夕酌/takumi
彼らは眠れぬ夜にココアを2杯飲むんだ。 おかしいだろう。
国立市谷保にある「さえき洋品●(てん)」にて開催する、レコード、CD、カセットを持ち寄って再生するイベント、『Re:Birth Players』に関する記事です。
新しい・古いに関わらず、最近聴いたものの感想置き場。不定期。
一人でしりとりをしながら、出てきた単語をもとに小さなお話を書いてみようという試みです。 とにかく書いて出すことを目標にしていますので、出来の良し悪しはご愛嬌。 不定期で月曜に更新予定です。
音楽が生活の一部である人間によって作り出された雑誌です。
レコード・CD・カセットを持ち寄って再生する場を作るイベント『Re:Birth Players』を、一般社団法人ACKTによるプログラム『ただの店』の企画の一つとして、やらせていただくことになりました。 ざっくりとした中身は下記の通りです。 ・再生したいレコード・CD・カセットを持ってきてください (持ってこなくてもOKです) ・それを流しつつ、おしゃべりするなり音楽に耳を傾けるなりしましょう ・場所は南武線の谷保駅南口徒歩0分「さえき洋品●(てん)」 ・費用はかかりません
これまでにないくらい本を読み漁っている。時間が大量にできてしまったことも影響しているのだろうが、これまでに気になっていた本や目に付いた本、読み途中のまま放置していた本。それらを片っ端から読み漁っている。読み漁るといっても読む速度がおそらくあまり早い方ではないので、1日1冊が良いところだが。 ジャンルはめちゃくちゃだ。小説を除いてなんでも。パッと目に付くだけでも音楽、哲学、彫刻、映画、コミュニティデザイン、ChatGPT…。とにかくがーっと読み、ふんわりと頭にそれを塗り込む。浸
8時に起き、ぼんやりとしていると、せっかく付いていた朝食も温泉も時間が過ぎてしまった。昨日コンビニで買ったおにぎりを食べ、部屋のシャワーを浴びて身支度を整える。ホテルのチェックアウトはいつもなんだか不安だ。不安にならないため、前日のうちに着替え以外の全てをカバンに詰めてしまうようにしているのだが、その結果、当日の朝にあまり入念な忘れ物チェックをしない。それで結果的にチェック不足がないかと不安になる。結局どれだけやっても不安なのだろう。 車に乗り込み、カーナビでルートを確認する
2024年10月6日(日) 本当は午前4時に出発を予定していた。朝には新潟につき、日本海を眺めながら朝食を食べつつ、朝日を拝もうと考えていた。しかし、前日にあった集まりの中で話が随分と盛り上がってしまい、気づけば帰宅したのが日付を回る直前。そんなこともあり、朝起きたら5時で、結局出発は2時間押しての6時になった。だが、別に一人で車で行く、ほとんどまともな計画もないような旅だ。大した影響があるようには思えなかった。出発時間にしたって、実際のところは単純に、未明の高速道路を走り
ある方向から見れば、低空状態にあることは間違いない。だが、この現状をどう捉えるべきなのか、今なお掴みかねている。また、そこから抜け出していく方法も。いや、方法はわかっているのかもしれない。おそらくまだ混乱している。今までに回したことのない方向に頭を回転させていかないといけない。そのやり方がわからない。わからないものは怖い。怖いから何か例を探す。だがその例はいくつもあって、そのうちどれが自分にとって適切なのかわからない。結局またわからないことが怖い。そんなループなのだろう。それ
レコード・CD・カセットを持ち寄って再生する場を作るイベント『Re:Birth Players』を、新小金井にあるスペース『のびしろ荘』にて行うことになりました! ざっくりとした中身は下記の通りです。 ・再生したいレコード・CD・カセットを持ってきてください (持ってこなくてもOKです) ・それを流しつつ、おしゃべりするなり音楽に耳を傾けるなりしましょう ・場所は西武多摩川線の新小金井駅徒歩0分「のびしろ荘」 ・費用はかかりません (ちょっとしたお菓子、飲み物は用意しますし
先行で公開されたクロスフェード動画を見始めた時、曲数を全く気にせず見始めた。 映像付きのクロスフェード、なんともいいじゃないかと思いつつも、まだあの曲も出てきてない…これは一体いつになったら終わるんだ…?となり、そして最終的に20曲というボリュームにビビった。 まぁその方が食指は動くというか、ただシングルを集めただけではない、アルバム作品としての楽しみが生まれるのはいいことだと思った。ただ、随分大作だなぁという感覚もあった。CD換算で2枚組でもやるつもりなのかと。 前作『S
