アイデンティティの再構築は難しい

今は北海道まで来てます。悲しい言い方をすると、いわゆる自分探しという、本来なら若者か限定的に旅する人にのみ、許された事。ユダヤの格言の、度を越すと良くないものの1つに、旅行が入っている。

私はエリクソンの発達段階説を信じているが、アイデンティティは青年期に獲得するべきだったもの。この獲得に失敗すると、アイデンティティの拡散という事態になる。

介護の学校に行った時に初めてエリクソンの貼っ段階説を見た時、自分のことが書いていると思った。今の若い人は授業で習う事もあるかもだけど、私には初めて目にする考え方だった。

私はとにかく行動するようになって、人と関わることも多かったが、幼少の教育もあって、人との繋がりを保持するのがとても苦手だ。学校や職場で仲が良い人が出来ても、それを自分の世界に持っていく事が出来ない。

言葉的になんというか分からないけど、友達が少ない人では、そういう人は少なくないんじゃないかと思う。昔環境依存という言葉を使った人がいた、それとはまた別の意味だとは思うが、環境が人を集める場合以外では、人間関係の構築がなかなかできないんだ。

色々考えて感じた事があるが、アイデンティティがはっきりしていないから、また人との繋がりを作りにくいんじゃないかと。仕事場や学校では、すごく良い人と言われても、友達になれる人がいなかった(今作っている友達はジモティーで見つけた、場面や場所に影響されないようにだ。長く続かせられるかは分からないが)

私はこの歳になると、そろそろ年齢も誤魔化せなくなるけど、割と長い期間超若見え(知的障害と言われるレベルの脳みそだったからだと思う)ただ、其の若見えを利用して、人から色々教えて貰ったり、色々して貰ったりしていた。

その縁はやはり切れてしまったが、それはそもそも切った方が良い縁だったんだが。アイデンティティの欠如の所を調べると、やはりなんかしらのコミュニティに入ったり人との繋がりを作って行くのが重要と。

本当ならピアカウンセリングなんかでも出来れば良いんだと思うが、それがない。孤独な中年や、病気に苦しんでいる人を社会的にケアするようなコミュニティは日本には少ないと思う。

日本人のそもそもが、アイデンティティをあまり持ってないという話は先生が言っていた気がする。個人的な面が少なく、「自分は日本人だ」「自分は大会社で働いてる」とか、自分は母親だとか。家族の場合は良いけど、いつまでも親離れ子離れできないのもそのせいもあるかも。

私も今おひとり様だが、さすがに他地方を一人でさ迷ってると、心細くなって来て、心の拠り所が欲しくなる。ただ、自分が何者なのか分からないと、自分が何が欲しいのかもよく分からないんだよな…。

でも、不安を感じるのは悪いことでは無いです。もっと年齢が行ってから、いきなり淋しくなったり不安になったりしても、そうなったら手の打ちようがないから。

自立と言うのは依存先を増やすことだと言うが、アイデンティティを再構築して行くにもそういう人との繋がりが重要なんだと思います。皆さんは私みたいに、日本中さ迷うことはありません。

ただ私は感受性が麻痺して来てしまっているので、ある程度の極限状態に身を置かないと、何の回答も浮かばないんだよな…。
ピアカウンセリング的な事が日本でも行われるようになれば良いと思ってる。お互いの悩みを話し合ってこそ、距離も近くなるし仲間意識も強くなるだろうから


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?