可能性の海を漂う
これまでにないくらい本を読み漁っている。時間が大量にできてしまったことも影響しているのだろうが、これまでに気になっていた本や目に付いた本、読み途中のまま放置していた本。それらを片っ端から読み漁っている。読み漁るといっても読む速度がおそらくあまり早い方ではないので、1日1冊が良いところだが。
ジャンルはめちゃくちゃだ。小説を除いてなんでも。パッと目に付くだけでも音楽、哲学、彫刻、映画、コミュニティデザイン、ChatGPT…。とにかくがーっと読み、ふんわりと頭にそれを塗り込む。浸透するかどうかはわからない。きちんとまとめようとしたり、吸収しなきゃという意識を持ちすぎると進まなくなるので、ふわっとした感じで読み漁っている。
本は他者の追体験だ。自分とは違う脳みそと体を持った人が経験したものを、文字という形で他人に伝えようとして文字を書く。そして、それを追体験をしたくて文字を読む。それを初めて体系的にまとめたメディアが本だと思う。
本は無数の可能性だ。同じ人間というハードウェアを持つ者が語ったものである以上、極論同じことをできるはずではある。本に書かれた経験や思考、発想は自らも生まれうる。その可能性を提示してくれる。
だが、可能性が無数にあったとしても、それをどれだけ本によって可視化してもらっても、結局、自分はそのうちの一つを瞬間瞬間で選び取らなければならない。人生に無数の可能性を生むことは、人生の数を増やすわけではない。選び取らなかったとしても、「選び取らなかった」という選択をし、それ相応の未来が訪れる。
本から可能性を吸収することに絶望したいわけではない。結局はそれをどう生かせるかの自分自身の選択に跳ね返ってくる。そのことを改めて認識しておかなければ、可能性の海に溺れる気がしたのだ。皮肉なもので、そのことに気づかせてくれたのは、そんなこととは全く関係のない内容の本だった。
ついでに言うなら、先月も同じようなことを書いていた。自力では回すのではなく、本に助けを得て回すことを思い出した以外はだいたい同じことだ。選び取る力がない。
可能性の海を泳ぐのも大事なことなはずだ。それも分かっている。だが、そこに浮かび続けることには何かしらの不安を覚える。ものすごく怠慢に過ごしているような気持ちになる。事実、浮かび続けるだけではいつか沈む。どこかで区切りをつけないといけない。ただ、もう少し可能性の海を漂ってみようと思う。