そのホテルはカモ専用だった。国道沿いかつ高速道路の出入り口付近にあり、見てくれは立地の通りラブホテルにしか見えない。虹色に光る電飾、お城みたいな形状、煤けて黄ばんだ壁、駐車場と思しき場所に垂れ下がるカーテン、窓のない建物の外観。どこからどう見てもラブホテルだが、その実、立地とは裏腹にのどかな近所の田んぼからやってくるカモたちの専用ホテルである。 私もカモだった時期に入ったことがある。人間の使っていた物件の居抜きなので、入り口の自動ドアは少し高くジャンプをしないと反応してくれ
ラジオ好きを名乗ることがあるのだが、ぶっちゃけ固定で聴いているラジオは『伊集院光 深夜の馬鹿力』と『喫茶結社のラジオ』しかない。ANNは星野源くらいだが最近あんまり聞いてない。アニラジもかなり聴いていたが、それももう多分10年くらい前だ。ラジオ好きとは一体…といった様相だ。ただ、そんなエセラジオ好きでも一つ言えるのは、相変わらずラジオというのは新しい音楽と出会う可能性を持てる場だということだ。とはいえ今回出会ったのは、愛を持って音楽に接している『喫茶結社のラジオ』ではなく、た
私は私自身の書いた文章を読み返すことが好きだ。自分の文章が大好きとかそういうものではなく、おそらく「自分に起きたあの時のことを、自分以上によく知っている誰かに教えてもらう」ような感覚なのだと思う。苦しかった時も、楽しかった時も、その時にあったことをなるべくリアルタイムに、言葉に書き起こしていくこと。そしてそれを読み返すということが、とても理解ある他者に読み聞かせてもらっているような感覚なのかもしれない。日記をつけ続けることができたなら、そしてそれを公開するようなことがあったと
一年前の7月、私は炎を繰り返し見つめていた。先行きの見えない日々の中で、交わす言葉の不安定な変容に炎と同じものを見た。燃え上がる火は、ただ見ているしかできない。自らが過去に放った言葉も、人が集まって起きる様々なことも。 もちろんそれをできる限りどうにかしようという努力は素晴らしいことだと思う。だが、それで壊れてしまうものもある。例えば自分自身の心とか、だれかとの関係とか。そういったものを壊さないためにも、ある程度意識的に諦めをつけることは、結果として自らを守ることだと、その時
この一ヶ月に一度だけの日記のようなものを書く時、今月のカレンダーアプリに入れた予定を見直してみる。ふと一年前と比べてみると、全く様子が違っている。途切れ途切れにいろんなことが起きていた日常から、途切れなく何かしらが起き続ける日常へと変化している。何かしらの変化は得られたということなのだろうし、その変化はおそらく今までの自分の変化よりも自覚的だ。 何につながるというわけでもないが、自分なりに得意とするもの、そしてそれを人に役立てられるかもしれないことを得た気がしている。 人が
私の音楽趣味の師匠であり友人からは、本当にいろんな音楽を教えてもらった。その教えてもらった中に含まれているはずだと思うのだが、フランス人アーティストであるジュリアン・ロケのプロジェクトの一つであるDoline Murailleの『Mani』というアルバムがある。ずいぶん昔に教えてもらい取り寄せてまでCDを買ったが、今でも定期的に聴き返す一枚だ。この感じが一般的にどう表現されるのかあんまり分かってないのだが、個人的にしっくり来るのは「コラージュ的」という表現。様々な音や声、曲な
ガラスが砕け散る音がする。たった1メートル。手のひらからこぼれ落ちたビーカーは1メートル分の重力による落下エネルギーを得て、底の角から床に落ちた。そのエネルギーが角の一点で一気に反射してビーカー全体に伝わり、ガラスは砕けていく。僕はその様子を真上からじっと眺めていた。砕けた破片がズボンの裾に当たるのも気にせず。どうして自分がここにいるかもわからない。理科室の大きな窓から見える満月の月明かりがあまりに明る過ぎて、窓の外は昼間のようにくっきりと明るい。だが、対照的に理科室の中は薄
長い長いひと月が終わった。振り返れば、今月の頭の出来事は遠く昔のことのようだ。月並みな表現だけど、心底そう感じているのだから仕方がない。GWもその後の土日も、なぜか気づけばイベントごとだらけだったこと。その間に挟まってくる仕事の時間が、少しだけしんどいものになっていたこと。その両極端な二つのことが、ポジティブ側とネガティブ側、両側から時間を引っ張って伸ばしたみたいな。 それでもなお、行けなかった場所、やれなかったことはたくさんある。どれだけ時間があっても足りやしない。そのこと
すっかり最近のアーティストかと思っていたら、もう数年前から出てきているようで、相変わらず最近の自分のアンテナの低さに愕然とするばかりだ。まぁ別にいつのタイミングだろうと良いアーティストとの出会いは良いことなので別に良いのだけど。 まずそもそもにしてVirgin Babylon Recordsの名前を久しく聴いた。レーベルの主催者であるworld's end girlfriendには非常に複雑な感情を抱いている(そんなんばっかり)のだが、やっぱりGo-qualiaを世に放ってく