意識がぐるぐる空転するような感覚になることが結構多くて。気を病みやすい気がしますね、単純に何か。小説を書いていると。
だからやっぱり僕は、手でものを作ることに憧れがあって。今回もブリキのおもちゃを作っている女の人が出てきて、あの人はずっと安定している人間ですけど、男の方はぐるぐるフラフラあーでもないこーでもないと、思弁的なことを言って、ろくでもない結果になっていくみたいな。
落ち着いてものを作るみたいなことが、僕はすごい憧れと誤解がありまして、その憧れ的なものがやっぱり、水田さんの彫刻に結晶していて。これは最高なんですよ、僕にとっては。これを作りたいけど絶対一生作れないし、作ろうと思ったこともないというか。全く資質を欠いていますし、彫刻に造詣が深いわけでもないですけど。素朴に手で作るみたいなことへの過剰な信仰と憧れがある気がしますね。
水田: 誤解っておっしゃってましたけど、どこで誤解があるんですか。
金子: 現場で作っている人って、普通に自然と作っているだけなので、作っている人間としてはそんなに小説家とやっていることが違わないだろうとか。あんまりそんなに手で作ることを特権視していないんだろうな、とかは思うんですよ。それは僕が手でものを作らないから、見えている落ち着きというか、彫刻家も気を病むだろう、と言うような。
本当は僕も手書きで書きたいんですよ、鉛筆とか万年筆とかで。今、ワードで書いていて。イタコみたいな感じで、冒頭を引きずり出すときには手書きが良かったりするんですよ。手書きって手前に戻ることができないから。ワードって、無限に消せるじゃないですか。手書きの一回きりって言う感じは、覚悟して書くので、良い冒頭が出てきたりするんですよ。でも、いざそれを直す時には、ワードになっていて。
三作目に双子の小説を書いていて。その一番最初の冒頭は、手書きで書いていたんだけれど、すぐにワードに移っていて。ワードは見やすいし、すぐ推敲できるし、いいんですよ。あと僕、字が汚いから、自分の字も見たくない。
だから…手書きに憧れるんだけど、ワード。手作業に憧れるんだけど、言葉、みたいな。手で作ることに憧れがあって、
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