今日は朝昼とチロナミンを初で内服したら、仕事での疲労感もあまり感じず。仕事から帰ってすぐに寝ずに、久しぶりに掃除から買い物から色々できた…。 T3の補充療法は世界的にも根拠となる論文がないらしいが、私にはこれしかない気がする。私は重度のバセドウ病も経験して、人為的に甲状腺ホルモンが出ないような治療をして、低下症を味わっているから、特に違いが分かるのだと思う。 努力すればするほど、チラージンSでは足りないと思い知らされるのだ。今回一生懸命この治療をしてくれる医師を探したかい
私はバセドウ病から、アイソトープやメルカゾール多用内服での甲状腺ホルモン低下症状態になっている(これで治療は成功とのこと) 治療後前はかなり身体を鍛えていたが、運動しても筋肉が付かなくなり、体がメキメキ言うくらい太り30kg↑を数年で達成。夜8時間くらいしか行動出来なくなり、休みの日は1日中寝てる事もあるようになった。 その前はバイクで吹っ飛んで歩いて、深夜までモノづくりをしたり、仕事の後にプールに行ったりしていたのだ。肥満と気力低下が先に現れて、行動はしばらく習慣で続い
ただの末端医療従事者が偉そうに言えることではないが、患者歴が長くて医療従事者やってると、勉強不足の医師はすぐにわかってしまう。(そういう所が嫌がられる面でもあると思うけど) ただ、私の今の甲状腺機能低下状態は、安定していて通常の治療だけをするなら、専門医なんかいらない。場合によっては薬の個人輸入して、体調管理に気をつけて、年1~2回血液検査をすれば、医者がいらないと言ってしまっても良い。 暴言のようだけど、そう言いたくなるくらい、+αの治療をしてくれる医師がいないと言うこ
わたしは今GLP-1作動薬を注射して体重を減らしている。おそらく甲状腺の病気の後遺症で、太ってしまい体への負担が出てきたからだ。 5kgくらいは痩せたけど、健康的な体重からはまだ遠く、関節痛もある。もっと量を増やして体重減少を測ろうか迷ってる。値段が高いというのもあるが。 1番迷いがあるのは食事量だ。今食べている量は、人に聞かれたらすぐ答えられるくらいになっている。外食して食べ切るのが大変な時もある。 これ以上食べる量を減らすと、健康的な食事の量とはかけ離れてしまうとい
私は長期引きこもりから社会復帰した。最初は時給1000円以下のサービス業の週4日勤務から始めた。あの頃の人生経験や対人能力では、それ以上の事はそもそも出来なかった。 人が全くダメだったので、今思えば逆に接客業なんて良くできたなと思う。最初はやはり恐ろしいくらいの不出来さと被害妄想との戦いであった。 今は表面上でのコミュニケーション能力は上がったが、とにかく場数を踏んだ事と、看護職になった事。後、施設勤務で年寄り相手に会話の練習をした事がデカい。看護職になった事が1番大きい
私は趣味を通じて人と関わり、人としての能力を取り戻して社会復帰してきた。その中で見てきた物聞いてきたもの色々、思う事はかなり沢山ある。 日本では大きく分けると、カレンダー通りの休日の人、シフト制の仕事の人に分かれている。日本の暦は海外から見ても休みすぎと言われるほどだと。逆に、シフト制の仕事の方が肉体労働なんかが多いのに、休みが少ない。 行動も休日で分断される事が多いので、お互いに関わり合いになる事が少ない。そして、給料が良い仕事も、雇われの身だと暦通りの休日の人の方が、
私は全国回って、その地域の年寄りの状況とか、家の構造とかを見て、色々考えるのが好きである。 北海道は今まで6回行ったが、2年前に行った頃だろうか。道民というのは家に対するしがらみがない人が多い事に気づいてきた。 ×があろうと独身者のみかもだけど。本州の田舎にありがちな、「家」とか「親」とかの呪縛を受けてる人もいないし、その概念が分からない人がほとんどだった。理由は簡単で、移住者が大部分で、祖父祖母の代くらい程度の歴史しかないから。 私が自分で「家」の呪縛のために人生棒に
これはあくまでも、私が時間や金に余裕がある趣味があるから起こること。一般の氷河期世代で、いい思いをしてきたバブル世代と対等に会話をしてきた人は実はあまりいないんじゃないか? ちょっと前も60くらいでアーリーリタイヤすると言う男性と知り合った。趣味友は欲しいのでやり取りを始めたが、短い文章の中でも、私とは価値観が違うなと感じる部分が見られた。 60で早期退職して、日本中で旅して人脈を作るつもりだと言うのが、私にはとても気になった。(最初はネガティブに捉えたのではないが)
