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ただ在る。
『ただ在る』
土野正義先生の責任編集本。入手困難。
✔︎ラマナ・マハリシ
在ろうとしなさんな。ただ在りなさい。
✔︎なにもないそれ
森の下の大きなダイヤモンドの逸話
✔︎主体とは、彼自身の内なる静寂そのものの事。
✔︎満たされた感覚や平和な感覚が欲しいのならば、外の対象から何かを期待しない事。
✔︎幸せ感そのものが私の本質である。
✔︎決まってないのは唯一、あなたがその問題についてどれだけ多く悩み苦しむか、苦しまないで静かな心でいられるかどうかだけなのです。
✔︎リーラ(インド)=神の劇、神の遊び
✔︎あるがまま「それらの感情を観る」
✔︎あなたの内なる静寂「なにもない、それ」こそがあなたの求めている真理そのものです。
✔︎思考のげんいんとなっている対象を見るのではなくて、思考の源を観てください。
✔︎「する事」と「在ること」の違いを知りましょう。
✔︎「在ること」とは、もう既に在る「静けさ」そのとこと一体になるだけでいいのです。
✔︎既に達成しているのですから、後は、一秒でもそれを感じ、それに溶け込んでだだ一体になる。それが覚醒です。
✔︎眠りに入る直前のほんとわずかな一秒、空なる悟りの状態を経験している。
✔︎束縛もない、ストレスもない、時間もない、私という感覚すらない究極の自由なる感覚です。
✔︎「次から次へとやってきて、欲望に確たる実体がない」ということがわかれば捉われなくなるのです。
✔︎「足るを知る」ことによって、捉われから解放され、自然に真我に近づいていく。
✔︎わたしたちの内なる本質・真我は「満たされた至福感」「究極の安心感」「静かな平安そのもの」「大いなる喜び」である。
✔︎「気づいて」「微笑んで」「軽く流す」
✔︎不生不滅、不垢不浄、不増不滅
✔︎真我の軸から観るということは、「ただ在る」という感覚から観ることです。「ただ在る」感覚とは、うとうとしている状態か爆睡している感覚を想像してみてください。
✔︎いろいろな問題が起こる前に、真我の探究を忘れずにするならば、必要最低限の問題しかやってこなくなるのです。
✔︎肉体が束縛されている瞬間も、真我は何も縛られてなどいない。
✔︎実体無き物に捉われるから苦しむのです。悟りを得るということも迷うということもありません。言葉や文字を超えた悟りは、ただ二極性を超越した真我に気付くだけなのです。
#ただ在る
#土野正義
#山川あずさ