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【オーダーメイド物語】歯車屋敷の螺旋の主

 祈りを捧げるより他にない、夜明けを迎えるにはあまりにも遠い宵闇の頃。
 世界を飛び回る封術師から託された寄木細工の《閉じ匣》を腕に抱き、巫女は、ところどころに歯車の意匠をあしらった《館》の最奥へ向かう。
歩む足はそのままに、箱へ落としていた視線をついと左へ流せば、阿僧祇の樹齢を重ねた大樹のまわりには、まろい光がいくつも連なり揺れていた。
 時にくらりくるりと、無垢なるものたちが戯れ遊ぶ。
 それらは天界に至る順番待ちのものであったり、天から降りてきた転生待ちのものであったりと様々だ。
 巫女はそんな光景を捉えながら、幾重にも巡らされた回廊をひたすらに、いっそ胎内回帰するのでは思うほどに巡り廻り緩やかな螺旋を描きながら、奥へ奥へと進んでいった。

 やがて、目の前に大きな襖絵が現れる。

「お館様、お連れいたしました」

 襖がひとりでに左右に開け放たれた。
 壁に、梁に、欄間に文様を刻む大広間には、全身に漆黒の夜をまとった主が座している。
その背後では、薄ガラスで隔てられた光景が――幾何学模様を描く巨大な月瑪瑙の歯車たちが、軋みのひとつもあげずに延々と回り続ける光景が広がる。
主は、ついと巫女とその手の中のものを見、視線ひとつで了の意思を返す。
 袴の裾をさばきながらするりと立ち上がり、

「ここへ」

 その一言で、巫女の抱く《閉じ匣》の一部がはじけ、黒い塊がひとつ、勢いづいてまろびでた。
 歪に揺らめく澱んだ存在は、害意をもってギィギィと悲鳴のような音を上げ、主の眼前へと迫る。

「ここから先は魂の時間」

 何もないはずの空間への両の腕を伸ばせば、主の手にそれぞれ四本の絵筆が降りる。
 巡る歯車が音にならない旋律を奏でる。
 旋律は光を生み、燐光となって計八本の絵筆を取り巻いた。

「とく、見せよ」

 絵筆を握り、凛と据えた眼差しとともに発せられるのは、言の葉の強さとは裏腹にひどく無邪気な弾みを孕む。
 瑪瑙の歯車が一層なめらかに旋律を紡ぐ。
 屋敷全体が大きな流れを生み出そうとしているのを肌で感じる。
 これは慈しみ。
 これは愛しみ。
「汝の道を照らせ」
 黒い塊はぐつりごぼりと沸騰するように形を変えて伸縮する。
 足掻いているようにも、求めているようにも見える不可思議な動きで、主の前をぐらりぐるりと飛び回る。
「汝の軌跡を、奇跡を、輝石に変えて自ら照らせ」
 記憶を詠むという主の静かな呟きは、一滴一滴、雫となって落ちていく。
 主の操る筆先は、一滴一滴、落ちる雫を含んで色を成す。
 そうして舞のごとく筆を振るえば、目に見えながらも形を成さない、夢幻の画としてこの世ならざる空間に描き出されるのだ。

 天に向かい、ひらめく藍玉の流星。
 闇を撫でて舞い上がる琥珀の風。
 空を薙いで掛かる瑠璃の水柱。
 それらすべてを包み込み、踊る真珠の焔。

 主は黒きものを見つめ、向き合い、詠み、ひとの道、運命の流れ、先行きの兆しを捉え、道標にして赦しの選択、あるいは禊の時間へと変えていく。
 主の描き出す光景の中に取り巻かれた黒きものは、歪な棘を吐き出し身に纏いながら、時折うぐうぐと不定形に揺らいだ。
 それが苦悶によるものだけではないのだと、巫女は知っている。
 幾度もまみえた光景に、幾度も対峙したこの時に、己がなすべきことも知っている。
 巫女は、寄木細工の匣から月水晶の小さな手鏡を取り出すと、自身が連れていたもの――黒く昏く澱んだ存在を描き出された光景ごと、その中に写し取り、閉じ込める。
 主の視線が、ちらりとこちらへ向けられ、
「よい」
 まるで幼い童のように無垢なる笑みをふいと浮かべた。
刹那。
手鏡の中に移ったこの世ならざる絵画は純白の光となって砕け、あれほどの淀み歪んでいた黒い塊からは一切の"色"が消え去った。
 溶けるでも弾けるでも抜けるでもなく、ただ消えたのだ。
 同時に、瑪瑙の歯車はその動きをぴたりと止めて、そうして後に訪れるのは真空の静寂である。
 主は絵筆を虚空に還し、ふつりと楽しげに笑うと、手鏡を持つ巫女の頭上を指し示した。
「あそこへ」
 いつの間にか天井はなく、代わりに宵闇の空とそびえる大樹がその姿を見せていた。
 巫女が手鏡をかざせば、無色透明な塊がふわりとそこを抜け出して、くらりくるりと揺れるまろい光となって大樹の元へと引き寄せられていった。
 今宵の務めを無事に終えた安堵の息が、巫女の口からほとりと落ちる。
「よい働きだった。お前の《写し》の腕は本当にいいな」
「もったいないお言葉にございます」
 一切の疲労を見せずに、ねぎらいとともにニカリと邪気のない笑みを向けられ、巫女は静と視線を落とし、はにかんだ。
「おやかたさま、おしごとおわり?」
「おやかたさま、おそとでる?」
 空いた天井から仔犬のような双子の童が顔をのぞかせる。
「あなたたち」
「よい。たまには俺も遊びに興じよう」
 諫めようとした巫女にもう一度笑みを向けると、主はすいと腕をまくり上げ、きゃらりとはしゃぐ童たちを抱きとめたかと思えば、そのまま軽やかに跳躍した。

 夜明けにはいささか遠い宵闇のころ、歯車屋敷の螺旋の主とその家臣たちの楽しげな声があたりに響く。

***

◆オーダーメイド物語:
あなたのイメージで綴るこの世ならざる世界の物語
▶︎ご依頼内容:
完全おまかせとのオーダーにてお届けした物語となります。Facebookで挙げられている作品やプロフィールから得たインスピレーションにて作成させていただきました。


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