旅人みたいなていで自己紹介したりしてるけど、かなり深刻な放浪癖があるんだよな、多分。お金に余裕があって、手段もあってだんだん熟練してきたから、かなり度を越してしまっているのだろう。 今回1ヶ月経たずに家に帰ったのが心残りで。家が嫌な訳では無い、実家なのに一人暮らしで小綺麗な家に住んでるし。親に半寄生していいご身分だよね。 人間関係が嫌な訳でもない。家庭環境は今は私の立場が上になったために、悪くはないし猫達もいる。 でも、家に帰るのがすごく嫌だったんだ。家が良いと言うより、放
今は北海道まで来てます。悲しい言い方をすると、いわゆる自分探しという、本来なら若者か限定的に旅する人にのみ、許された事。ユダヤの格言の、度を越すと良くないものの1つに、旅行が入っている。 私はエリクソンの発達段階説を信じているが、アイデンティティは青年期に獲得するべきだったもの。この獲得に失敗すると、アイデンティティの拡散という事態になる。 介護の学校に行った時に初めてエリクソンの貼っ段階説を見た時、自分のことが書いていると思った。今の若い人は授業で習う事もあるかもだけど
30前半まで引きこもって、狂気の縁で廃人同様にまで落ちぶれた。特定の個人だけのせいとかではなく、環境の全てに救いようがなかった。 家族にしても、私の味方をしてくれる人間は1人もいなかった。皆抑圧的で、みんなで足を引っ張るように、私が自分の人生を構築する邪魔をした。 たった1人でも、こっそり私を外に逃がしてくれる人がいれば良かったんだと思う。子供の頃から食べ物を買う金にも困り、友達や社会性を付けると罰を受けたので、引きこもらざるを得なかった。 ただ、それも環境や健康状態に
長い社会復帰の道のりを経て、今は地元の住人が入る、年齢層の高い施設で看護師をしている。私は延命反対派だが、誰が見てもそうは思わないだろうと言うくらい年寄りが好きだ。 私の社会復帰も、自分が年上の人間に構われる面を活かして、年配の人に色々教えて貰って伸びる事が出来た事もある。あと、若い人間とは違い、認知症が入ったような高齢者相手だと、対人関係の練習や実験をする事が出来る。失敗しても失うリスクが少なく、何度も練習出来るんだ。 人の気持ちが分からないとしても、場数を踏めば経験で
私は34歳くらいまで長期間引きこもっていた。1番大きな要因は家庭環境だが、体の病気も大きな原因だった。未成年の時にかなり悪化した状態で発覚した、甲状腺機能亢進症。ホルモン異常だ。 長期引きこもっていた事もあると思うけど、普通の人間とホルモンの数値が異なっているせいか、性格や見た目にも影響が出たのかもしれない。 地獄の底を見るような状態から社会復帰出来たのは、自分の見た目の若さを利用してだった。色々教えてくれる人を見つけては、人として最低限のことを教えて貰ったり、一緒に行動
貧困老人、という言葉に反応する人は多いんではないか? ただ、感覚的にちゃんと理解している人は少ないと思う。言ってしまうと、今20代30代でも、貯金する習慣がなくて、あればあるだけ使ってしまうと、すでにもう貧困老人予備軍なんだ。 何年も前から出てきた、「80まで働きたい」と言う言葉。これも意味が分かって言ってる奴は少ないと思う。 後20年くらいすれば変わってくる可能性もあるが、今だに定年が60歳の会社もある。どちらにしろ定年した後は、する後と比べると収入は減る。 でも、会
共同親権の話が決まって私のエックスのタイムラインを賑わせている。 私はもう子供を産むような歳ではないし、子供もいないが、この話は気になっている。 昔通った准看学校で、同級生の半分以上くらいがシングルマザーだったのだ。母子家庭の子達の八割払われない慰謝料の事や、厳しい生活の事は話には聞いていたが、リアルで見る世界は私には付いて行けない物だった。 私は自分の不幸の為に、長期引きこもったような人間だから、子供達のために身を削って生きている女性達がとても怖かったが、それはまた別の
いい事が起こりました。親が元々私にくれるつもりだった、土地収入のある土地の名義を私に移す手続きをしてくれている最中です。 所で親への恨みと、自分との向き合いのバランスの難しさは、今でも思う事です。元々私は宅間守系の家庭環境で、男だったら何するか分からないようなメンタリティにまで貶められていたので、向き合いすぎると敵意が社会や親に向いてしまう事が多い。 その上、軟禁状態の王子みたいな生活を強いられてきたので、生涯孤独なのが確定している。マトモな人間付き合いするとバツを受け