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晴れてよし、曇りてもよし富士の山、もとの姿はかわらざりけり


      山岡鉄舟

 山岡鉄舟(1836年 - 1888年)は、幕末から明治にかけて活躍した人物です。彼は剣術家、書家としても知られていますが、特に幕末の動乱期には幕臣として、また明治維新後には明治天皇の側近として重要な役割を果たしました。


 鉄舟は、幕末の動乱の中で新選組や幕府の要人と交流を持ち、幕府の崩壊という大きな転換期を目の当たりにしました。このような時代背景の中で、彼は剣術や禅に没頭し、その精神を高めました。

 富士山は日本の象徴的な山であり、その姿は日本人にとって非常に特別なものです。


 日常生活において、良い日もあれば悪い日もあることを指しており、それでも富士山のように常にその姿を変えずに存在するものがあるという教えです。
 
 「もとの姿はかわらざりけり」は、どんな状況下でも変わらないもの、つまり富士山の雄大さやその本質が変わらないことを示しています。

この部分が特に重要で、鉄舟が言いたかったのは、外部の環境や状況が変わっても、自分自身の心や信念、そして本質的な価値は揺るがないということです。

鉄舟は禅に深く通じており、その教えを日常生活や精神修養に取り入れていました。禅の中でも特に「不動心」や「無心」といった概念が重要視されます。

「不動心」は、どのような状況にあっても心が動じないこと、つまり外部の変化に左右されない強い精神のことを意味します。

この句は、まさにその「不動心」の表現であり、人生における浮き沈みに関わらず、自己の本質を見失わずに生きることの大切さを説いています。

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