思考の断片
ここ数年、経営のことを中心に様々なことをインプットしてきた。しかし、これ以上インプットしようとしても器がいっぱいになって入らない状態だ。
何かを掴みたかったら、まずは離さなければならない。
これまであまりに完全なもの、完璧なものを出そうとしていた(実際にアウトプットしたものは完全でも完璧でもないが)。整然とした文章を書こうとし過ぎてきたのではないかと反省している。荒削りでもいいから自分が思ったことを素直に書いてみようと思う。
ゲーテの言葉を思い出した。
これから思うところを思うままに断片的にアウトプットしていこうと思う。
ビジネスを経営者の立場からみると、「人を使って儲ける」ことに尽きるのではないか。
もちろん一人でビジネスを行う場合、直接的に「人を使って」ということはないが、間接的に顧客や協業者ほか多くの人が関わってくるので、一人であっても会社であっても成り立つのではないかと思う。
この「人を使って儲ける」ことをうまくやることを「経営」とか、「マネジメント」とか言われている。
この「経営」は、良いことであっても、悪いことであっても機能するものである(良いことではないが、オレオレ詐欺などは仕組みがある)。ということは良いも悪くもない「中立」なものであり、それを用いる人の姿勢や価値観が反映されるものなのだ。
こう考えると「人を使って儲ける」場合、良いことをやったとしても搾取となってしまう可能性がある。歴史を見ても、産業革命後の工場労働などは現代の目から見れば搾取であるだろう。その後、待遇は改善され、現在に至っているのだが、放っておくと搾取してしまいかねないことは注意しておくべきことだろう。
会社を考えてみると、会社における経営者の立場は強力である。強力でなければ厳しいビジネス環境を生き抜くことも難しいので、強力でなければならない面も致し方ないのかもしれない。強力ゆえに注意が必要だ。
そこには「適正に儲け、適切に分配する」ことを意識することが肝要であり、近江商人の「三方よし」も渋沢栄一の「論語と算盤」もこうしたことが背景にあってのものと思う。
こうした意識を見える形にしたのが、経営哲学なり、経営理念であり、日本において理念経営はかなり古くから実践されてきたものなのだ。
今、ミッションやパーパスが重要だとして文章化する企業が増えていると聞くが、聞こえや見栄えの良いステートメントを作ることになっていないかもう一度振り返ることが大切ではないだろうか。その哲学なり、理念が、商売の現場、取引の現場において実践されているのかが重要ではないだろうか。
日々の仕事を通じて、よりよい社会のためにどんな役割で何ができるのかが問われていると思った次第である。