小学生時代~
■前回までのあゆみ~
前回と同じく、「声優になりたい」と思ったきっかけとなる出来事が起こる前にあった、小学生の頃の思い出をここに綴ります。
大きなきっかけとなった「中学生時代」の前に、必ず触れておかなければならない出来事…。
実は、これこそが一番大事な部分・そもそもの原点であるのだと考えています。
note内の他記事でも、たびたび登場することの多い「機動戦艦ナデシコ」の話…。
「機動戦艦ナデシコ」
これこそが、すべてのはじまり。
当時、「漫画家になりたい」という夢をもっていた自分。
その影響で、小学校5・6年生時は、マンガ・イラストクラブに入っていました。
6年生の時には部長を任され、「マンガの書き方入門」などの本を参考に、週に1度のクラブ活動メニューを組み立てていたりしました。
今思い返すと、あの頃から先生のようなこと・学習プログラムを作ることをしていたようです。
時を同じくして、晩御飯の前は、大好きなミニ四駆と初代ポケモン(赤)を弄りながら、自分の部屋でテレビアニメを観るのがお約束でした。
1996年10月、テレビ東京系列の新番組として放送が始まった「機動戦艦ナデシコ」。
毎週火曜日はテレビの前にかじりつき、放送を楽しみにしていました。
それから半年。小学校を卒業し、中学生になる前の、最後の春休みの出来事です。
最終回が放送された日、神奈川県横須賀市の観音崎へ、小学生最後の思い出として、友人たちと釣りに来ていました。
そのとき僕は初めて、「ナデシコの最終回があるのに、ビデオを録画予約していない」ということに気付きます。
当時は携帯電話なんてものはなく、防波堤近くの公衆電話から何度も自宅に電話をかけました。
しかし親は不在。
仕方なく、帰りの時間にだけは間に合うことを祈り、釣りを再開しました。
夕方になり、みんなで帰る時間となりましたが…思った時間にバスが来ません。
予定より1時間遅く…ようやく駅に着くも、電車の行先は「蘇我」という文字が。
当時の僕たちにとって、知らない終着駅の名前が書かれている電車に乗る勇気はありませんでした。
しばらくして、ようやく知っている行先が示された電車が到着。最寄り駅に着くことができました。
しかし帰宅した自分の目に映ったのは、既にバラエティー番組へと変わったテレビ画面でした。
『これができたら…100万円!!(しかも他局)』
ただただ茫然としたことを覚えています。
日々の出来事としては、とても小さなものですが、
その時、「好きなアニメの最終回だけは決して見逃してはいけないんだ」ということをしずかに胸に刻むほど、僕にとってはショッキングな出来事でした。
その後、機動戦艦ナデシコはレンタルビデオ店でも借りることが出来ましたが、なぜか借りる勇気がなく、そのまま時は過ぎていきました。
映画公開前、ひっそりとやっていた夜中の再放送も、見逃すという始末。
そうして、テレビアニメの最終回に異様な執着心を燃やす一人の少年が完成したのです…。
もしあの時、機動戦艦ナデシコの最終回を観ることが出来ていたら、僕はアニメ鑑賞を卒業していたのでしょうか。
他のことに興味が湧き、声優という仕事に見向きもしない人生を迎えたのでしょうか。
とにもかくにも、この出来事が、後々の自分の人生において、大きな意味を持つことになるのです。
■次のあゆみ~